Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

礼記 中 (2)

今日は礼記の中巻の続きです。紹介するのは「學記第十八」。學記というのは、

学問の目的、教育の方法、教師の責務などを述べ、かつ尊師の風を強くすべきことを説く。大学篇と合して儒教の学問論の基礎をなしている作品である。
(p.542)

ということで、この篇は教訓的な話がたくさん出てくるので読んでいて割と面白いです。ちょっとわざとらしいと言えばそうかもしれませんが、まずこれを。

玉不琢、不成器、人不學、不知道。
(p.543、學記第十八)

このたった12文字の均整の取れた表現が見事です。竹内さんの解説はこうです。

玉も、磨いて光沢を出さなければ、宝玉として通用しないように、人は、学んで物ごとの道理を心得ぬことには、才能を発揮することができない。
(p.543)

「知道」を「才能を発揮する」と説明しています。道を知るという言葉の億の深さには、もう一段先があるような気がします。

故曰、教學相長也。兌命曰、學學半、其此之謂乎。
(p.543、學記第十八)
だから昔から、「教えることと学ぶこととは互いに助け合う」と言われている。兌命に「教えることの、その半分は学ぶことである」とあるのは、これ(昔からの言葉の趣旨)を言ったものであろうか。
(p.543)

教えるという勉強法があります。一人でやればセルフティーチングとかいいます。勉強ができる生徒は他の生徒に教えたがるものですが、これは教えることが自分の勉強になることを知っているからでしょう。教える時に自分が分かっていないことに気付き、そこに対応することで自分自身が学ぶことにもなる、と言えるでしょう。

蛾子時術之。
(p.544、學記第十八)
蟻の子は土をくわえることを習って怠らぬ。
(pp.544-545)

蟻が大きな蟻塚を作ることができるのは、蟻の子が土をくわえることを学ぶからだという話です。基礎を確実に学び身に付けることの重要性を説いています。

(つづく)


礼記
竹内 照夫 著
新釈漢文大系
明治書院
ISBN: 978-4625570285