Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

戦中派不戦日記 (八月十四日~)

今日は「戦中派不戦日記」の8月頃から。昨日は日本人の心理について…とか紹介したが、教育論に関する話もいろいろ出てくる。

過去の日本の教育に関して、もう一つ痛恨の念に耐えないのは、それが各自の個性を尊重しなかった点である。頭を出せばこれを打つ。少し異なった道へ進もうとすればこれを追い返す。かくて個人個人には全く独立独特の筋金の入らないドングリの大群のごとき日本人が鋳出された。
(八月十四日)

この日は玉音放送の前日であり、原爆が落ちたのは6日、9日だから、その後に書かれたわけである。山田さんは敗戦が事実上確定したのを踏まえて、教育が敗戦の一因だと言いたいのだろう。ただ、山田さんをどう見てもそのドングリの大群には当てはまらないような気がするのが妙に気になる。

この種の教育論は他にも出てくる。

「なぜか?」
 日本人はこういう疑問を起すことが稀である。まして、
「なぜこうなったのか?」というその経過を分析し、徹底的に探求し、そこから一法則を抽出することなど全然思いつかない。
(八月十六日)

だとすれば、やはり山田さんは日本人ではないように見える、あるいは世にも稀な例外中の例外なのか、日記を読む限りは「なぜか」の分析がてんこ盛り過ぎるのだ。

ちょっと話を変えて、日本人の顔について、

東京に一番乗りしたアメリカ記者が「日本人はいかにも疲れたような顔に見えた」といっていたが、これは別に敗戦に疲れたのではなく、もともとそうなのである。一番旗色のいい時でも、やっぱりこういう疲れたような顔をしていたのである。
(九月二日)

これは面白い。外国人が日本人をみると疲れているように見えるというのだ。今もそうなのだろうか?

敗戦でアメリカ人がたくさん本土に入ってきた。そのような話もたくさん出てくるようになるが、京都が爆撃を逃れたことについて、

もしアメリカにこのような古都があるならば、日本は勿論これを潰滅するのに何の遠慮をも感じまい。
(九月三日)

こんな感じだから、山田さんとしては終戦となっても戦時中以上にアメリカはどこまでも敵視すべき対象なのだろう。ただ、アメリカ兵も豪快に好き勝手していたようだ。

高山にて使役中なりしアメリカの捕虜大いにあばれ「ビール! ビール!」或は「オンナ! オンナ!」とさけびつつ各家にあばれこみ、アキちゃんが黙ってにらんでいたら、いきなり踊りかかって頬を殴られたという。するともう一人の捕虜がやってきて、これをなだめ、ひっくり返した下駄箱をもとに直し、家人におじぎして去ったという。
(九月十一日)

この時点では既にアメリカの捕虜といっても日本人より立場は上位になっているはずだから、それで好き放題にやっているということなのだろう。このような敗戦直後のリアルな状況はあまり歴史の教科書には出てこないようだが、次のような話は他の本で読んだような記憶がある。

支那奥地から海軍に引揚げてくる邦人は、略奪蛮行の極をつくされているという。朝鮮の日本人は、とくに日本女性はその九〇%まで陵辱されたという。
(九月十二日)

こういうことは重要なので、検定教科書に書いておくべきだと思うが、もしかして既に書かれているのだろうか。私が生徒だった頃には書いてなかった。

アメリカの占領下になると、マスコミは一斉にアメリカ寄りの内容になる。アメリカ寄りというか、反アメリカ的なことを書いたら全て検閲で消されてしまうし、そもそもどのような処分になるか分からないから怖くて書けない。その報道の内容だが、戦犯としての東条英機の報道に関して、

アメリカ人は、東条大将をヒトラーに匹敵する怪物に考えているらしいが、これは滑稽である。日本人は東条大将を、戦争中も現在も、唯一最大の指導者であったとは考えていない。一陸軍大将だと思っているに過ぎない。
(九月十七日)

宇宙戦艦ヤマトの沖田艦長みたいな感じですかね。国を支配しているのではなく、軍を指揮しているという感覚なのだ。では日本を戦時中に支配していたのは何かというと、軍部という実体がよく分からない漠然とした概念になってしまう。一人カリスマが独裁したというようなモノではなかったのだ。これは今の日本だってそうだろう。

さて、終戦直後に自決した軍人は、それなりにいたのだが、

「過去二十四時間に日本の名士百八十八人が自殺した」と外人が報じている。これまた日本の中世紀的やり口として、野蛮なる方法として吾々は将来教え込まれるであろう。しかしこの自殺、大部分は切腹という日本独特の道徳はおそらく永遠に失われないであろう。
(九月十七日)

この時点での予想としては何一つ不自然なところはないと思うが、今になってみると、悉くおかしなことになっている。まず、自殺に関して野蛮と評されたかどうかが定かではない。ハラキリというのが不思議な慣習といういうのは外国人にも理解されているようだが、そこに野蛮という属性が対応しているのかどうかだ。そして、切腹が野蛮という教育は今の日本では行われていない。次に、自殺という道徳が失われないというのだが、今やそんな道徳はほぼ絶滅している。しかし自殺は増加しているという。それは道徳ではなく主に社会悪の結果、例えば過労が原因だとみなされている。時代は変わったか。

先にアメリカ兵の蛮行について紹介したが、そういう話はいくらでも出てくる。

夜、アメリカ兵が民家に押し入って来て、箪笥などひっかきまわしてゆくが、お雛様などならべておくと、これだけ取ってゆくから厄除けになるという。
(九月十九日)

アメリカは日本を占領しただけでなく、占領という名目で強奪、略奪していたのである。もちろんそれに対する補償も謝罪も一切ない。このような事実も、もちろん学校では教えてくれないだろう。検閲は占領時から今に至るまでずっと続いているわけだ。

ただ、次のページのこれは面白い。

某軍人は強盗に入った米兵の中三人まで斬って米軍司令部に出頭したが、正当防衛としてすぐ釈放されたという。
(九月二十日)

強盗は黙認していたが、ルールとしては禁止していた、というところか。

(つづく)


戦中派不戦日記
山田 風太郎 著
角川文庫
ISBN: 978-4041356586