Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

不安や緊張を力に変える心身コントロール術

今日紹介する本は安田登さんの「不安や緊張を力に変える心身コントロール術」。

内容的にはメンタル系なのですが、この本には能楽の話が多数出てきます。例えば第一章のタイトルは「能の中にストレスや不安を「力」に変えるヒントがある」です。この章は特に呼吸法に注目しています。

といいつつ、いきなり能ではない話ですが、信長が桶狭間に出陣する前に敦盛を舞ったのはなぜか、というネタが出てきます。一刻を争う場面で悠長に舞う理由は?

わざと不安を募らせる。それによって、信長はさらに大きな戦闘エネルギーを導き出そうとしていたのです。
(p.30)

メンタルの調整みたいな感じでしょうか。この後、信長は超加速して準備を整えて奇襲を実行します。舞うのはルーティンみたいなものかも。魔法少女は戦う前に変身しますよね。

第2章の「肝をゆるめる身体作法」は、正座の仕方が紹介されています。姿勢の話はモーニングに今連載中の世阿弥をネタにした漫画「ワールド イズ ダンシング」にも出てきたと思います。

能や古武術などに「上虚下実」という言葉があります。
これは、下半身は充実して力が入っているが、上半身は力が抜けている状態で、理想的な身体の状態とされています。
(p.76)

簡単にいいますが結構辛そうです。ちなみに、パソコンの作業で肩が凝ったときに効果的という「腕ブラ」のやり方も紹介されています。

第3章はメンタルの話です。例えば、よくある話ですが、

 ただ、一生懸命やっているんだけれども、なぜかうまくいかないという人がいます。
 それは努力の方向が間違っているからです。
(p.125)

受験相談で「勉強しているのに偏差値が上がらない」というのが FAQ ですが、これは量が足りない場合と方向が間違っている場合があります。

能といえば「初心、忘るべからず」という言葉が有名ですが、その意味について。

人が次のステージに移るべきときに、いつまでも過去の実績や記憶にすがっていると、次に進むことはできない。いままでの自分をバッサリ斬り捨てる。それが「初心、忘るべからず」の基本の意味です。
(p.132)

今までの栄光を忘れろという意味だというのです。

私たちはかつてうまくいった方法があると、どうしてもそれにしがみついて新しい方法にトライするのを躊躇するものです。
(p.134)

守株という言葉もありますが、そんな言葉を知っていても、一度成功したらその体験から離れられないことが日常的によくあるわけです。

日本には「変わらないことはいいことだ」という価値観がかなり根強くあります。
(p.134)

プログラマーの世界にも「動いているプログラムを変更するな」という格言があります。変更して動かなくする人が多いためです。それを支えている思想は、

「もし、新しいやり方でやってもダメだったら」という恐怖感
(p.135)

と指摘しています。プログラミングのような世界は比較的ダメでも元に戻りやすいのですが、それでも抵抗はありますね。

第4章は「世阿弥に学ぶプレゼンの序破急」。能をプレゼンという視点で考えるというのが斬新だと思いましたが、もしかして世間では普通なのでしょうか。

途中、インターネットの弱点を指摘する箇所がありますが、

インターネットの検索ではインターネット上にあるものしか出てこない。
(p.203)

当然ですね。逆に書籍や論文では書籍や論文になったものしか出てこない。欠点といえば欠点ですが、インターネットにしかない情報もあるはずです。

インターネットの検索エンジンは「自分の興味のあること」からしか引けない
(p.204)

流石にそれは違うような気がしますが。キーワードを知らないと引けない、というのなら少し分かります。個人的にはそんなの引いてないのに「もしかして」で出てくるのが困るような。

高校時代、町の小さな本屋さんに入ると、本屋のおじさんからボルヘスバタイユを勧められました。
(p.206)

今なら Amazon が「この本を読んでいる人はこの本も読んでいます」みたいな紹介をしてくれるようです。いまいちな紹介であるというのなら、否定はしません、というか絶賛同感中【謎】です。

ということで、今日の一言は。

「言葉による暴力でも、脳は痛みを感じている」という研究もある
(p.5)

最終的に痛みを感じるのは脳なので、どんな刺激だろうが脳が痛みだと認識したら痛いでしょう。逆に「痛くない」と思えば痛みも消えるかもしれません。


不安や緊張を力に変える心身コントロール
安田登 著
じっぴコンパクト新書
ISBN: 978-4408456300