今日は菜根譚から、「腰を落ち着けて成就をはかる」。今後もこのシリーズが続きそうな雰囲気なので、「菜根譚」というカテゴリーを追加した。
磨礪当如百煉之金、急就者非邃養。 施為宜似千鈞之弩、軽発者無宏功。
菜根譚について書いたブログは結構あるのだが、「磨蠣」と書いているページが結構あるが、蠣は広島名物のあの「カキ」だ。礪は砥石のことで「みがく」という読みがある。
解説には、顔氏家訓の言葉が紹介されている。
志尚有る者は遂に能く磨礪して以て素業に就き、履立無き者は茲より墮慢して便ち凡人と為る
(pp.232-233)
これは顔氏家訓の巻第三、勉学の勉学第八に出てくる言葉で、このあたりはざっくり言えば「勉強しろ」という話なのだが、」
有志尚者,遂能磨礪,以就素業;無履立者,自茲墮慢,便為凡人.
(顔氏家訓 by Zhitui Yan - Free Ebook)
勉強する人が出世し、サボると凡人に終わる、というのは今もそうだが、6世紀の中国でも同じだった。もちろん日本もそうだったと考えていいのだが、分かり切っているのに昔から勉強しない奴がいたというのが面白い。
菜根譚に戻って「百煉」という数字に注目したい。勉強法で七回読みというのがあるが、七でもなく、十でもなく、千でもなく、百という具体的な数字が出てくる。現代語訳には数字は出てこない。安河内さんも百回やれと言っている。百に特別な意味がある。
自分自身を錬磨するには、くり返し練りきたえる金属のようにすべきである。
(p.233)
この項が言っているのは、何度もやれということだと思う。現代語訳で最も重要なのは「くり返し」なのだ。この文だとちょっとそこが弱いと思うが、訳者が別の解釈(金を重視する)をしたのだろう。
原文後半は、気軽に起業すると得られるものも軽い、的な話。経験的に道理だと思うが、最近のベンチャーはスピード感も重要だし、少し時代が変わってきているような気もする。