Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

礼記 上 (2)

1月はとりあえず本の紹介で1日から31日まで埋まったのかな、もう後が続かないので雑記とかアニメを混ぜたいのですが、とりあえず今日は礼記の続きです。

まずこのあたりから。

孔子曰、啜菽飲水盡其歡、斯之謂孝。
(p.159、檀弓下第四)

Yahoo!知恵袋でよくある質問のパターンが、現役で合格して親孝行したいとか、浪人したり私立で大金使わせるのは親不孝、みたいな内容です。

そもそも親孝行って何だよ、というのがコレで「豆の汁と水しかないような生活であっても、それで親が喜んでいたら親孝行になるのだ」。豆の汁というのがどの位の貧困なのか想像できないのですが、今時の親がどうすれば喜ぶのかというのは難問かもしれません。子供が好きなことをして生きてくれたらいい、という親もいそうな気はしますが。2ちゃんやLINEのダメ親話を見てると、絶滅してないかと心配になります。

次の話は、国とはどうあるべきか的なものです。

國無九年之蓄曰不足、無六年之蓄曰急、無三年之蓄曰國非其國也。
(p.197、王制第五)
その国に(国民全部に対し)九年ぶんの食糧の蓄えのないのを不足と言い、六年ぶんのないのを急(危険)と言い、三年ぶんのないのを、国は国でも真の国ではない、と言う。
(p.198)

王制というのは王者の政治制度で、

王者のとは、本文首章の語訳に説くように、儒教における「理想的な」物ごとをさすから、王制篇には、理想的な政治制度のあらましが記録されている、と解してよい。
(p.185)

ということで、ここは理想が書かれていると考えていいでしょう。

日本のような超絶高額の借金を抱えている国はどうなんでしょう。借金といっても今の経済は礼記の時代とは違う原理で動いているので「食糧の蓄えのない」とはかなり様子が違いますが。9年間持ちこたえる蓄えがなければ不足、という明快な定義を出してくるあたりが心地よいです。そういえば聖書には7年の飢饉とか出てきたような気がします。

もう一つ、これは現代の政治家達に考えて欲しい話ですが。

中國戎夷、五方之民、皆有性也、不可推移。
(p.204、王制第五)
――わが中国には、戎夷など四方の民と、中央(中華)の民とを合わせ、五方の民が住むが、それぞれに異なる性質を持つのであり、強いて変化させ、統一しようとしてはいけない。
(p.204)

竹内さんの意訳が詳しく書いてあって助かります。日本はほぼ単一民族、とか言ったら噛みつかれるかもしれませんが、最近はグローバル化が進んでいるとはいえ、中国ほどの文化・風習の異なる民族が混在した状態ではないでしょう。礼記はそれに対して「不可推移」と戒めています。ということは、そうしなかったためにヤヤコシイ問題が起こっていたのでしょう。今も何かややこしくなっているような気もしますが。

もうちょっと紹介したい話があるので、次回に続けます。

(つづく)


礼記
竹内 照夫 著
新釈漢文大系
明治書院
ISBN: 978-4625570278