Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

バカの壁 (3)

今日も引き続きバカの壁から行きます。

英語論文の話は今もこうなのかな、とちょっと笑ってしまいました。今といっても、この本が出たのは2003年、15年前の話なのですが、

学問の世界でも、やたらに個性個性と言うわりには、論文を書く場合には、必ず英語で書け、と言われる。
(p.45)

確かに論文は英語でないと不可、のような話は聞いたことがあります。2018年現在、その風潮はもっと強化されているのではないかと妄想しましたが、よく考えてみると昔から最高レベルだったので強化のしようもありません。ちなみに、英語論文推奨の理由は何なのかというと、

英語で論文を書く→英語圏の大学が引用してくれる→世界ランキングの評価が上がる→文科省からの予算(?)が増える→ウマー、

という謎のパターンがあるそうです。何故、世界ランキングの評価が上がった大学の予算が増やえるのか、個人的には理解を超えた世界なのですが、これはやはり私がやはりバカなのでしょうか。壁が超えられないのでしょうか。もしかして二酸化炭素が温暖化の原因、みたいな話があるのでしょうか。

次に、「君子豹変」の話。この言葉は変われることが偉い、というのが本来の意味だそうですが、ネットの辞書で調べると「無節操ぶりを非難」とか出てくるので、どうも最近はよくない意味に使うようです。

いつの間にか、変わるものと変わらないものとの逆転が起こっていて、それに気づいている人が非常に少ない、という状況になっている。
(p.58)

確かにそう言われてみたら私もあまり良くない意味に使っているような気がします。おそらく人間は変わらないのがいい、というような先入観があって勘違いしたんじゃないかという話になっていますが、人間は変わるし個性も変わる、それが本来の姿なのに、ということが言いたいようです。論語にも「子曰、過而不改、是謂過矣。」という有名な言葉があります。「士別三日、即當刮目相待。」なんて言葉もあります。もっとも、この逸話、どう想像しても三日どころではないような気がするのですが、とにかく昔の中国は変化を好むような傾向があったのではないでしょうか。

知るということは、自分がガラッと変わることです。
(p.60)

映画「卒業」の主人公のベンが I want to be different といったのは、もっといろんなことを知りたいという意味だったのかもしれません。

この後、言葉とは何か的な哲学風の話題が出てきます。

個人的には、このあたりの概念理解のロジックはAIにも関係してくることなので、実に興味深かったです。ただ、内容としてはよくある一般的な解釈で、特に珍しいものではありませんでした。

では、どこに正しいリンゴという字があるか。そんなものは存在しません。
(p.71)

人間の判断はパターン認識が基本になっているため、似ているものは自動的に同じとみなすようになっています。正しいか正しくないかではなく、ファジーなのです。そこに、正しいモノが存在しないのかというと、それは「正しい」の認識に依存します。あるといえばある、ないといえばない。完全一致しないと正しいといわないのか、パターンが一致すればそれで正しいとするのか、その差だと解釈すれば、全て正しいリンゴという字なのだということも可能になります。

外の世界のリンゴは、それぞれ特定のリンゴ以外にあり得ない。ところが、頭の中のリンゴは、プラトンの言うイデアとしてのリンゴです。
(p.75)

リンゴの理想体を想定して、それと現実のリンゴを比較させてマッチング判定、というのはプログラミング的にも納得できるロジックです。その理想体というのが機械学習で得られた謎のデーターだったらさらに面白そうですね。

(つづく)


バカの壁
養老 孟司 著
新潮新書
ISBN: 978-4106100031