Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

かくれさと苦界行

今日紹介するのは隆慶一郎さんの「かくれさと苦界行」。「吉原御免状」の続編である。登場人物の松永誠一郎は後水尾法皇の隠し子で宮本武蔵に育てられ吉原の惣名主として裏柳生と戦うという、ラノベに出てくる最強戦士のようなキャラだ。宮本武蔵に育てられたというだけで無敵っぽいが、さらに前作で柳生宗冬に新陰流を伝授されている。しかも、宗冬にはできなかった無刀取りまでマスターしてしまう。

すべての剣の技術は自得するしかない。師によって教えられるのは型にすぎず、それを己のものにするには各人の天性と果てしない研鑽によるしかない。その技術が己れの本能と化するほど鍛え込んで、はじめてその技法は力を持つ。
(p.422)

誠一郎は無刀取りの型だけを宗冬から教わり、それを実践できる工夫を自分自身で編み出したのだ。「自得するしかない」というのは剣の道に限らず、プロフェッショナルの技については何にせよ言えることだ。理屈ではなく体が覚えた状態にならないと、プロの技とは言えない、そんな世界がある。

誠一郎を狙うのは遺恨だらけの柳生義仙。前作で片腕を斬り落とされている。義仙が酒井忠清と手を組んで誠一郎を倒そうとする、というのがざっくりストーリー。最後はなんでそうなるの、という驚異のどんでん返しがあるのだが、それは伏せておこう。

もちろん誠一郎は最強キャラだから、簡単には倒せないし、策がことごとく失敗する。忠清はのっけから誠一郎を闇討ちにしようとするが、差し向けた三十人が殺された上に指揮を任せた柳生の狭川が遁走してしまい、何の報告も連絡もないのでイライラしまくっている。

どんな失敗でも、状況さえ分れば対処の法はある。状況が分からなくては、何一つ手をうつことも出来ないではないか。
(p.53)

狭川にしては、連絡どころではなく、全力で逃げないとヤバい状況なのだ。そこまで恐れた相手は荒木又右衛門。これも誠一郎と互角の化物キャラで、本作は荒木又右衛門が最初から最後まで活躍する。

又右衛門は死に場所を探しているのだ。この人生観は「影武者徳川家康」に出てくる島左近を思い出させる。

生きすぎた者の辛さは分かるまい。
(p.122)

先日紹介した黒蜥蜴にも似たような雰囲気が漂っていたが、ただ生きるよりもよく死ぬことが、これはなかなか難しいようだ。

荒木又右衛門は獣のような風貌らしいが、この世の覚者になるため修行をしている。しかしなれなかった。これが面白い。

これまでだな。そう又右衛門は己に云った。これが荒木又右衛門という男の限界であろう。果てまで来たのである。そう思い定めてからというもの、又右衛門は生が楽になった。
(p.294)

悟ろう、覚ろうと力んでいたときには見えないものが、どうでもいいと思った瞬間に見えてくる。力を抜かないと見ることができない、そういうモノが世の中にはある。限界を知ることで限界を超えることができるのは、限界が分からないと超えることができないという当たり前のことなのだ。

時代小説だから斬り合いのシーンは多々出てくる。意外なのが、終戦当時の逸話である。昭和20年代の話だ。

中でも戦闘の中ではなくて人を殺した男、即ち捕虜を斬り、或は無辜の民衆を殺戮した男たちは悲惨だった。
(p.318)

まだ紹介していないが、ティム・オブライエンさんの「失踪」にも同様のシーンが出てくる。ベトナムで一般市民を虐殺した兵士の頭がおかしくなっていく。アメリカに帰っても夜中にいきなり起き上がる。悪夢を見るのだ。

戦争はそれ自体が巨大な狂気である。狂気の中にあって生き永らえるには、己れ自身も狂気になるしかない。
(p.318)

その大きな力に操られて人殺しをする人達の心を誠一郎は心配している、そんなキャラなのだ。スーパーマンの心の中は優しいのである。

最後に、気に入った一言を紹介しておこう。

正直な告白という言葉ほど、いかがわしいものはない。
(p.336)

 

かくれさと苦界行
隆 慶一郎 著
新潮文庫
ISBN: 978-4101174136