今日は雑記にしようと思ったのですが、つづくと書いてしまったので、先日紹介した「日本語という外国語」を閉めておきます。
この本、先日紹介したように、外国人に日本語を教えていた人が書いているので、日本人が学ぶ文法とはいろいろ違うことが出てきます。
日本語では物や人の数量を示す場合、数量を示すことばは後に付くことがはるかに多い
(p.132)
私はこのような話を国語の授業で教わった記憶がありません。確かに「4匹の猫がいます」より「猫が4匹います」の方が自然な気がします。日常的に自然に使っていることを説明的に紹介するのは難しい。何でというのが分かりません。
高校時代に道の真ん中にカバンが置いてあるのを見た友人が「一つのカバンがある」と言ったのを覚えています。英語の授業の後だったせいか、頭の中が英語脳になっていたようです。
先日ちょいネタに使った、重ね合わせの「た」、というのも学校で習った記憶のない知識です。
心の中で予期・期待していたことと、現実の事態が同じになった、つまり心の中での想像と現実の事態が重ね合わさったときに「た」を用いる
(p.167)
普通、「た」は過去を意味します。「1限目は数学のテストだった」の「た」は過去です。しかし、「次はテストじゃね?」「あっ、次は数学のテストだった」の「た」は、未来の話をしているので過去というのはおかしい。それを強引に解釈するのが「重ね合わせの「た」なのだ」という話です。
個人的には、これは単純に「未来の過去」【謎】でいいような気がしますね(笑)。
全然違う話ですが、これはちょっと面白いと思ったのが、
アメリカやオーストラリアの高校で日本語を習う生徒の多くは、先に和英辞典ではなく、英和辞典を買う
(p.150)
確かに、私が中学で英語を勉強し始める時に、最初に買ったのは英和辞典でした。つまり、外国語(英語)から母国語(日本語)に変換する辞典です。ところが、アメリカやオーストラリアの高校生は、母国語(英語)から外国語(日本語)に変換する辞典を先に買うというのです。自分たちが使っている言葉は日本語で何というのだろう、という方向の関心の方が高いのですね。
そういえばこれですが、
「集まる・集う」「きちんと・ちゃんと」「居眠り・うたた寝」のように、意味が互いに似ていることばを「類義語」と言います。
(p.220)
集まると集うの違いは、日本人でもかなり難しくないでしょうか。
また全然関係ないですが、大葉と紫蘇の違いって知ってますか? ていうか違わないということを私は最近まで知りませんでした(笑)。日本語は難しいです。
日本語という外国語
講談社現代新書
荒川 洋平 著
ISBN: 978-4062880138