Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

礼記 上 (1)

今月最後の本は、礼記(らいき)。

儒教の教典です。みたいな話は漢文か歴史で教わったかもしれませんが、よく覚えていません。

今回読んでいるのは明治書院発行、竹内照夫さんによる注訳本です。上中下の3巻構成で、上巻は曲礼上第一から礼器第十まで、中巻は郊特牲第十一から祭統第二十五まで、下巻は經解第二十六から喪服四制第四十九までが収録されています。

礼記はご存じ漢委奴国王印の漢の時代に成立しており、成立後二千年ほど経過しているので原文の著作権は消滅しています。ていうか当時まだそんな権利はありません。白文は Wikisource で参照可能です。

礼記というタイトルが示す通り、これは礼に関して書かれたものです。では礼とは何か、と考えると案外難しいです。

禮也者、反本脩古、不忘其初者也。
(上 p.370、礼器第十)

これに対する竹内さんの注訳は次のようになっています。

礼とは人の本心に立ち反り、かつ古来の慣例を知って、物ごとの起源を忘れないための、学習・教養である。
(p.371)

温故知新の前段階ということですね。現代社会にも礼儀作法はあります。いつの世にも、そんなものは無駄だという人もいるようです。

故子之所刺於禮者、亦非禮之訾也。
(p.153)

この前には逸話があって、だから無駄だと思うような礼にも何かしら理由があるのだというオチです。理由がないような作法は勝手に消滅すると考えているのかもしれません。確かに、どんなことにも理由があるという考え方は論理的思考の基本です。間違った理由であっても、理由そのものはあるはずです。

今回は上巻からいくつか紹介します。この巻は礼の内容を細かく書いた個所が多く、普通に読んでいてかなり退屈するのですが、その礼にどんな理由があるのか考えながら読むと全然分からなかったりするので、本気で読むにはちょっと時間が足りないようです。

ということでいつもながらですが、全体の流れは無視して気になった箇所にザックリ感想を書いていきます。

まずコレ。

生有益于人、死不害于人。
(p.125、檀弓上第三)
生きている間は人を益し、死んだあとには人を害せず
(p.125)

今の時代でも人のために生きようという立派な志を持っている人は多い、と信じたいですが、それはそうとして、死んだ後に迷惑にならないことを考えて生きるというのは、立つ鳥後を濁さずといいますが、なかなか難しいものだと思います。

もう一つ、面白いと思ったのは。

勉而為瘠、則吾能、毋乃使人疑夫不以情居瘠者乎哉。
(p.147、檀弓下第四)

粗食に徹して痩せるのは簡単だが、そんなことしても逆に疑われたりしてヤバいんじゃないか。(意訳)

当時、喪の間はたらふく食べたりせず、粥を食べて太らないようにする、というのが礼儀だとのこと。死者は食べることができないので、ということでしょうか。

ところがここでは、痩せるような生活をしたら逆にわざとらしいんじゃないか、と言っているわけです。この人は君主とあまり関係が良くなかったらしく、今更だろうという話です。余計な詮索をされるのなら普通に食った方がいいんじゃね、というのは一理ありますが、まあ考えすぎじゃないでしょうかね。

(つづく)


礼記
竹内 照夫 著
新釈漢文大系
明治書院
ISBN: 978-4625570278