Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

日本人を考える 司馬遼太郎対談集 (2)

昨日に続いて、司馬遼太郎さんの「日本人を考える」から紹介する。最初の対談の相手は梅棹忠夫さん。タイトルが「日本は〝無思想時代〟の先兵」で、1969年11月に行われた。

今は大学全入時代といわれている。大学進学希望者の総数よりも、大学の定員総数の方が多いのだ。実際は一部の大学に人気が集中しているので、なかなか入れない一流大学を狙って浪人する人がいる。このため、定員割れする学部を抱える大学が結構多いらしい。

対談の行われたのは1969年。

大学の数は多ければ多いほどいい。少々中身がいかがわしいものがあっても、いずれそれは修正がききます。
(p.11、梅棹)

当時は、18最人口が約213万人。男性の大学進学率が24.7%、女性が5.8%だった。大学に進学できたのは、志願者の半数以下だった。入りたくても入れない人の方が多かったのだ。ではなぜ大学が多い方がいいというのか。

いまの大学出は昔とちがって、あんまりエリート意識をもてなくなっている。ところが知的訓練だけはすでに相当できている。
(pp.11-12、梅棹)

今でこそFランなんて言葉もあって、大卒だというだけでは評価してもらえない時代になってきたが、50年前にすでにエリート意識を持てなくなっているというのが興味深い。それでも大学に入って学ぶことで、知的な思考訓練を行う。そのトレーニングが今後の産業には必要だというのだ。

さて、今や本当に大学が多くなった。中身がいかがわしいものもあるようだが、とにかく大学生は増えた。では、知的訓練の場として大学は機能しているのだろうか?

ネットを見るに、遊ぶために大学に行きたいという受験生が一定数いる。大学は学ぶ場ではなく、仕事から逃げるための場なのだ。

Yahoo!知恵袋には、どの学部が楽かという質問が毎日のように投稿されている。文系はどこに行っても就職先は変わらないから学部はどうでもいい、という人もいる。〇〇になりたいのだが、どの学部がいいですか、という類の質問も多い。〇〇のところには、ブライダルプランナーとかゲームプログラマーとかアニメーターという言葉が入る。起業したいのだけど、経済学部か経営学部かどちらがいいか、という質問も多い。特にやりたい事業はないので何でもいいそうだ。

当時は高卒で就職する人も多かった。今の大学は、当時の高校のレベルにシフトしているのかもしれない。あるいはそれよりもっと低い位置に下りてきたようにも思える。日本は案外面白く進化している。

(つづく)