Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

日本の方言

今日の本は柴田武さんの「日本の方言」。

方言に関して、どのようなものがあるかを単に紹介するだけでなく、アクセントや発音を比較したり、共通語による影響、教育のような分野で何が起こっているかなど、多種の話題が出てくる。また、考察はかなり科学的だ。

一例としては、青森県津軽方言と南部方言の境界線が、とある集落間にあることが分かったという話。

日野氏によれば、この両集落の間には、昔から藩による対立感情が強く、最近まで婚姻関係もなく、こどもたちもいっしょに遊ぼうとしなかったそうである。
(p.67)

交流がなければ言葉は混ざらない、これは道理である。この研究成果が発表されたのは昭和33年なので、今はかなり混在しているのかもしれない。「こどもたち」という表現が出てくるのは、13歳以上になると方言は定着して変わらなくなる、という説があるからだろう。

中沢氏の観察が教えることは、九歳までなら方言を覚え直すことができるが、十三歳以上ではそれが不可能ではないか、ということである。
(p.170)

中沢氏というのは方言学者の中沢政雄さん。群馬方言で育った4人の子供を連れて東京に引っ越したら、9歳の子供は東京の言葉になったが、13際の子供は群馬方言が残ったという。

最後の章は「方言は今後どうなるか」。ここでは、共通語はさらに普及すると予想していて、これは実際そうなったと考えられる。

ただ、この本は初版が1958年。今はインターネットという当時はなかった新しいインフラが普及している。これはテレビ、ラジオに続く、第三の強い影響力を持っている。

そこで個人的に最近気になっているのが、動画でよく使われている合成音声の発音だ。読み上げソフトで生成した日本語音声のアクセントやイントネーションが不自然なことがあるのだ。それは今までの日本語にない新しい方言のように聞こえる。

英語は、単語の型(パターン)がアクセントによってできている。だから、一つ一つの音は正確でも、アクセントの位置を間違えば通じない。ところが、日本語では、アクセントは単語の型を形づくる、おもな要素ではない。
(p.136)

日本語はアクセントが多少おかしくても正しく理解できてしまうのだ。これがボカロ方言が拡散する原因になっているのかもしれない。


日本の方言
柴田 武 著
岩波新書 青版 C-100
ISBN: 978-4004121008