Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

大学はもう死んでいる? トップユニバーシティーからの問題提起 (5)

今日は「大学はもう死んでいる? トップユニバーシティーからの問題提起」の第5章「グローバル人材」。少し前からよくいわれている大学のグローバル化とは?

大学にとってグローバル化とは何かと考えると、一つには学生のグローバル化、つまり海外から受け入れる留学生数の増大であり、同時に日本から送り出す日本人学生の推移があります。
(p.175)

個人的には、インターネットで全世界が接続されている現状で、そこまでリアルな海外交流を推進する必然性があるのか、という点にちょっと疑問を感じている。もちろん、ネットは fake の宝庫だし、実体験が重要なことは否定できないのだが、グローバル化をなぜ目指しているのか、わざわざグローバル化する必要はあるのか。その原点に返って対応を改めて考えてもいいのではないかと思うのだ。逆に言えば、ネットを活用したグローバル化というアプローチが足りないのではないか。

で、実際のグローバル化の事業は、あまりうまく行っていないらしい。

「これをやる」というのろしは上がるけれども、大学にとっては、わずかばかりの資源しか与えられていないのに負担ばかりが増えて、やる気がある一部の人でさえ、疲労感が出てきてしまい、結果的に中途半端に終わってしまうという悪循環になっています。
(p.183)

そして、国のスーパーグローバル化事業には、外国人教員等の比率を一定以上にするという目標があるらしいが、この「外国人教員等」の「等」って何、というのが面白い。

在外研究などで一年、海外に出た経験のある日本人教員がすべて含まれてしまう。
(p.190)

つまり外国人教員等には日本人が含まれているのだ。大風呂敷を広げた割に、中身がショボい。これに関して吉見さんが、

だいたい行政文書で「等」という文字があると、そこには何かあるなと瞬間的に反応します。
(p.190)

現場の人はなかなか鋭いのだ。

それに、単に講師が増えただけではダメだという。

日本の大学が本当にグローバルにやっていける大学になるために必要なのは、准教授以上の常勤の外国人承継職員が増えることです。少なくとも、非常勤教員のレベルだけで外国人教員が増えることではありません。
(p.197)

中には講師を増やしてグローバル化が進んだとしている大学もあるようだが、それでは足りないのだ。

グローバル化に対応できている大学としては、際教養大学、国際基督教大学(ICU)、立命館アジア太平洋大学(APU)、早稲田大学国際教養学部が例示されていて、

いわゆる偏差値的なトップ層は東大や京大に行くんでしょうが、大学に入ってからの伸びしろは、今挙げていただいた大学に行った子のほうがむしろあると思います。
(p.206)

とのことだ。

(つづく?)


大学はもう死んでいる? トップユニバーシティーからの問題提起
集英社新書
苅谷 剛彦 著
吉見 俊哉 著
ISBN: 978-4087211061