今日は「思考と意味の取扱いガイド」の続きから紹介する。
イディッシュ語はユダヤ語ともいわれている、ドイツ語に近い言語だ。
物語をイディッシュ語から日本語に翻訳するとしたら、日本語の音韻語の連なりを作って、イディッシュ語の連なりと同じ意味に結びつけることになる。
(p.62、9 意味には何ができなくてはならないのか)
イディッシュ語に対応する意味に変換し、その意味に対応する日本語にさらに変換する、というプロセスを経る。翻訳の基本だ。先の主張は正しいと思われる。ただし、
ときにはイディッシュ語の単語を翻訳するのに、日本語ではより長い句が必要になることもある。
(p.62、9 意味には何ができなくてはならないのか)
これも否定はしないが、一般的に日本語は圧縮率の高い言語といわれている。例えば英語で100バイトを使って表現する内容は、日本語だと50バイト(数字はデタラメだが)で表現できるのだ。
Twitter が日本で流行したのは、この特徴がマッチしていたとも言われている。140文字という短いデータでも、日本語は英語よりも多くのことを表現できるのだ。昔から31文字で表現するうのが得意な国であるから、140文字もあれば余裕だ。
青色の話はまだまだ出てくる。
言語によっては、英語と比べて基本色に対して異なる語彙をもつものもある。例えば、日本語には green と blue の両方を一つでカバーする語があるし、ロシア語では英語話者が light blue と dark blue と呼んでいるものに対して全く別の語がある。
(p.101、14 言語は思考を決定するか)
green と blue をカバーする語というのは「青」のことだと思うが、今の日本で「青」と言えば基本的に blue のことで、green を思い浮かべる人は殆どいないのではないかと思う。緑色を青と表現するのは、青信号や青りんごのような特定の表現に限られている。
文を理解するときには、背景知識が前提になるという話があるのだが、
隅のハムサンドがコーヒーが欲しいって
この文が意味をなすためには、主語が「ハムサンド」ではなく「ハムサンドを注文した人」であると理解される必要がある。
(p.153、21 ものを見るとはどういうことか)
日本語には「うなぎ文」のような、もっとヤヤコシイ文がたくさんあるわけだが、そもそも「隅のハムサンドがコーヒーが欲しい」って主語は何なの、という話が出てきてもおかしくない。「JKが好きな人」は JK likes the man と a man likes JK の2通りの解釈が可能である。という話はおいといて、私が最初にこの例文を見た時には、ハムサンドという名前の人がいるのかと思った。あるいは、ハムサンドが擬人化してキャラクターになっているのかと思った。
艦コレとかウマ娘のような擬人化カルチャーに普段から接していると、ハムサンド自体が人でも何の違和感もない感覚が構築されてしまう。アンパンマンはアンパンなのか人なのか。
(つづく)
思考と意味の取扱いガイド
レイ・ジャッケンドフ 著
大堀 壽夫 翻訳
貝森 有祐 翻訳
山泉 実 翻訳
岩波書店
ISBN: 978-4000054720