Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

もう通勤電車で下痢にならない! すべてのお腹弱い系を救う40の方法

今日の本は「もう通勤電車で下痢にならない! すべてのお腹弱い系を救う40の方法」。通勤電車で下痢になったことは殆どないのだけど、ゆるいなと感じる時はあるといえばある。そういえばこの前は新幹線でそんな感じだったが、B席で両側固められていたから動くに動けなかった。何とかなったけど。

40の方法というのは結構多くて、かなり意表をついたソリューションもある。これはそうでもないけど、温水洗浄便座には注意という話が。

強い水圧のシャワーを長めの時間かけて使用すると、肛門から直腸へ水が入り、浣腸と同じことが起こります。
(pp.51-52)

原理的にはとてもよく納得できる話だ。対策としては、水圧を下げて、短時間で済ませるのがいいとのこと。

ところで、食べたものが排便されるまでの時間は、正常時なら24時間かな、と思っていたが、

食事をしてからおよそ12~48時間
(p.62)

結構幅があるらしい。個人差が大きいというのだが、これを調べる方法も出ていて、これ簡単というか知っていた話で、

イカスミを含んだ食べ物、たとえばイカスミパスタを食べてみる
(p.62)

確かに、これだと真っ黒になるから分かりやすい。あと、バリウム飲んだ後は真っ白なのが出たりしませんか。

私の場合は、牛乳が苦手なのだが、これは乳糖不耐症ということを初めて知った。この対策も簡単で、

原因となる乳製品をやめる
(p.63)

ですよねー。参考になっているのかいないのか微妙だが、ちなみに私の場合、コーヒー牛乳は平気なのだ。ヨーグルトは普通に食べていたので、ヨーグルトも注意というのは知らなかった。

ヨーグルトといえば、ラブレ菌というのは、ヨーグルトなどのパッケージに書いてあることもあるのでご存知かと思うが、これは下痢にも有効らしい。いわゆる「腸内環境の改善」というやつだ。この、ラブレ菌を効率的に摂るには、

ラブレ菌を食品で摂るなら「すぐき漬け」がおすすめです。
(p.83)

すぐき、はご存知だろうか。京野菜で、京都出身の人なら常識だと思う。私はよく知っているが、ただ、すぐきは京都以外ではレアな野菜だろう。ネットで簡単に買えそうな気もするが。

他には、ストレス性の下痢というのも有名で、これにはリラックスが効果的だという当たり前の話が出てくる。具体的にどうやってリラックスするか紹介されているのでありがたい。例えば、マントラ瞑想法。

方法は心の中で「ナ・ダーム」という呪文を唱え続けます。
(p.95)

な・だーむ。

…これで下痢対策になるらしい。本にはもう少し具体的なやり方が書いてあるから、興味があれば。とにかくリラックスするというのは間違いではないから、なかなか面白い視点だと思う。

最後の方には、過敏性腸症候群や炎症性腸疾患の話が出てくる。過敏性腸症候群は10人に1人の割合というから案外多い。病気だと怖いので、基本は病院に行って診察してもらえ、という話なのだが、どのような食事がいいというアドバイスも出てくる。エキストラバージン・オリーブオイルや発芽大麦といった食材が出てくる。いろいろ専門的な話が出てくるので微妙についていけないところもあるけど、具体的な策が書いてあるから、本当に困っているときは参考になるかもしれない。でも本当にヤバそうなときは病院に行った方がいい。

 

もう通勤電車で下痢にならない! すべてのお腹弱い系を救う40の方法
松生 恒夫 著
祥伝社
ISBN: 978-4396616885

湯宿の賊―はぐれ長屋の用心棒

今日は「はぐれ長屋の用心棒」シリーズから、「湯宿の賊」。箱根はこの前の台風でとんでもないことになっているようですが、今回は箱根で湯治中の賊と対決というストーリーです。ちょっと違うか。

華町源九郎と孫六は、今回のゲストキャラのお静と三人で江戸を出て箱根に向かいます。品川、平塚と向かって小田原に向かうシーン。

西側に酒匂川の流れが見え、その先に箱根連山と富士の霊峰がそびえていた。南方に目を転じれば、松林の間から相模湾の青い海原が見える。
(p.110)

浮世絵のような光景が思い浮かびます。もちろん要所で敵が襲ってくるので油断はできません。湯治場に親分が来ているという噂を聞きこむと、

「どこの湯だ」
「塔ノ沢でさァ……」
(p.143)

使徒が出てきそうですね。

今回の話で面白いのが、最後に真犯人が分かったところで片付けに行くのですが、この時に、

「わしらが盗賊の恰好をするのか」
(p.269)

町方と協力して動くとマズいことがあるので、ドロボウのコスプレまでして、盗賊にやられたように見せかけて殺してしまおうというのです。ヒドい用心棒達です。

もう一つ面白いのが、今回の敵方の浪人、宇堂恭之介。菅井と同じく居合の達人です。

「宇堂か。やつは同じ道場に通ってたわけではないが、おれと同じ田宮流居合を遣う。人斬り犬などと呼ばれて、恐れられた男だ」
(p.132)

この宇堂が最後にとんでもないことをするのです。いつものパターンかなと思って読んでいたら、見事にやられた感があります。

 

湯宿の賊―はぐれ長屋の用心棒
鳥羽 亮 著
双葉文庫
ISBN: 978-4575662634

東大医学部在学中に司法試験も一発合格した僕のやっている シンプルな勉強法

今日紹介するのは、いわゆる受験本。勉強法を書いた本である。タイトルは「東大医学部在学中に司法試験も一発合格した僕のやっている シンプルな勉強法」、著者は河野玄斗さん。

ハッキリ言って全然シンプルではない。出てくる項目が多すぎる。これがシンプルだと言えるのは東大に挑戦できるレベルの人だけだろう。シンプル以前に、書いてある内容が理解できない人も多いと思う。他の受験本に比べると比較的易しく書こうという努力は感じられるが、それでも河野さんは勉強のできない人のことが分かっていないのではないかと思われる。

僕の勉強の原動力は、「勉強が楽しい」という、勉強をゲームのように楽しむ気持ちです。
(p.16)

この時点でこの本を投げ捨てる人がいそうな気がする。今の高校生で勉強が楽しいというのはレアケースで、大抵の人は勉強は面白くない、できればやりたくないことではないのか。そのような、勉強が楽しくない、面白くないという気持ちを河野さんは理解していない。もっとも、そのような気持ちになったことがないのなら、仕方ないこかもしれない。

そこを象徴するような話がいくつかある。

勉強に限らず、スポーツでも芸術でも、「何に打ち込む姿はカッコいい」と思われるものです。
(p.40)

もちろん、スポーツや芸術に打ち込む姿はカッコいい、そこは同意できる。しかし、勉強に限っては、本当に打ち込む姿にカッコいいという印象があるのか。そこが怪しいのではないか。このことは、河野さんも指摘していて、

漫画などでステレオタイプに描かれる「ガリ勉=根暗」というイメージもあると思いますが、
(p.40)

いやいや、あるどころではない。根暗というより、ダサい、あるいはズバリ「カッコ悪い」というイメージを持つ人がいるのではないかと思う。じゃあどんなのがカッコいいかというと、世の中の高校生の多くは、勉強しないけど成績がいい、偏差値が高いというのがカッコいいと思っているような気がする。

もう一つ、河野さんの感覚を象徴している話がある。ゲームのラスボスを倒すころには上達しているのは何故か、というのがテーマなのだが、

これは初めてプレイする人でも「できるループ」をうまく回して楽しくプレイできるように、ゲームの製作者が様々な工夫をしているからに過ぎない
(p.53)

全然違う。ラスボスを倒すころに上達しているのは、上達しないとラスボスを倒せないからである。言い換えれば、上達したからラスボスが倒せたのである。

倒せない人も大勢いるのだ。

そのことを河野さんは気付いていない。河野さんにとっては、ゲームは必ずラスボスを倒せるものなのだ。やれば必ずできるのだ。いや、その前に、やれるという大前提があるのだ。それは信仰のようなものであって、途中で挫折してそこまで進めない人はこの世には存在しないのだ。

「勉強それ自体が、誰でもやれば楽しめるものである」と信じています。
(p.63)

やれば楽しめるということはあまり否定したくないのだが、その前に、やれないという人の存在を想定すべきなのである。もっとも、そのような人がこの本を読むということはあり得ないのかもしれないが。

この大きな誤解を除けば、書いてある内容は、他の本に出てくるものと殆ど同じネタである。適切なレベルまで戻って勉強し直すとか、ゴールを決めて逆算して計画を立てるとか、模試を受けて弱点を把握して対策するとか、受験マニア【謎】ならどこかで見たようなことばかりだ。裏を返せば、この本に書いてある内容はおおむね妥当で正しいのだ。

さらに、細かいことが書いてあるという点では、この本は他よりも役に立つ可能性がある。例えば、さりげない話かもしれないが、

僕がオススメしたい手段は「自分よりゴールに詳しい人に教えてもらう」ことです。
(p.91)

スケジュールが立てられないとか、どの参考書をやればいいとか、分からないことがあったら分かっている人に教えてもらえというのである。当たり前だが、これをちゃんと書いてあるのはいい。

リラックスのやり方も具体的に書かれている。

気持ちを落ち着かせたうえで四肢を脱力させてあげましょう。その際、右手→左手→右足→左足と順に力を抜いてあげるとやりやすいでしょう。
(p.128)

根拠ある手順らしい。このような具体的な話が出てくるところは、一読の価値がある。

また、後半には各科目がどんな役に立つのかを説明していて、そこは興味深い。以前紹介した「知的戦闘力を高める 独学の技法」の方が具体的であり深いところまで掘り下げているように思うが、例えば数学に関しては、

問題解決能力が養われる
(p.186)
論理的思考力が身につく
(p.188)

といったことを指摘している。論理的思考はよく言われることだが、問題解決能力というのはいい視点だと思う。これはつまり、解法というのは数学の問題だけではなく、日常生活で遭遇する雑多な問題にも応用できるからだ。つまり、数学の解き方というのは数学だけでなく、いろんな場面で応用できるのである。ビートたけしさんは因数分解を映画作りに応用するとか言ってたと思ったが、そのようなアレンジができれば、いろんな所で数学を問題解決のネタとして使うことができるのだ。

古文・漢文を学ぶメリットとしては、

古文・漢文のメリットとしては、

外国語の学習の練習になる
(p.208)

というのも面白いけど、

2つ目の意義として、古来の人々の価値観を知ることができる
(p.208)

これはいい視点だと思う。古来というとかえって分かりにくいだろう。日本人の考え方が分かる、と明確に断言していい。

社会、特に歴史を学ぶ理由としては、

歴史を自分の人生に生かすことで、失敗を経験せずに済む
(p.239)

歴史は人間の事例集だから、他人の失敗事例から学べば自分はちゃっかり失敗を避けることができるのだ。「こっちの道はヤバいぞ」という伝言ができるソシャゲがあるが、そんな感じだ。みんなで同じ失敗をするのは損だけど、歴史を学んでズルく生きることができる。ズルという言い方がイヤなら、得すると解釈してもいい。歴史を勉強したら損しないで済むのである。これは前述の「知的戦闘力を高める 独学の技法」ではかなりのページを使って説明されている。

ということで、ざっくりまとめると、旧帝を狙うレベルの受験生なら、読んで実践できれば受験の役に立つだろう。学力がそこまでではないのなら、書いてあることを実践すること自体が難しい。とはいっても、出てくる細かい内容が何かの役に立つことがあるかもしれない。そんな感じの本である。


東大医学部在学中に司法試験も一発合格した僕のやっている シンプルな勉強法
河野 玄斗 著
KADOKAWA
ISBN: 978-4046023056

孫六の宝―はぐれ長屋の用心棒

今日も鳥羽亮さんの「はぐれ長屋の用心棒」シリーズから紹介します。「孫六の空」、何冊目でしょうかね、初期のはずですが、調べるのがだんだん面倒になってきました。

今回はタイトルにも出てくる孫六の娘が懐妊するところから話が始まります。孫六にとっては初孫。ところが、娘婿が辻斬りに切られて、その後もしつこく狙われる。ところが何でそんなに狙われるのかワケが分からない。はぐれ長屋の用心棒たちは、犯人は最近世間を騒がせている辻斬りと関係があるのではと目を付けます。そこで孫六も活躍します。

「なあに、こうみえてもな、番場町の親分と言われた御用聞きだ。」
(p.182)

つまり、孫六は元は十手持ちなのです。聞き込みや尾行はプロの技を持っています。しかし年には勝てません、みたいな。

ところが、身内の護衛では金にならない。そこで、同じ相手にたかられていそうな金持ちの岩右衛門に声をかけて、厄介な敵を片付けてやろうと持ち掛けます。助けてくれと言われて、

「承知しました。これからは大船に乗ったつもりで、わしらに任せてくだされ。ですが、ただというわけにはいきませんよ」
(p.167)

岩右衛門も驚きますが、十両といわれてホッとします。まあその十両がタカリ尽くされて既にないという悲惨な状況なのですが、何とか五両かき集めて残りは後日という話をする。華町も、

無理なようでしたら、残りは十日でも二十日でも、都合のついたときで結構ですよ
(p.169)

まあどうでもいいですが、岩右衛門、オレオレ詐欺にひっかかりやすいタイプのような気がしますね。はぐれ長屋の用心棒というのもヤクザみたいな仕事だし。まあそのチョイ悪なところが魅力なのかもしれません。

この巻は、敵の武士たちが少し哀れな感じがしました。相手の安井半兵衛は、華町源九郎の昔の道場仲間。

「久し振りに籠手斬り半兵衛と、立ち合ってみたくなってな」
(p.286)

最後は安井の道場で真剣勝負、尋常な立ち合いになります。武士が悪者の手先になって人を斬るのはどうよ、というのは正論ですが、そうでもしないと生きて行けないという現実もあるわけです。

 

孫六の宝―はぐれ長屋の用心棒
鳥羽 亮 著
双葉文庫
ISBN: 978-4575662962

紋太夫の恋―はぐれ長屋の用心棒

今日は「はぐれ長屋の用心棒」シリーズから、「紋太夫の恋」。紋太夫というのは居合の達人の菅井のことです。この紋太夫の部屋に子連れの女性が転がり込みます。女は伊登。子供は幸太郎。どういう関係かというと、

菅井のところに来たふたりは、義妹と甥だ。
(p.48)

義妹というのは、

「菅井の旦那には、おふささんという連れ合いがいたんだよ。それが、長く患っていて五年ほど前に亡くなったのさ」
(p.49)

これは長屋のお熊の言葉。このシリーズ、お熊は結構よく出てきます。頻出単語です。

この二人、家が荒らされているというので逃げて来たのです。単なる物取りではなく、何かを探しているらしい。伊登の夫は藤岡慎太郎。何かを探っていて、何者かに殺されています。これが何を探っていたのか分からないのですが、何か危険な証拠物件を手に入れたのではないか、それを取り戻そうと家に侵入してきたのではないか、という筋書きです。

今回の敵は、三人白浪。

「三人白浪? なんだいそりゃァ」
赤犬の権三、御家人唐次、人斬り平太の三人組よ」
(p.200)

悪事はハッキリしているのですが、この三人が怖くて誰も証言してくれない。ということで、この三人を斬る、というのが今回のミッションになるわけです。お約束のパターンなので安心して読めます。

 

太夫の恋―はぐれ長屋の用心棒
鳥羽 亮 著
双葉文庫
ISBN: 978-4575661910

雛の仇討ち―はぐれ長屋の用心棒

今日は、「はぐれ長屋の用心棒」から11作目、「雛の仇討ち」です。

このシリーズ、1冊の分量がドラマ向けで、昔、銭形平次水戸黄門を放送していたように、毎週放送すれば結構見てくれる人がいるような気がします。私は適当に順不同で読んでいるのでアレですが、毎回「正義は勝つ」的なお約束的なオチになっているし、今回の話は志乃という美少女(?)が親の仇討ちをする話、途中で敵に捕まってしまうのですが、マロリーシリーズだとこういう場面は簡単に殺されてしまうような気がしますね。

今回は、居合の菅井が芸を見せて商売しているところに、志乃と武士がやってくる、というシーンから始まります。

この武士と連れらしい十歳ほどと思われる娘が並んで、人垣の隅から菅井に目をむけていたのを知っていた。
(p.15)

武士の名は井森。志乃の叔父にあたります。つまり、志乃の親の仇は、井森の兄の仇ということになります。ということで、二人で仇討ちをすることになるのですが、敵は3人。一人ずつ片付けていくことになります。

最初の相手は茂山。居合の達人です。井森も居合をつかうので、居合対居合の勝負なのですが、技は互角。一度斬り合った後で、

そのときだった、つ、つ、つ、と志乃が引き込まれるように前に出た。何かに憑かれたような目をしている。
(.p.142)

これを見た茂山が志乃を切ろうとするのですが、それを菅井が抜き打ちで阻止します。体制が崩れたところを、

その一瞬の隙を衝いて、井森が斬り込んだ。
(p.142)

これが致命傷で肩から胸までザックリと斬れていて、勝負はあったわけですが、

「いまだ、志乃!」

セーラームーンですか。井森は実はタキシード仮面?

ま、親の仇なので志乃にトドメを刺させたいというわけです。

というのがあと2回あるわけですね。そこでヘンなことがあると大変ですが、だいたいお約束通りに話が進みます。そういう所もお茶の間ドラマ向きだと思うわけです。アニメ化でもいいのか。昭和の時代なら確実にドラマになっていたと思います。

2人目の敵の刀根山は面倒なので端折って(笑)、3人目の敵ですが、磯辺は誘き出して討ち取ろうとするのですが、途中、奥州街道の粕壁宿で一泊するシーンがあります。

>千住から粕壁宿まで六里三十町。一日の旅程としてはすくないが、旅の初日としてはちょうどよいかもしれない。
(p.272)

いまの埼玉県春日部市のところになります。昔の人は千住から春日部まで1日で歩いたんですね。

 

雛の仇討ち―はぐれ長屋の用心棒
鳥羽 亮 著
双葉文庫
ISBN: 978-4575663082

かのこちゃんとマドレーヌ夫人

今日の本は万城目学さんの「かのこちゃんとマドレーヌ夫人」です。このタイトルだと何が何だか分かりませんが、かのこちゃんというのは小学一年生で、

マドレーヌ夫人は猫である。
(p.11)

だそうです。読者層は小学生高学年あたりを想定しているのでしょうか、ジュニア小説です。

人間の子どもは、学校に行くと急に知恵がつくみたいだからね。
(p.17)

学校はそのために行くのですからね。知恵がつく、という言い方がいいです。

ちなみに、かのこという名前は「鹿の子」のかのこで、名前を付けるときにかのこちゃんの父親が鹿に「かのこという名前にしろ」と言われたので「かのこ」にしたそうです。流石は万城目さんですね、鹿語が分かるのでしょう。あをによし。猫又なんか出てくる所も何か和風でいい感じです。

かのこちゃんは難しい言葉に興味があって、それ繋がりで、すずちゃんという友達ができます。話の中では「刎頚の友」という言葉がよく出てきます。小学生の使う言葉じゃないのですが、なぜか気に入ったようです。ていうか、

「どういう意味?」
「とても仲のいい友達、という意味だよ」
「最初から〝仲のいい友達〟って使ったら駄目なの?」
「別に構わないけど、あえて難しい言葉を使ったほうが格好よかったり、言いたいことがよく伝わったりすることもあるんだよ」
(p.41)

そうでないこともありますけどね。ということで、かのこちゃんは「ふんけー」という言葉が気に入ったのですが、すずちゃんは、こんなことを叫びます。

「わたしも立ったのトイレで。ウンコ柱!」
(p.70)

あまり縁起がいい感じはしませんね。それなに、というのはこの本を読めば分かりますが、分からなくていいと思います。ヒントは、茶柱と関係あります。

茶柱といえば、かのこちゃん、すずちゃんをお茶会に誘うシーンがあります。本格的なお茶会ではないですが、茶室があったので、なぜか武士のような言葉でお茶会をします。

「人間のやることは、何もかも変わってるよ」
(>p.90)

これはマドレーヌ夫人の主人の玄三郎の言葉。ちなみに玄三郎はイヌです。なぜ猫の主人がイヌなのか、あまり考えない方がいいです。

お祭りの夜店のシーンで。

二人はしばらく呆気に取られた様子で、手元の細長いものを見つめていたが、口につけて息を吹き込むと、笛の音とともに、先端のかたつむりのように巻かれた紙が勢いよく伸びた。
(p.182)

これは吹き戻しですね。


かのこちゃんとマドレーヌ夫人
万城目 学 著
ちくまプリマー新書
ISBN: 978-4480688262