Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

バカの壁 (6)

バカの壁の続きです、今日はちょっと深い話から。

人生の意味は自分だけで完結するものではなく、常に周囲の人、社会との関係から生まれる。
(p.109)

前回紹介したフランクル氏の話と繋がっている話題ですが、ここでのテーマは人生の意味です。ネットを見ても、生きる意味とは何かという質問はFAQですね。意味も分からず生きている人が多いのでしょうか。

Yahoo!知恵袋の大学受験カテゴリを見ていると、受験に失敗したから自殺するという人が一定数います。ここで注目して欲しいのは、その人が人生に対する意味をどう考えているかということです。

何か崇高な目的があって、そのためには絶対にその大学に行かなければならない、それに失敗したからもう生きる意味がない。

…というような話ではまるでないのです。どちらかというと、最初から人生の目的や夢がない、将来何をすればいいのか分からない。勉強は嫌だし大学には蹴られる。そこでふと「何で生きているんだろう」と考えてしまう。意味が分からない。生きている意味なんてないじゃないか。じゃあ死のう、そんな感じの思考パターンに見えるのです。

昔の日本なら、そもそも大学に行ける人がレアだったのですが、そもそも大学はあくまで通過点であって、その先にあるゴールが長者か大臣か知りませんが、とにかく何か目標があったわけです。大金持ちになりたいというような単純な夢でさえ持てない若者がいるというのは衝撃的です。もっとも、単純に何も考えずにお金持ちになりたいと夢見ていう人も一定数いるようですけど。

それにしても、世の中が豊かになって暮らしやすくなると夢が持てなくなってしまう、というのは何かおかしな話ですね。

養老孟司さんの主張するのは、人生の意味がバックグラウンドによってどんどん変化している、ということでしょう。飽食の時代という言葉も今では当たり前のことすぎて死語っぽくなってきましたが、

現代人においては、「食うに困らない」に続く共通のテーマとして考えられるのは「環境問題」ではないでしょうか。
(p.112)

個人的には、そんな高尚なテーマに取り組む前に、老後の生活とか、生き甲斐とか、そのような身近な問題が重要になっているような気がしています。環境問題というよりも介護問題です。あるいは家族・家というような親族レベルの社会集団をどうするかという問題です。

もちろん、食うに困らないというのは豊かな国だけの話であって、世界には食うのに困っている人が大勢いる国だってたくさんあるのですが。

(つづく)


バカの壁
養老 孟司 著
新潮新書
ISBN: 978-4106100031