Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

戦中派不戦日記 (七月九日~)

今日も「戦中派不戦日記」から、7月は大学が疎開して、そちらの話。疎開先の描写も面白い。

飯田の町は始めて角帽の群を迎え入れたり。町の少女がこれに憧憬の瞳投ぐるは当然にして、またすでに諸君の経験せるところならん。しかし吾らはこの瞳と相関する余暇なきはずなり。毅然たれ。凛然たれ。もし学生として恥ずべき行為に出でたる者あるときは、吾鉄拳を以てぶんなぐるべし。
(七月九日)

飯田は美女が多いのだろうか。こんな話も出てくる。

僕たちは遠くから、切符切りの少女駅員を鑑賞する。飯田駅随一の美少女だそうで、眼は非常に大きい。
(七月二十五日)

若いのだからそっちに興味が行くのは当然だろうが、それだけではなく、人生論とか、どう生きるべきとか、そのような話題も当然出てくる。しかし前にも書いたかもしれないが、山田さんはひたすらニヒルなのである。

すなわち人間は、いかに文明が進歩しても相対的には幸福量を増さない。従って何をしても無駄である。
(七月十七日)

これが人生問答の中で出てきた山田さんの言葉。これを聞いていた相手の松葉さんの反応が、

松葉、余を殺したくなったといい、また笑い出す。
(七月十七日)

ある意味人類の存在意義を否定したような言葉だから、これはまあ順当な反応だと思う。こういった議論ができるのも学生の特権だろうか。私も学生時代はこういう議論をしたことがある。全然関係ないが、その昔、田淵由美子さんのマンガで、出てくる学生がわけのわからない議論をしているシーンがあったのだが、そういうマンガを見て、大学というのは面白いところなのかなと思ったものだ。今の学生もそうなのだろうか。

日本人の心理的な話も出てくる。

人間は他人が困ったときに笑う。困った当人は負けん気を出して笑う。しかしあの笑いはそんな意味の笑いではないらしい。
(七月二十五日)

引用に出てくる「あの笑い」とは、切符を買いに行って並んでいるときに、寸前で売り切れて買えなかったときの笑いを指している。買いたいものが買えなかったのになぜ笑う、というのだ。これは多くの人が同じ経験をしていると思う。失敗したときになぜか笑ってしまう、あの笑いである。山田さんの解釈としては、

あれは「運命」を笑ったのである。
(七月二十五日)

となっている。これは面白い解釈だと思う。

さて、そろそろ戦争が終わりに向っている。日本人は総動員体制である。

丸山国民学校の内部は一部工場化されつつある。機械すえつけ作業にモンペ姿の女学生たちが動員されて、灼けつくような炎天の下を、営々として蟻のごとく石塊を運ばせられている。
(八月六日)

今頃になって、強制労働とか何とかいって騒ぐ人がいるようだが、当時の日本は全国民が強制労働だったのだ。大人だけでなく、子供まで総動員で働かされていた。労働で済めばいい方で、男子は戦場に送られて死んだのだ。山田さんが戦場に送られなかったのは、一つは徴兵検査で一度不合格になっていて、そして、医学生になったので例外的に学徒出陣の対象から外されたのである。

今日はここで区切る。


戦中派不戦日記
山田 風太郎 著
角川文庫
ISBN: 978-4041356586