Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

雑記

今日は眠いので雑記にします。礼記の下巻は一応ざっと目を通しているのですが、下巻は本当に礼に関する記述が多くて、読んでいてダレます。

一つ、何だこれはというのを紹介してみます。

鼓○□○○□□○□○○□、半○□○□○○○□□○□○魯鼓。○□○○○□□○□○○□□○□○○□□○、半○□○○○□□○薛鼓。取半以下為投壺禮、盡用之為射禮。魯鼓、○□○○□□○○、半○□○○□○○○○□○□○。薛鼓○□○○○○□○□○□○○○□○□○○□○、半○□○□○○○○□○。
(礼記 下、p.896、投壺第四十)

投壺の礼というゲームがあって、引用はこのゲームの音楽を説明してあるようです。礼記にはこの種の話も出てくるのです。

雑記

今日は疲労が取れないので雑記にします。

2月8日に書いた内容に「音韻語」という言葉が出てきますが、これは何だという話があったので補足します。簡単にいえば音韻を持つ語のことなのですが、

意味とペアになっているかどうかに関わりなく、発音をもつもの
(思考と意味の取扱いガイド、p.58)

大抵の語は発音できるので音韻語であり意味もありますが、「ひでぶ」みたいな意味不明な音韻語もあります。「ま゛」は音韻語かといわれると微妙になります。kwsk は多分発音できない(できるのか?)ので意味があっても音韻語ではありません。

雑記

今日はもう眠いので雑記にします。礼記は下巻に突入しました。少し読み進めましたが疲れました(笑)。

一つだけ、気になったところを紹介してみます。

孔子曰、天地不合、萬物不生。
(礼記、p.766、哀公問第二十七)

これに対する現代語訳は「天と地とが和合せねば万物は生まれません。(男女が結婚してこそ子孫が続くのです)」(p.767) となっています。当たり前といえば当たり前なのですが、国会でこういうことを言ったら大炎上しそうな気がします。

ことばと思考

今日の本は、今井むつみさんの「ことばと思考」です。

言葉、言語によって思考は変わるのか、という話です。

ことばというのは、世界をカテゴリーに分ける。
(p.3)

「分かる」という言葉には「分」という字が出てきます。分けることができれば分かったことになる、という考え方は割と定番です。これは集合論的な考え方で、例えば犬という言葉は、世界に存在しているモノを「犬」に属するものと「犬」に属さない犬以外のものに分けるのですが、分けることが可能なら、犬とは何なのかが分かっているはずだ、ということになります。

言語と思考というネタだと必ず出てくるのが色の話ですが、

実は日本語も同様で、黒に近い、濃い青を「紺」と呼ぶ。
(p.22)

ここで問題にしているのは、青と紺が違うカテゴリになるかどうかです。先日紹介した本には、日本語の青が green を含んでいるという話が出てきました。 この本にも出てきます。 実は日本語の「あお」には「青」「蒼」「碧」の3つがあって、和色の「あお」はこの3つは使い分けています。案外細かいのです。

この本には、日本語の名詞に基本的に性別がないという話も出てきます。英語にも基本的にありません。例外的に、ship は女性なので代名詞で受ける時に she とする書き方がありましたが、今は ship も it で受けるそうです。

ドイツ語やフランス語は名詞に性別があって話をややこしくしています。 この本が紹介しているのはザンデ語で、名詞を男の人、女の人、動物、それ以外という4種類に分類します。その分け方も単純ではないという例として、

月や太陽、星などはどういうわけか「それ以外」ではなく「動物」カテゴリーに入れられる。

これは単純に月、太陽、星を動物だと解釈しているのではないかと思います。 太陽は姿を変えるので、生物だと考えても別に不思議ではありません。むしろ無生物だと考えると明るさや色が変わるのは不思議ではないかと思います。

日本語でもう一つ特徴的なのが、数え言葉です。人を「一人」というのはわかるとして、なぜ動物は「一匹」なのか。ウサギは「一羽」なのか。細かいことはおいといて。

近年、日本では、モノの数え方が、伝統的な助数詞ではなく、なんでも「つ」や「個」で代用することが多くなっている気がする。
(p.81)

個人的には同感です。

最後に、言語学者鈴木孝夫氏のエピソードが面白かったので紹介しておきます。

鈴木氏は英語の orange という色のことばを日本語の「オレンジ色」と思い込んでいた。その結果、レンタカーを借りたとき、orange car が来る、と言われ、ずっと待っていたのにいくら待っても車は来ない。かわりにこちらの様子をうかがっている茶色(と鈴木氏には思われた)の車がホテルの前に停まっていた。
(p.215)

orange という英語は茶色も含んでいるという話です。個人的には、オレンジ色というと赤と黄色の中間の色のイメージで、確かに茶色という発想はないです。


ことばと思考
今井 むつみ 著
岩波新書
ISBN: 978-4004312789

雑記

流石にもう続かないので今日は雑記にします。で、紹介しておきたいのはこの本。

どこからネタを仕入れたのか分からなくなりましたが、人気急上昇らしいです。でもまだ読んでません(笑)。

 

大ピンチずかん
鈴木 のりたけ 著
小学館
ISBN: 978-4097251385

ちなみに、今読んでいる途中の本は3冊ほどあって、難解・長編のものが多いのでココで紹介するのに間に合いません。Windows 11 と格闘しているというのもあって、時間が足りないです。花粉にも困っています。

 

アフターコロナの生存戦略

今日の本は「アフターコロナの生存戦略」。著者は元マイクロソフト社長の成毛眞さんです。

ざっと読んでみて思ったのが、読みやすいということ。でもなかなか書いてあることを実践するのは難しそう。

ところで、

よくいわれるように、なんでもいいから3000時間やればものになるという説を私は信奉している。
(p.047)

副業で小銭を稼げるようになるには3000時間頑張ればいい、という話です。ただ、私はこの話を聞いた記憶がありません。単に記憶力がないだけかもしれませんが、1日10時間で300日、という感覚で想像すれば、何となく納得はできます。

ちなみに以前紹介した「超一流になるのは才能か努力か?」には、一流になるには1万時間という話が出てきました。

話は変わって、アメリカが TikTok を排除しようと動いている件について、

ユーザーの個人情報が抜かれる可能性があるのではないか
(p.088)

その気持ちは分かります。個人的には GoogleFacebook に対しても危機感を持っています。意図的でなくても、どんなトラブルで外部に出ていくか分かりません。パスワードもカード情報もできるだけ保存しないようにしているし、そもそも、クラウド上にデータを置くのは怖いです。Line なんか、グループ限定の情報も、全部どこかの国のサーバーに保存されていて管理者が見ることができる前提で考えています。

転職ネタはちょっと面白いと思いました。入社3年目で退職する人が3割いる、という話はかなり前からありましたが、成毛さんは3年で退職を考えろ、という主張のようです。

いよいよ3年間勤め上げ、4年目になるところで、決断すればいい。感覚的には5割の人は辞めるべきだと思う。判断基準は「どうしても残りたいかどうか」だ。
(p.111)

3年やっても「どうしても」が出てこないのならその仕事には向いていないということです。それはそれで一理ありますが、希望する仕事に転職できるのかという問題もあります。

今日の一言はこれで。

無責任なように聞こえるかもしれないが、仕事人生9割は運だ。
(p.105)


アフターコロナの生存戦略
不安定な情勢でも自由に遊び存分に稼ぐための新コンセプト
成毛 眞 著
KADOKAWA
ISBN: 978-4046050267

礼記 中 (5)

今日は礼記の雑記から紹介します。礼記の中には雑記という巻があるのです。

君子有三患。未之聞、患弗得聞也。既聞之、患弗得學也。既學之。患弗能行也。
(p.649、雜記下第二十一)

患は「憂い」と解訳されています。3つの患というのは、

何か知らなかったときに、それを知らないこと

知っているがそれだけのことで、身に付いていないこと

身に付いているのだが活かしてない、実行できないこと

この3つです。知識を持つだけではダメで、使うということが重要なのですね。このような表現を見ると、漢文がよく構造化されていることが体感できます。

君子有五恥。居其位無其言、君子恥之。有其言無其行、君子恥之。既得之而又失之、君子恥之。地有餘而民不足、君子恥之。眾寡均而倍焉、君子恥之。
(p.649、雜記下第二十一)

続いて恥について述べた個所です。ここは竹内さんの解訳を見ましょう。

その地位にいながら、ふさわしい意見を述べられないことを恥じる。意見は述べてもそれを実行することのできないのを恥じる。既に得た地位を、わが無能のゆえに、また失ってしまうことを恥じる。わが治める土地の広さに比して、集い来る人民の少ないことを恥じる。かれとわれを用いる人民の数等しくして、しかもなし遂げる事功において、われはかれの半ばにも及ばないことを恥じる。
(p.650)

最初の2つは分かりやすいでしょう。既得之而又失之について、「得」を地位を得ることと解釈していますが、ステータスとかスキルにおいても同じことが言えるでしょう。眾寡均而倍焉の所は、倍というのが面白い。2倍というのが分水嶺になっているのでしょうか。

さて、もう一つ、あまり深い意味はありませんが、祭義から。

諸侯為藉百畝、冕而青紘、躬秉耒。
(pp.714-715、祭義第二十四)

青という表現が出てきますが、青紘は冠に付ける青い紐のことのようです。この青という色が、我々がイメージしている青と同じかどうかは微妙でしょう。

礼記の中巻は今回で終わりです。


礼記
竹内 照夫 著
新釈漢文大系
明治書院
ISBN: 978-4625570285