今日も本を読まなかったのですが、全く読んでいないというのは緊急事態かもしれません。
ということで雑記として書きますが、先日から紹介している「日本人を考える」の中の一節から。
日本語にはいろいろ問題があるにしても、むつかしい哲学でも精密科学でも自国語で書ける。
(p.259、桑原)
司馬遼太郎さんではなく、対談者の桑原武夫さんの言葉です。確かにインターネットもアプリケーションも日本語なのですが、カタカナで書いたら自国語だと言ってもいいのかな、という所がちょっとひっかかります。だからといってプログラムを算譜と書いたりしたらもっとひっかかります。
プログラミング的には、外来語をカタカナにすると日本語として使えるというのは外部コードを importするようなものかもしれません。
個人的には iPhone をアイフォンと書いたり、Android をアンドロイドと書くのは、ちょっと違和感があります。4K画質の「K」は日本語なのか、というのも多少ひっかかります。これは4ケー画質と書いたら通じないような気がします。