今日は一冊本を読んだけど、また後日ということで、もう一冊ちょろっと読んだのは先日紹介した「チビット死者の書」。途中は斜め読みして補注や解説とか読んでる。解説のところの LSD体験とかユングの話とかが、意外と面白い。
何か話題になっていたので買っちゃいました。今日発売なので、まだ平積みになっていました、新宿紀伊国屋書店本店。
Webでは予約終了みたいな表示だったので、足を使ってget。今、Amazon で在庫状況調べたら、カテゴリ住宅建築・家づくりでベストセラー1位ってなっていました。
これは2018年の DIARY にもなる「建築知識手帳2018」が付録で付いているからではなく、もちろん建築基準法キャラクター図鑑を狙っての現象でしょう。他人事みたいに書くのもアレですが。個人的には本気モードがあったりする有積あいちゃんがいいですね【なにが】。キャラクタープロフィールにはこんなことが書いてあります。
○有積あい(通常時)
率子[42頁]と同級生。たいら[39頁]や後輩の多恵[40頁]と特に仲良し。気が小さくて荷物が多い。おとなしい性格だが表裏があるらしい……。
(p.044)
ちゃんとポイントになる事項はどの法令に対応しているか書いてあって、図も豊富で分かりやすいのですが、p.046 の本気の姿と比較すると、服のデザインもかなりのものですね。みなし道路幅員の肩あてとか。私はド素人ですけど、プロが見ればまたそれなりの感動があるのではないかと。
連載の「住宅設計勘違い解剖図鑑」の、断熱・気密を高めたら酸欠になってしまうため換気扇の設置を義務付けるという話、換気扇を回したら確かに寒いですねぇ、ていうか気密を高めて換気扇回すというのがなんだか。最近読んでいた「牛島満軍司令官沖縄に死す」という本にも、地下基地を作って千人ほど中に入って立てこもったら酸素不足になって大変なことに、みたいな話が出ていました。換気は大切です。
建築知識2017年12月号
出版社: エクスナレッジ
雑誌 03429-12
昨日書いた書評の続きである。埼玉県の学習支援教室を紹介する所にサラっと出てきた次の文が気になった。
ただ、子どもを叱る、さとすことができなくなっているのも問題だと感じる。
(p.103)
昔は悪いことをした子どもは大人に叱られたものだ。今は知らない子供を叱る人が減っている。下手をしたら声をかけただけでも事件にされて逮捕されてしまう。
叱ってやらないと、悪い事だということに気付かない。そしてなにより、メンタルが鍛えられないのではないかと思う。40年前と今の子供の最大の違いはメンタルの弱さのような気がする。
第三章では明石市の「離婚時の養育費用取り決め」等の取り組みを紹介している。市長とのインタビュー形式で、市長曰く、子供の貧困対策をしているつもりはなく、全ての子供に対策しているのだ、とのこと。財源は一体どうなっているのか。インタビュアーがまず突っ込む。
しかし、国でも民主政権時に「支出を見直せば十六兆円出てくる」と言って、実際に出てこなかった経験がある。
(p.134)
ありましたよね、埋蔵金。結局発見できなかったというオチが今の民主党系列の諸党の評価に引き継がれているような気もするが、明石市の場合は戦略があった。
年収七〇〇万円前後の「中の上」の子育て世代を呼び込む
(p.134)
これによりフィードバックが発生して財政が改善する、ていうか実際になっているところが面白い。ただ、これは明石市が阪神という人工密集地帯の一部であり、周囲の地域があまりウマくやれていないという条件が重なっていることも影響しているだろう。つまり、周囲からの人口移動が見込める場所ならではの戦略ではないか。あくまで私見だが、この少子化の時代によくうまく行ってるなと思ったりする。
他にもいろいろ話題があって、フードバンクとか、リーディングスキルテストとか、唐突っぽい気もするが、いろんな切り口から見ようとしているのは面白い。いろいろ書きたいことはあるがどう書いてもまとまらず挫折したので、最後に贈与税問題を紹介したい。
親や祖父部からなら無税、親戚または他人からなら課税、その差、最大四五〇万円。
(p.226)
教育資金は直系家族から貰えば非課税なのだが、他人からだと贈与税がかかる。私立大学に行かせようとしたら数百万円かかるのだが、親戚から教育資金を提供してもらうと、110万円を超えた金額は課税されてしまう。課税額を上乗せした金額をもらえば一応解決することはするが、何かおかしな気がする。
「なんとかする」子どもの貧困
湯浅 誠 著
角川新書
ISBN: 978-4040821733
子供の貧困問題についての本。
まず、この本が相対性貧困について書かれているという点に注目して欲しい。昔は貧困イコール絶対的貧困、すなわち貧しいことを意味する言葉だった。銭ゲバというマンガに出てくる「世の中には五円のお金がない家もあるのです」というセリフは伝説になった。しかし、最近の貧困は意味合いがちょっと違う。相対的貧困という言葉がポイントだ。
第一章で、NHK報道で起こった炎上の話が紹介されている。
特に視聴者に強い印象を与えたのが「一〇〇〇円のキーボード」だった。中学生のとき、パソコンの授業についていけなくなったとき、母親が「パソコンは買ってあげられないが」と与えてくれたものだという。
(p.29)
これがNHKが放送した内容らしい。昨今、パソコンなんて2、3万円もあれば買える(もっと安いのもある?)から、それも買えないほど貧しいのだろう、という印象を与えたはずだ。ところが、この話は次のように発展する。
ところがその後、彼女が好きな映画を六回見ていることや、七八〇〇円のコンサートチケットを買っていること、好きなマンガの関連グッズを買って「散在した!!!」と書いていることなどがツイッターの履歴からわかり、“炎上”した。
(p.29)
この炎上事件が相対的貧困という言葉を象徴している。貧乏なのかと思ったら散在できるような経済状態だった。全然貧困じゃないだろ、ということになるわけだ。
昨日も紹介した相対的貧困率という概念をおさらいしておくと、これは貧しさではなく格差をあらわす指標である。例えばアメリカは日本よりも1人あたりGDPが高いが、相対的貧困率も高い。他の人よりお金を持っていないことを貧困と呼んでいるのだ。
日本のように豊かな国は生活レベルが高いため、比較的楽な生活をしていて、毎日食べることができて、衣食住も問題なく、医療もしっかりしていても、それでも貧困と判定されることがある。先の人は、映画を見たりコンサートに行くような余裕があっても、定義上は貧困なのである。
日本の場合、相対的貧困となるラインを計算すると次のようになるらしい。
年間所得が単身者で約一二二万円、二人世帯で約一七三万円、三人世帯で約二一一万円、四人世帯では約二四四万円まで
(p.30)
これにあてはまるケースが相対的貧困と呼ばれているのだ。だから、映画を観たりコンサートに行くことができるのに貧困だということになってしまう。これは本物の貧困を知っている人から見れば猛烈な違和感に結びつく。
その方たちから見ると、相対的には落ち込んでいる子供たちの抱える問題は、まだまだ「生ぬるい」。
(p.41)
修学旅行に行けないとか、大学に進学できないとかいわれても、それがどうした。行かなければいいだろ、働け。そういう感覚があるのだろう。ていうか私にもある。てなわけで愚痴を書き始めたら小説のように長くなってしまったので全部省略する。
第二章には、こども食堂の話題が出てくる。これが実に興味深い。特に、港区の例で、
子供が有名私立小に通っている親が、タクシー飛ばして食べに来たこともありました。さすがにタクシー使って食べに来るこども食堂というのは、ここだけじゃないでしょうか(笑)
(p.88)
こども食堂というのは何かというと、
子どもが一人でも安心して来られる無料または低額の食堂
(p.70)
とのことだ。世間では貧困家庭が利用するというイメージがあるかもしれないが、実はそうではないという話である。しかしタクシーを使って来るというのは珍しい話で、何でそんなことをするのかというと、コミュニケーションの場という役割が大きいのだそうだ。ぼっちでなく、大勢が会話しながら食べるというのが子供を育てる上では重要なのである。
第二章でもう一つ気になったのが、底抜けの話。昔はできない生徒でも100点満点で30~40点は取れたのだが、今は10点取れない生徒がいるという。これを底抜けと言うのだそうだ。
学力の底抜けは一〇年ほど前から教育系の学者の間で指摘されるようになってきたが、白鳥さんの実感ではこの傾向は二〇年ほど前から始まっている。
(p.101)
20年前に一体何があったのかは、この本だけでは分からない。
昔から、修学旅行費用を積み立てられない家庭はあった。
しかし、だからといって「修学旅行に連れていかない」という選択肢は、少なくとも教師の側にはなかった。
(p.102)
この変化は2000年頃からだという。何か教育革命的なことがその当時にあったのだろうか。
また、茶髪や金髪、ピアスに化粧といった風紀上の問題を抱える子が登校したときは、以前だったら校門の中に入れてから説教していたものが、今はそもそも校門の中に入れないとなった。
(p.102)
最近(これを書いているのは2017年11月)、地毛が茶髪なのに黒く染めろと強要されて不登校になった生徒の親が学校に対して損害賠償の裁判を起こしたと話題になっているが、染めないと学校に入れてもらえなかったのかもしれない。
長くなったので続きは明日また。
「なんとかする」子どもの貧困
湯浅 誠 著
角川新書
ISBN: 978-4040821733
今日は(も?)体調がよくないので、パスします。慌てても仕方ないし。今、書評を書いているのは、角川新書の『「なんとかする」子どもの貧困』という本です。
ところで、この本は子供の相対的貧困について書かれているのですが、相対的貧困というのはご存知でしょうか? 報道ではよく聞く言葉だと思いますが、相対的というのが分かっていないと、とんでもない誤解を招く危険があります。
例えば、とある富裕国の国民が5人(笑)で、その年収が、1000万円、1000万円、3000万円、3000万円、5000万円だとしましょう。相対的貧困率というのは、ざっくり言えば、中央値の半分未満の収入で計算します(但し、他にも計算方法があるかもしれません)。この例だと、中央値は3000万円なので、貧困率は40%です。
また、とある貧乏国の国民が5人で、その年収が、30万円、30万円、40万円、40万円、50万円だとします。すると、中央値の40万円の半分、20万円未満の人はいないので、この国の貧困率は0%になります。
年収1000万円だと何不自由なく暮らせそうですが、相対的に収入が低いために貧困としてカウントされ、年収30万円とか50万円ではとても食っていけない状況ですが、それでも貧困率は0%になってしまう、この特徴をまず理解しておく必要があります。
時代物です。主人公は鉄砲磨同心の流山数馬。鉄砲磨同心というのは聞きなれない役職ですが、
鉄砲磨同心とは、その名の通り、鉄砲を磨く役人のことである。
(p.20)
そのまんまやんけ。今の言葉でいえば銃のメンテ要員ですね。しかし数馬は鉄砲鍛冶の出身なので、鉄砲の知識がハンパないです。オタクです。それでいろんな事件に巻き込まれるわけです。鉄砲鍛冶といえば、子連れ狼がころがしている乳母車に連発銃が装備されているのですが、連発銃を開発した職人が弟子に説教するシーンがあります。それを思い出させるシーンがでてきます。
「あげく、創意工夫を忘れ、同じことを厭きもせず繰り返してきた。鉄砲造りに携わる者として、恥ずかしい限りだ」
(p.67)
何事も競争することで創意工夫が生まれる、結果、技術が進歩するわけですね。
数馬は鉄砲オタクなので、途中、凶器になった馬上筒を検証するシーンがあります。馬上筒というのは馬に乗りながら撃てるように小型化した銃だったと思いますが、
「この馬上筒は凶器ではありません。撃っては弾は出ません」
(p.146)
このシーンは先日紹介した「極大射程」を思い出しますね。
この物語、黒子党という隠密的な殺し集団が出てきます。タイトルが「くろご」だから、「くろごとう」と読むのですかね。オリゴ糖みたいな。首領との密会シーンはカムイ伝を思い出すし、いろんな時代モノのコミックを読んでいたら二倍楽しめるかもしれません。コミックといえば、
「俺も一匹、見たことがある。黒子の装束を纏った奴を。黒子が集まって黒子党か。捻りもなにもないな」
(p.150)
個人的には、黒子というのは、うる星やつらの面堂了子の護衛団のイメージなんですけどね。
くろご
集英社文庫
中谷 航太郎 著
ISBN: 978-4087456417