Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

思考と意味の取扱いガイド

今日の本は「思考と意味の取扱いガイド」。

思考とは何か、とか、意味とは何か。という哲学的な話題を比較的ざっくりと考えた感じの本。内容は 43のパートに分かれている。引用時にどのパートかを示すことにする。

哲学者のヒラリー・パトナムは「「意味」の意味」と題された影響力の大きい論文の中で、ほとんどの人は「金」(ゴールド)のような語の意味を知らないと主張している。
(p.22、4 日没、トラ、水たまりに対する視点)

これだけではほぼイミフメだが、この後に説明がある。金について原子レベルの知識を持っていないと真に知っていることにならない、という話なのだ。意外とくだらない。

「日没、トラ、水たまりに対する視点」というタイトルも意味深だが、例えば「日没」に関しては「日没」というモノはないよね、ということを言っている。確かに日没というのはある種の状態を表現したものであって、日没が「ある」わけではない。書いてて何言ってるのかちょっと分からないのでこのあたりでヤメておく。

ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインは、その著作『哲学探究』において次の有名な発言をしている。「意味を見るな、使用を見よ」。
(p.40、7 「意味(する)」という語の用法)

私は Wittgenstein を「ヴィトゲンシュタイン」と表記しているが、日本の書籍では「ウィトゲンシュタイン」と表記するのが慣例である。今まで「ヴィトゲンシュタイン」という表記を見た記憶がない。なのでこの表記はちょっと驚いた。

一般的に「ウィトゲンシュタイン」と表記されている理由も、それを承知の上で個人的に「ヴィトゲンシュタイン」と表記する理由もあるのだが、あまり面白くないので内緒にしておく。その上で、この本は「ヴィトゲンシュタイン」と表記していることにちょっと興味がある。

そのヴィトゲンシュタインさんの言明について、

「説明はすべて捨て去らなければならない。記述のみがそれにとって代わる必要がある」。個人的には、これは試合放棄だと思う。説明する努力をしないで、どうしてものごとの理解に到達できるだろうか?
(p.41、7 「意味(する)」という語の用法)

そもそもソレは説明可能なのだろうか?

説明不可能な現象に対して説明する努力の意味があるとは思えない。プログラミングでは、例えば関数やクラスは説明ではなく定義するものだ。i という変数名に対してなぜ i という名前なのか説明しろと言われたらできなくもないが、あまりしたくないし、説明しても意味があるような気がしない。

プラトンの考えでは、「犬」のような語の意味は、時間を超越した「犬性」という本質のようなもので、私たちが決して直接には経験できないものとされた。
(p.57、9 意味には何ができなくてはならないのか)

犬という概念は実在するどの犬にも当てはまらないメタな存在というべきか、あるいはカテゴライズしたときのクラス名、のような理解をすることになる。という話だろう。そこまで考えるのなら犬に仏性があるか、というのも気になってしまう。

(つづく)


思考と意味の取扱いガイド
レイ・ジャッケンドフ 著
大堀 壽夫 翻訳
貝森 有祐 翻訳
山泉 実 翻訳
岩波書店
ISBN: 978-4000054720