Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

新・学生時代に何を学ぶべきか (9)

今日は「新・学生時代に何を学ぶべきか」から。この本は今回で最後になります。

今日の1人目は立原えりかさん。

ひとりでいることに満足して、自分についてだけ考えることでしあわせになれた。
立原えりか「人生の休み時間」、p.238)

立原えりかさんの童話は中学生から高校生の頃にハマっていて、私の文体に大きな影響を与えていると思うのですが【どこが】、童話のイメージからはちょっと想像し辛い話です。エッセイには、そのような話があったかもしれません。私は一人でも平気なタイプなのですが、案外何か奥深いところで共感しているのかもしれません。

二人目は、出口保夫さん。

遠くの国ぐにを旅することは、若者にとって自己発見の機会ともなるであろう。しかしその自己発見がより深められるためには、われわれ日本人としての、歴史やその思想的基盤について認識をあらためておく必要があるだろう。
(出口保夫「「グランド・ツア」をしよう」、p.246)

海外の文化を理解するためには、海外ではなく日本の文化を深く理解しておかないといけない、という話です。比較するためには両方の知識が必要ですから当然のことですね。しかし日本の歴史教育は個人的にはどうもあらゆる箇所で歪んでいるように見えます。特に「なぜ」をもっと追求すべきです。

次は柴田敏隆さん。

台本を記憶するためにマッチ棒三十本を右のポケットに入れ、一回台本を読み終えるごとにこれを左のポケットに移してリピートしたことがあるが、友人の高名な漫画家は、一つの絵に六十回のデッサンを繰り返すといった。優れた俳優は台本を百回読むという。
(柴田敏隆「心優しい悪辣人に」、p251)

暗記が得意な東大生が、覚えられない単語は50回は書いたという話があるのですが、覚えるためには何度も繰り返すという必然があるわけです。暗記が得意な人ほど何度も繰り返している、苦手な人ほど繰り返さない、というのが現実のようですが、ということは暗記力イコール反復力なのかも。ところで友人って誰でしょうね。

という感じで今日の最後は、マリ・クリスティーヌさん。

初対面では、相手もこわい、あなたもこわいとお互いに思っているものです。
(マリ・クリスティーヌ「異国のカマのメシを食べて」、p.258)

相手の考えていることは分かりませんが、だいたいどの人も似たようなことを考えているわけです。


新・学生時代に何を学ぶべきか
講談社 編集
ISBN: 978-4062089722