Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

礼記 上 (3)

今日は「礼記」の上巻の3回目。上巻は今日で最後です。

まず音楽について。音楽は当時とても重視されていたようです。

凡三王教世子、必以禮樂。樂所以修內也。禮所以修外也。
(p.312、文王世子第八)
およそ(夏殷周)三代の聖王たちが世子を教育するには、必ず礼楽を根本とした。音楽には心を美しくする力があり、礼儀には行いを美しくする効がある。
(p.313)

音楽に「心を美しくする力」があるという考え方が面白いです。礼楽という表現が示すように、音楽と礼は政治にとって互いに欠かせないものとされていたようです。

個人的には、音楽には2つの重要な役割があると考えています。まず、言語以外の手段によって情報を伝えること。これによって言葉では伝えられないものが伝わるのではないか。

もう一つは、他の人と協同すること。複数のプレイヤーが演奏する場合、他のプレイヤーの演奏を聴いた上でそれに合わせることになります。相手に合わせて行動する能力が重要になってくるのです。

この2つが重なれば、何か心の動きが変わってくるのではないかと思います。

話題は変わりますが、ちょっと面白いと思ったのが、昔の中国の話。

昔者先王未有宮室、冬則居營窟。夏則居橧巢。未有火化、食草木之實、鳥獸之肉、飲其血、茹其毛。未有麻絲、衣其羽皮。
(p.332、礼運第九)
むかし王たちにもまだ家屋という物は無かったころは、冬は穴ぐらに住み、夏は木の枝を集めて作った巣の上に寝た。まだ火を使うことが知られなかったから、草木の実や鳥獣の肉を生で食い、鳥獣の血を飲み、毛までも食ってしまった。
(p.332)

何千年前の話なのか分かりませんが、火を使う前の時代の話というのが壮大です。しかし、血を飲むというのはまだしも、毛を食べるというのは信じられません。どのような社会なのか謎です。

上巻からは最後にこれを紹介します。

刑肅而俗敝,則民弗歸也,是謂疵國。
(p.338、礼運第九)
即ち刑を厳しくすると、社会は堕落し民心は朝廷から離れるのであって、こうした状態を病める国と言うのである。
(p.339)

これだけだと疑問を感じるかもしれません。この直前に、政治に不正があると君主が刑を厳しくする、という話が出てきます。ということは、どちらかといえば、社会が安定していれば刑を厳しくする必要はない、という因果関係ではないかと思いますが、刑が厳しいと実際適用できなくなるとか、抜け道が使われてしまうとか、いろいろ問題がありそうな気はします。

もっとも、そもそも刑の厳しさの基準が今とは全く違う、ということはあるのかもしれません。


礼記
竹内 照夫 著
新釈漢文大系
明治書院
ISBN: 978-4625570278