今日は礼記の下巻から面白いと思ったところをいくつか紹介します。
子云、善則稱人、過則稱己、則民不爭。
(p.795、坊記第三十)
善いことは他の人がしたと賞賛し、失敗は自分の責任にすれば、世の中の争いはなくなるよ、というような話です。この後、このパターンの話がいくつか続きます。言いたいことは分かるのですが、本当にそう上手くいくものだろうか何か疑問です。あるいは、現実はそうなっていないと指摘したいのかもしれません。
君子不盡利以遺民。
(p.804、坊記第三十)
君子は利益を全てぶん取ってしまわず、民に取り分を残しておく、という話です。力を持っている人が全力で取りに行ったら何も残らなくなる、といいたいようです。今の世は全部取りに行く人が随分多いような気もしますね。でも取れないのですが。
話は変わって、「表記」から。
君子不以辭盡人。
(p.831、表記第三十二)
君子は人を言葉だけで判断しない、という意味です。行動も評価の対象にするということです。まあ当たり前のことのはずなのですが、国会中継とか見てると、行動はどうでもよくて言葉だけで批判しているような気がすることがあります。
何にせよ、口だけで実行が伴わない人は、あまり社会の役にはたちません。これには続きがあって、
故天下有道、則行有枝葉、天下無道、則辭有枝葉。
(p.831、表記第三十二)
すなわち世に道の行われて治まっている時は、人びとは言葉以上に善行を示すが、道の行われず乱れた世では、人びとは実行よりも言葉に花を咲かせるものである。
(p.831)
竹内さんの解説の「言葉に花を咲かせる」という表現がいいですね。社会がうまく回っていればあえてアレコレ言う必要はありませんから言葉は出てきません。混乱した世の中では、こうすればいいという案はたくさん出てきますが…
また話変わって、「儒行第四十一」には、儒者の生活が出てきます。
易衣而出、并日而食
(p.902、儒行第四十一)
一着しかない服を家族で外出時に使いまわす、食事は2、3日に1回だけ、というのですが、いくら何でもそこまでやりますかね。死にそうな気がします。
今日の一言はこれで。
大人不倡遊言。
(p.839、緇衣第三十三)
できないことは言うものではない、ということです。不言実行という言葉もありますね。