Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

仇討ち

今日は時代小説、池波正太郎さんの「仇討ち」なのだが、私が読んだのは昭和五十二年発行の文庫本の初版。Amazon で調べると 2007年に発行されている文庫本もある。

収録作品は確認していないのだが、もしかすると違っているかもしれない。

8つの作品が入った短編集。最初の作品「うんぷてんぷ」以外は全てバッドエンドで、中には微妙なものもあるが、仇討ちというのがどんなに厳しい世界なのか痛烈に感じさせてくれる。見つからないと十年、二十年、見つかるまで延々と仇討ちの旅が続く。

「仇討ち七之助」では、七之助の腕ではどうしても仇を討てない。ついには、病気になって倒れたところを仇に助けてもらってしまう。

七之助殿よ。おれをも討たず、したがって故郷へも帰れぬというのなら、どうだ一緒に……一緒に、おれと暮らそうではないか」
(p.68)

どうしようもないのなら、武士のしがらみなど捨てて新しい人生を、というのである。この後さらにバッドな結末がやってくるのが面白い。

エデンの果ての家

ミステリーというと犯人探しのイメージだが、この話はいきなり容疑者が逮捕されるところから始まる。

「葉山秀弘。実母、葉山直子の殺害容疑で逮捕する。二月七日午後四時二十三分」
(p.8)

殺人事件である。後でもう1人、七という被害者が出てきて、秀弘は再逮捕される。この秀弘の弁護をめぐって、容疑者の兄である和弘と、父である敬一がジタバタするストーリー。

和弘にとって父親は

お前には失望したよ
(p.21)

と言い切る人物であり、母親は、

蘇ってくるのは、痛みを伴う記憶ばかり
(p.36)

という感じでいい思い出がない。結局、和弘が身に付けた処世術は、

父に認められることも、愛されることも、諦めた。諦めてしまえば、酷い言葉をぶつけられても、受ける傷は小さくて済む。
(p.141)

というものだった。

フィクションに目くじら立てるのも何だが、この話には状況証拠しか出てこない。そこに日本の現実がシニカルに描かれているような気がしないでもない。小説としては一応の結論は出ているのだが、決定的な証拠がないため、実は思わぬ真犯人が…という可能性も最後まで捨てられない。例えば主人公の和弘が犯人というシナリオだって描けてしまうのではないか。タイトルの「エデンの果ての家」の意味は巻末の解説にも説明されているが、カインとアベルの話が出てくるのなら、兄弟間の確執は何かの伏線として存在しなくてはおかしいのである。最初に出てくるエピソードで、小学校の運動会、

母は、僕がリレーに出ることを知っていたのに、トイレに行っていた……
(p.36)

些細なことかもしれないが、これが

あの時に受けた衝撃と痛みは、今でもはっきりと覚えている。
(p.36)

このように、トラウマとなって和弘の人格にずっと残り続けている。ところがこの重大なエピソードが、最後の最後になって、この記憶自体、実は間違いであることが分かってしまう。和弘の記憶は信用できないのである。自分の都合のいい(悪い?)ように歪曲されているのだ。そこに疑いの目を向けて読むと、この小説は主人公の不安定な性格というもうひとつの側面が見えてくるような気がする。


エデンの果ての家
桂 望実 著
文春文庫
ISBN: 978-4167909055

雑記

今日は本棚に入っていた、昔読んだマンガから2冊、何となく手にとったものを紹介します。手塚治虫さんの作品です。

「空気の底」は短編集ですが、この中の「野郎と断崖」は小学生か中学生の頃に読んだときの印象が強烈でよく覚えています。文庫本は1995年発行なので、多分その時に買って読んだのだと思います。

火の鳥「望郷編」は、角川文庫版は一部カットされた版なので Amazon のレビューと噛み合わない感じですが、根っこにある思想は「空気の底」の短編と同じ匂いがします。

エピソード魔法の歴史―黒魔術と白魔術

新年早々こんな本なのか、と思ったが、まあいいか。

魔術だけでなく、錬金術、占い師、魔女、怪物、幽霊などのオカルト全般における知識が浅く広く紹介されている。そちらの世界に興味がある人にとっては、それなりに面白いと思う。ただし、訳者あとがきによれば、

このシリーズはとくにハイティーンたちのためにフィクションやノンフィクションのすぐれた単行本を集めたもの
(p.269)

とあるように、あまり内容に踏み込んだものではないため、本気で詳しく知りたいのなら他の本をあたる必要があるだろう。位置づけとしては、入門者向けというところ。

常人には理解できないことができるのが魔術であるなら、先進的な知識や技術を持つ人はそれを持たない人からは魔術師のように見えるのである。例えばアグリッパ(1486-1535)は妖術使いといわれた理由として、遠い世界で起こっていることを知っていたからだとして、

彼はほとんどあらゆる国々の賢人たちと広く文通を交わしていた(アグリッパは八ヵ国のことばを知っていた)ので、彼らの手紙のおかげで世界の最新のニュースに精通していたということだけのことだった。
(p.59)

インターネットを知らない人から見れば、ネットでググれる人は魔術師のように見えるだろう。


エピソード魔法の歴史―黒魔術と白魔術
G.ジェニングズ 著
市場 泰男 翻訳
社会思想社
教養文庫
ISBN: 4390110101

ゴッドウルフの行方

ミステリー…じゃなくてハードボイルド。スペンサーシリーズといえば有名らしいが、私は他には読んでないと思う。一気に読んでみようか。

推理小説といえばそうだが、命は狙われるし、仕方ないから探偵が殺してしまう、みたいなパターン。出だしからしてちょっとハードな感じがする。

学長のオフィスは、ヴィクトリア朝時代の繁盛している売春宿の応接間のようだった。
(p.7)

行ったことないからイメージできないのだが。

主人公の私立探偵スペンサーは皮肉屋である。いろいろ余計なことを言うのが面白い。

「お嬢さん、この世の中には、自分が知っていることをすべてわたしに話してくれる人間なんかいない、それがけだものの習性なんだ」
(p.24)

お嬢さんと呼んでいる相手はテリィ・オーチャード。この後、殺人犯の濡れ衣を着せられることになるが、まだこの時点ではのほほんとしている。ざっくりいえば世間知らずのお嬢さん。親は金持ち。割とありがちなバックグラウンドだ。ありがちといえば探偵も当然そうだ。おまわりとコネがあって腕が強くて散々な目にあうけど死なない設定になっている。

もちろんマフィアにも脅される。

ブロズが言った。「ソニィは自分の能力を誇張していたようだな」
「たんに、おれの能力をみくびっていたのかもしれん」
「どっちかだ」ブロズが言った。
(p.122)

論理的には両方というケースもありますが。論理的というよりは実践的合理主義といったところか。ブロズはギャングで、ソニィは用心棒。用心棒にこの探偵を少し痛めつけてやれといった(実際は何も言っていない)のに痛めつけられたのはソニィの方だった、という話。しかしスペンサーはスーパーマンではないから結構ダメージを受けている。でも空元気は得意技なのだ。ハッタリでなんぼの世界で生きているから、ハッタリ技は秀逸。

私は拳銃を抜いてテイプ・レコーダーに一発撃ち込んだ。
(p.142)

謎の教団に貼り付けにされているテリィを助け出すシーンである。まずBGMを止めて、拳銃を持ったままテリィを縛った縄を切り、連れてドアの外に出たところで、

「おれは、このドアを閉める」他人の声のように聞こえる声で言った。「少しでも開いたら、ドアを狙って撃つ」
(p.143)

プロなら撃たれずにドアを開ける方法も知っていそうだが、相手は素人なので、こんなことを言われたらドアを閉めた後に追いかけてくるバカはいない。

探偵だけに考え方は合理的で隙もないのだが、どうなるか分からない場合もやってしまうから行動は穴だらけだ。スペンサーによれば知っていることには3種類あるという。

「わかっていて、立証できること。わかっていて、立証できないこと。それと、わからないことだ」

(p.197)

なかなかいい分類だ。


ゴッドウルフの行方
ロバート・B. パーカー 著
菊池 光 翻訳
ハヤカワ・ミステリ文庫
ISBN: 978-4150756529

22世紀の酔っぱらい

SF。微妙な未来の社会が舞台。話が始まるとすぐ、大学で数学を教えているコーナット教授は18階の部屋から窓に近付いていく。

彼は自殺しようとしているのだ。ここ五十日に、彼は九回も試みているのだ。
(p.8)

自殺癖があるわけではない。行動的に自殺しようとしているのは事実なのだが、自殺する気はないのである。無意識に自殺しようとするという不可解な状況なのだ。コーナットは無意識に自殺するのは寝起きの時が多いことに気付く。気付けば対策できそうなものだが、それがなかなか難しい。ついに結婚して寝起きの時に妻に監視してもらうことになるのだが、それでもうっかり自殺を試みてしまう。

ネタバレしてしまうと、割とありふれたオチというか、ぶっちゃけ遠隔操作されているという話なのだが、それってコントロールする側も大変だろう。だって、コーナットがいつウトウトするか分からないのだから、24時間フルタイムでコントロールを試みるしかない。過労死ラインどころじゃない。そんな面倒なことをするより、毒でも使ってサッサと殺してしまった方が簡単だと思うわけだが、そんなことをすると小説が成り立たなくなってしまう。

タイトルに「酔っぱらい」なんて言葉が使われているのは、もちろんそれが重要なポイントだからだが、まあでもそんなにたいした話ではないのだ。酒を飲みながら気軽に読んだ方がいいような気もする。

ストーリーには不死者が出てくるけど、いまいち生き生きしてないところが何かの風刺なのかもしれない。船上ビルとか原住民とか面白いシナリオがいくつか出てくるが、世界観が出来上がる前に話が終わってしまうような所はちょっともどかしい。

ときどき唐突にピリっとしたセリフが出てきてニヤっとする箇所もある。例えば、

ノーといわれるより、もしやという期待を残しておいたほうがいつもいい。
(p.25)

なるほど、演出的には定番の手法なのかな。本文中では「セールスマンの本能」と表現されている。

すべてを見る、つまりどれも見ていないということだ。
(p.186)

確かに。モニターテレビで多数の番組を同時にチェックしているシーンに出てくる。しかし、見ていないのも見ているのも同じだと思えば全然問題ないか。


22世紀の酔っぱらい
フレデリック・ポール 著
井上 一夫 翻訳
創元推理文庫
ISBN: 978-4488644017

雑記

月刊住職という雑誌がある。新聞に毎月広告が出るのだが、いつ見ても気になる記事が満載だ。一度だけどうしても気になるので買ってしまった位だ。

ちなみに2018年1月1日発売の正月号の広告見出しが、こんなの。

マスコミは墓じまいを盛んに報じるが寺院墓地に本当に未来はないのか

ね、どんな記事なのか気になるでしょ?

他には、

お寺のドローン活用法

何がしたいんだ、例えば掃除サボって入り込めない墓地の上から監視する、というのを思いついたけど、これも内容が気になるし。

震災地の幽霊が日本人の死生観を変える

もう何が何だか。

極貧寺が怪談和尚の説法で参詣者倍増ルポ