Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

礼記 中 (4)

今日も礼記の中巻から紹介します。今日紹介するのは樂記第十九です。

天地之道、寒暑不時則疾、風雨不節則饑。教者民之寒暑也。教不時則傷世。事者民之風雨也。事不節則無功。
(pp.571-572、樂記第十九)
天地(自然)の理として、寒暑が時期に合わないと病気が流行し、風雨が適当でないと、穀物が実らない。教育は、喩えば人民に取って寒暑であり、これが(人民の成長の)時期に合うように施されないと、人民が治まらず、世が乱れるのである。また、(君主が事業を起こして功を成そうとすること、即ち)時功は、喩えば、人民に取って風雨であり、これに節度が保たれないと、功を成さないのである。
(p.572)

寒波や熱波、即ち気温の異常があると病気が流行り、雨量に異常があると作高に影響する、という前振りをした上で、教育を寒暑、事業を風雨と見立てています。

寒暑は時期に合った温度を想定するということで、つまりタイミングの話です。風雨はタイミングは合っているのだが量が不適という状況を想定しています。このストーリーは、適切なタイミングで教育を施し、適度な規模の事業を起こすのが良いという結論になっています。

実際の教育というのは、個人差によって適切なタイミングにバラつきが発生するので、さらに面倒なことになりがちです。

音楽を礼節と対比させ重視していた、という話は以前にも紹介しましたが、

樂也者、情之不可變者也。禮也者、理之不可易者也。樂統同、禮辨異。禮樂之說,管乎人情矣。

(p.583、樂記第十九)

音楽は、人心に共通する感情に基づいて成立し、礼儀は人心のみな認める道理に基づいて制定される。即ち音楽は人びとの心をその共有する所によって統一するものであるのに対し、礼儀は人びとの身をその異なる所(地位や身分など)によって差別するものである。それゆえ礼と楽を合わせて説けばこれ(礼楽)を以て人情の(共通と差別の)二面が包括されるわけである。
(p.584)

音楽を情(感情のこと)、礼儀を理(道理のこと)に対応させています。音楽は文字のない情報であるため、共通する感情に基づくという根拠はかなり危ういものではないかと思いますが、感情表現において、文章にはできない力を持っていることは間違いないでしょう。

礼儀に関しては、形式的に感じるものであっても、その礼儀が成立した過程において合理的であった、理由が存在したとされています。謎の動きであっても理由があるはずなのです。

そこで話が終わってもよさそうなものですが、ここでは礼楽という構造を作ることで、バランスをとろうとしている所に注目したいです。音楽を重視するとロックになってしまう、やりたい放題では混乱を招くので、礼儀でコントロールしようと考えるわけです。

故人不耐無樂、樂不耐無形、形而不為道、不耐無亂。
(p.601、樂記第十九)
このように、人は必ず楽しみを求めるものであり、楽しめば必ず外に表されるのであるが、その際にその表出を規制することがなければ、必ず放縦に陥るであろう。
(p.602)

必ずと断じるところがちょっとひっかかりますが、中国の規制政策のルーツはこのあたりにあるのかもしれません。

(つづく)


礼記
竹内 照夫 著
新釈漢文大系
明治書院
ISBN: 978-4625570285