Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

自警録 (2)

自警録の続きです。そもそも自警というタイトルが付いた本なので、教訓話がたくさん出てくるのですが、例えばこれ。

四、五年前、ある青年が僕を訪ね来て、自分は非常に窮境に陥り衣服にも窮している、どうか助力を乞いたいと訴えたが、彼がその窮境に陥ったことの説明として世間はすべて自分を誤解したといったから、僕は彼の談を遮り、世間が君を誤解しても、君の知己が誤解しなければよいではないか。
(p.107)

服も買えないほど困るような世評というのがよく分かりませんが、知人が誤解していなければ、確かに服を買う金は誰か貸してくれそうな気もします。微妙に不自然ですね。ただ、ここで言っているのはむしろ、世間はあなたを知らないのだから、知らない人に誤解されても気にするなという感じでしょうか。今みたいなネットで何でも拡散する時代になると、余計にそんな気がしますね。最近も、たまたま事件の容疑者と同じ姓だったために電話攻撃を受けている人がいるそうですが、誤解といってもそういうのは困りますね。

さて、男は外に出れば7人の敵がいると言われていますが、

我々が今日においてしかも毎日、些細なことにおいてそれぞれに所信と決心とをつらぬくにはどこかに喜ばぬ人あり、確かに自分と衝突しているものがあると覚悟する必要がある。
(p.121)

選挙後の特集で石波さんも言ってましたが、どこにだって反対勢力はあります。何をするにしても必ず抵抗されるわけです。それも合理的な根拠があって反対してるのではなく、うらやましいとか、妬ましいとか、気にいらないとか、そんな理由で反感を持たれてしまうということが、この本には書かれています。YouTube の動画には見た人の評価がカウントされていますが、どんな動画てあれ、悪い方にも少しは票は入っているものです。「気持ち」というのは恐ろしいものです。

杜子春という話もありますが、金の力は人を動かします。これに関して、

換言すれば俸禄をもって他人の身体を抑える者は、心そのものを制し得る考えをもってする者が多くありはせぬか。俸禄を受ける者は知らず知らずのうちに心まで自分の主人のために奪われることはありはせぬか。
(p.126)

日頃から世話になっていると、その人が間違ったことをしても庇ってしまったり、大目に見たり、黒いものも白いと言ってしまったり、そういうことはないか。というのですが、これはもう滅茶苦茶ありそうですね。身内を庇うとか、義理人情なところで日本的な感じがします。実際は悪いところは悪いと言ってくれた方が助かるものですが。

第十章「人生の成敗」では、南北戦争リー将軍の面白い逸話が紹介されています。

「君はもっと勉強しないと、やりそこなう(fail)から、大いに奮発せんといかんぞ」
と言ったときに、この青年が、
「将軍、あなたはやりそこなった(failure)方ではありませんか」
と答えた。これを聞いた将軍は、
「君の言う通りだからわが輩のごとき経験を君にさせたくない」
と述べたという。
(p.136)

反面教師なのです。失敗体験は重要ですよね。とはいえ、戦争のような白黒ハッキリする勝負ならともかく、どちらが勝ったかよく分からないような戦いもよくあります。特に自分との戦いのような話になってくると、負けるが勝ちとか言い出して訳が分からなくなるものです。

真の成功なるものは、己の本心に背かず、己れの義務と思うことをまっとうするの一点に存ずるのであって、失敗なるものは、己れの本心に背き、己れの任務を怠るにある。ゆえに成功だの失敗だのということは、世の中の人にはなかなか解るものでない。
(p.140)

これでは勝ったか負けたか誰にも分からない(笑)。志をどう持つかという点は、新渡戸氏がうまくまとめた箇所があるので紹介します。

わが輩の言ったことを一言に約すれば、勝敗を定むる標準を高きに置けよというに帰着する。ことに青年時代いまだまったく心の俗化せぬとき、すなわち理想のいまだ高きときに、みずから決勝点を定めよ。しかしてこれを高きに置け。
(p.155)

まだまだ続きます。


自警録
新渡戸 稲造 著
講談社学術文庫
ISBN: 978-4061585676