Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

檸檬

今日は「言志四録」でも紹介しようと思っていたのですが、これはキツいですね。旧字で書かれている箇所を引用するために入力するだけで時間が過ぎていきます。ということで、今日は青空文庫で最近読み直した、梶井基次郎さんの「檸檬」です。

この作品は高校の国語で教えることがあるのでしょうか、掲示板の質問でよく見かけます。質問が多いのは、夏目漱石さんの「こころ」と、この「檸檬」が双璧のような気がします。どちらも高校生には手に負えないのでしょう。人生経験がないと妄想できない世界が含まれている作品を高校で問題に出すのは酷です。作品名を漢字で書け、程度の設問にすべきです。

えたいのしれない不吉な魂が私の心を終始圧えつけていた。

これでは冒頭からいきなり何のことか分からないでしょう。この後に説明的な文章が続きますが、酒酔(ふつかよい)と言われても実体験のない高校生には理解できません。私の年代なら高校生は飲酒経験が当たり前で、大学生になった時に酒の飲み方を知らないと大変だから、どれだけ飲めるか自分で覚えておけとか言われたのですが、今では大学どころか大卒で就職しても酒を飲まない人が結構いるそうです。煙草も吸わない。酒と煙草は文学作品には必須のアイテムなので、それが実感できないと書いてあることも分からなくなります。という私は実は煙草を一度も吸ったことがないのですが、雀荘やパチンコ店の煙草で霞むような雰囲気は好きでした。

梶井さんは第三高等学校(今の京都大学)に入学後、かなりやんちゃなことをしていたようです。授業をサボって留年もして、成績は不良ですが何とか卒業して東京帝大文学部に入学しますが、「檸檬」という作品は第三高等学校の時代に元になった作品が書かれたと言われています。

何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。

これを理解するためには、病弱であり、三高に行く気もなく京都界隈をふらふらしていた梶井さんの心境にシンクロする必要があります。見すぼらしいというはある意味梶井さん自身の投影だと考えることができます。しかし「美しいもの」は梶井さんとは相容れない世界に存在します。重要なのはそのバランスです。

この作品で特筆すべきは、檸檬ではなく丸善でしょう。

生活がまだ蝕まれていなかった以前私の好きであった所は、たとえば丸善であった。

私も文房具店や書店は好きなスポットで、大阪にいた時は梅田の紀伊國屋書店によく行ったものでした。何を買うでもなく、何時間もあちらを見てこちらを見てを繰り返して、

そして結局一等いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするのだった。

というようなことをするのです。分かります。ただ、梶井さんは「以前」と書いているので、その後、好きでなくなってしまったのです。お気に入りのスポットはある時から戦場となった。そこに梶井さんは戦いを挑み、完全に不利な戦況の中で檸檬を置いて逃げるのです。

丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。

この「おもしろい」という感覚は、落ちこぼれ、取り残された人間が持ちえる感情として現れるものだと思います。実際は、そんなに面白くはないのです。

そして梶井さんは京極を下って行くのですが、この作品は京都の地名がたくさん出てきますから、土地勘がない人には、座標が少しズレただけで異次元の世界にワープする京都の街の面白さはピンとこないでしょう。今なら Google の Street View で見ることもできるので、檸檬の街を仮想旅してみるといいかもしれません。

 

青空文庫梶井基次郎 檸檬
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