ミステリーというと犯人探しのイメージだが、この話はいきなり容疑者が逮捕されるところから始まる。
「葉山秀弘。実母、葉山直子の殺害容疑で逮捕する。二月七日午後四時二十三分」
(p.8)
殺人事件である。後でもう1人、七という被害者が出てきて、秀弘は再逮捕される。この秀弘の弁護をめぐって、容疑者の兄である和弘と、父である敬一がジタバタするストーリー。
和弘にとって父親は
お前には失望したよ
(p.21)
と言い切る人物であり、母親は、
蘇ってくるのは、痛みを伴う記憶ばかり
(p.36)
という感じでいい思い出がない。結局、和弘が身に付けた処世術は、
父に認められることも、愛されることも、諦めた。諦めてしまえば、酷い言葉をぶつけられても、受ける傷は小さくて済む。
(p.141)
というものだった。
フィクションに目くじら立てるのも何だが、この話には状況証拠しか出てこない。そこに日本の現実がシニカルに描かれているような気がしないでもない。小説としては一応の結論は出ているのだが、決定的な証拠がないため、実は思わぬ真犯人が…という可能性も最後まで捨てられない。例えば主人公の和弘が犯人というシナリオだって描けてしまうのではないか。タイトルの「エデンの果ての家」の意味は巻末の解説にも説明されているが、カインとアベルの話が出てくるのなら、兄弟間の確執は何かの伏線として存在しなくてはおかしいのである。最初に出てくるエピソードで、小学校の運動会、
母は、僕がリレーに出ることを知っていたのに、トイレに行っていた……
(p.36)
些細なことかもしれないが、これが
あの時に受けた衝撃と痛みは、今でもはっきりと覚えている。
(p.36)
このように、トラウマとなって和弘の人格にずっと残り続けている。ところがこの重大なエピソードが、最後の最後になって、この記憶自体、実は間違いであることが分かってしまう。和弘の記憶は信用できないのである。自分の都合のいい(悪い?)ように歪曲されているのだ。そこに疑いの目を向けて読むと、この小説は主人公の不安定な性格というもうひとつの側面が見えてくるような気がする。
エデンの果ての家
桂 望実 著
文春文庫
ISBN: 978-4167909055