Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

雑記

今日はとんでもない事件があったので雑記にします。

アイドルグループの警備なら聴衆に対面してアイドルをガードするのが基本ですが、選挙というのはどれだけ握手するかで勝敗が決まるみたいな要素もあるので、今回のような離れた所からではなく、握手しようとした時にいきなり至近距離から攻撃されたらたまったものではないでしょう。

それにしても民放のテレビ番組がほぼ全滅したのには驚きました。視聴率が取れると踏んだのかもしれませんが。

新・学生時代に何を学ぶべきか (6)

今日も「新・学生時代に何を学ぶべきか」から紹介します。まず安藤優子さん。

学びたい事がはっきりとした時、学校はとつぜん「生きた場所」になった。「こんな事やって何になる」と毒づいていた頃は、死んで埋もれているように見えた教科書の文字が、血と肉をもった立体として目にとびこんでくる。なにもかもが、それまでの自分が見聞きした「何か」と像をむすぶ。楽しい。
安藤優子「勉強の逆襲」、p.140)

安藤さんはニュースキャスターで、大学を一度卒業してから、もう一度大学に戻っています。毒づいていたというのは多分最初の話で、生きた場所になったのは戻ってからの話でしょう。それなら最初から学んでおけばよかったのに、と思うのですが、世の中そう簡単なものではないのでしょう。

次に紹介するのはC・W・ニコルさん。

さてもう一つ、学生が学ぶべきことといえば、人としての礼儀だろう。
(C・W・ニコル「大学では教えてくれないものを学べ」、p.148)

ちょっと意外ですが、ニコルさんは、大学生のうちに大学で学べないことを身に付けろ、という無茶ぶり的な要求をしたいようです。でもそう言われてみれば、私が学生の頃にどこで一番知識を得たかというと、もしかするとバイト先かもしれません。

次の言葉は鎌田慧さん。

より強く生きるためにひとは学ぶのである。
(鎌田慧「無言の声を聴く」、p.152)

強く生きる、という感性がいいです。私の感覚だと危険回避のために学んでいる、みたいな方向になってしまいがちです。知識がないために失敗したり、トラブルを回避できない。日常生活でよくある話です。それを避けるために「学ぶ」という感じです。

鎌田さんは冤罪の被害者の話を紹介しています。その人達に教養があったら取り調べの途中に騙されることもなかったということでしょう。

学ぶよろこびとは、自分の視野がひらかれていくよろこびのはずである。
(p.153)

「超」整理法の野口悠紀雄さんは、勉強は本来楽しいと述べています。分からないことが分かる、知らないものを知るというのは楽しいに決まっていそうなものですが、勉強が辛い、大学が面白くない、という人が結構いるのが不思議ですが、ネットを見ていると就職に有利という理由で大学に進学する人もよくいます。

就職のための勉強なら、高卒ではたらきはじめたほうが得策である。
(p.153)

統計的には大卒の方が年収が多いというデータもあるのですが、その差が年々縮まっているという現実もあるのです。

(つづく)


新・学生時代に何を学ぶべきか
講談社 編集
ISBN: 978-4062089722

新・学生時代に何を学ぶべきか (5)

今日は「新・学生時代に何を学ぶべきか」の続きから。

ネットを見ていると、最近の受験生は「大学に行く目的がない」という人が多いようです。ちょっと気になります。目的がないのに大学に行こうとする、というのは昔は考えられないことでした。

私たちの頃は大学に入って何かをやりたいと思う人が大学に行った。
(吉村作治「始めに自分ありき」、p.126)

当たり前すぎてどう反応していいのか分からなくなりそうです。今は何か違うのです。

要するに大学というのは教わる場ではなく、学び取る場であるということなのだ。
(p.127)

これも当たり前の話で、昔の人なら何故今更そんなことを言うのだと不思議に思うかもしれません。今の高校生は、大学は高校の延長で、自ら学び取らなくても講師が勝手に授業をしてくれる場だと思っているようです。学問ではなく勉強のための場であり、もっといえば資格を手に入れるための場、程度の認識なのです。

そこで何かを学びたいという意欲は最初からない、とりあえず与えられたものをただインプットする、大学をそのような場だと考えているわけです。もしかすると大学もそのリクエストに応じているのかもしれませんが。

教授が何もしてくれないと不満を持つ学生は大学という存在がわかっていない。教授は本来教育をするために大学にいるのではなく、自分の研究をしたいからいるということを知ってほしい。
(p.128)

教え方が下手という的外れの批判はよくあります。予備校の講師は教えるのが仕事ですが、大学教授は教えるためにいるわけではありません。

もう一つ最近の受験生で気になるのは、入試科目しか勉強しない件。

彼が大学に入った時に、私は専門だけやっていたのでは人間として狭苦しくなってしまうし、専門にとらわれない柔軟な発想が大事だからと、文科系の講義も受けるよう助言した。
(明石康「三つの知的漫遊」、p.134)

これは明石さんが子供に言ったアドバイスだそうです。そもそも大学というのは高卒が条件なので、高校で教わる全科目をクリアしないとダメなんですが。

自分が将来専攻する分野については、社会に出てからも、本を読んだり研修したり、その道を究めようと、だれでも努力するにちがいない。しかし自分が進む方向や世界以外のことを、一応知っておくことは決して無駄ではない。
(p.134)

一つのことを究めるためには、全く関係のない分野の知識をたくさん集めておく必要があります。一つの分野から発展させようとするとネタが出尽くしているので、新たに思い付くようなアイデアは残っていません。

最後に、ちょっと話題が変わりますが。

言葉は、第一義的には道具であり、手段であるにすぎない。しかし言葉は同時に、その背景にある文化を反映しており、思考形式そのものである。
(p.136)

英語圏の人達と東洋の人達の考え方が根本的に違うことはよく指摘されていますが、その原因が言語にもある、ということも今では定説になっています。自動翻訳がどんなに進化しても、日本語で表現できないコトは外国語で理解する必要があるのです。

(つづく)


新・学生時代に何を学ぶべきか
講談社 編集
ISBN: 978-4062089722

雑記

今日はうどんを2玉食べたので雑記にします。

ただのかけうどんです。めんつゆが1人前残っていたので、それに合わせて消費しようとしたのですが、うどん1玉も3玉もあまり値段が違わないので、3玉セットを買って2玉を消費しました。あと1玉はうどんカレー(カレーうどんではない)になる予定です。

かけうどんにしたので、食べた後は汗だくになりました。ちょっと気温が下がったので油断してしまいましたが、ざるうどんにすべきでした。

新・学生時代に何を学ぶべきか (4)

今日はちょっと間があきましたが「新・学生時代に何を学ぶべきか」から。

まずスポ根話を紹介します。今はど根性、スパルタというスキームは絶滅、場合によっては実行すれば犯罪になってしまうようですが、

殴るだ蹴るだは当たり前、上級生と話をする時は、「はい」と「いいえ」しか言ってはいけなかった。
(青島健太「革命家の条件」p.86)

言うことを聞かないと殴られるというのが当たり前の時代があったのです。今でも裏ではあるのかもしれませんが。ちなみに、青島さんは慶應野球部です。

根性なんて時代遅れだと思う人もいるかもしれませんが、とある研究では成績を左右するのはIDではなく根性だという結果が出ているそうです。この話は後日紹介するかもしれません。令和は案外再評価されそうです、根性。

ワシは、閉鎖的な寮生活や、体育会の仕組みを肯定するつもりはない。ただ、そんな軍隊みたいな所で、同じ釜の飯を食い、助け合った仲間は、かけがえのないものになった。そして、人を見る目もできた。何とかやっていく要領も身に付けた。
(木村和司「ワシが言えること」、p.109)

木村さんは明治大学サッカー部です。大学で勉強したのは「遊び、酒、タバコ」(p.106) だそうです。体育会系のイメージは今では否定的かもしれません。もちろんデメリットもあるがメリットもあります。デメリットの方が大きいので止めようという判断は妥当かもしれませんが、その時に失われるメリットをどうするかという問題は課題として残しいつかは解決すべきだと思います。

さて、大学生といえば、今でも Yahoo!知恵袋の FAQ なのが「やりたいことがないがどの学部がいいか」みたいな感じの質問です。やりたくないのなら大学に行かなければいいと思うのですが、そこは強制されるそうです。しかも勉強はしたくないとか言い出すからややこしい。

勉強ってね、その目的が、具体的に、はっきりしているときは、とても楽しいものなんだ。
(原田大二郎「ボクの学生時代の思い出を聞いてくれるかい?」、p.100)

目的もないし好きでもない勉強をするために大学に行くという謎の時代になってしまいましたが、確かに昔の漫画に出てきた学生はだいたい楽しそうでした。実際、大学は楽しい所だったと思います。遊ぶのではなく、学生同士の言い合いがです。討論といえばアレですが、口でのバトルですね。

法律も、経済学も、国語だってそうだ。すべて人間というものを基礎にして、その人間を究明する学問だとわかったとき、面白いように勉強が身に付いてくるようになったんだ。
(p.100)

物理学も数学もそうです。勉強とか学問というのは結局役に立つから成立しているのです。

(つづく)


新・学生時代に何を学ぶべきか
講談社 編集
ISBN: 978-4062089722

雑記

今日はヤクルトにマジックが点灯したので雑記にします。点灯といってもマジック53というのは結構遠いですが。

昔は野球といえばテレビで中継するのをオヤジがビールを飲みながら観戦するというパターンがありましたが、最近は視聴率が取れないのか、なかなか中継してくれません。サブスクのスポーツチャンネルとか契約すれば観戦できるのかもしれませんが、そこまで観たいわけでもないです。

ということでラジオの中継を聞いていたのですが、今日の勝因につながったのが10回裏のヤクルトの攻撃、ノーアウト1塁でボールになった球を高津監督が出てきてリクエスト。これがデッドボールの判定になってノーアウト1、2塁になったわけですが、ビデオ判定というのはラジオではどうなっているのか分からないので困ったものです。