Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

日本人を考える 司馬遼太郎対談集 (1)

今日はまだ読了していないのだが、司馬遼太郎さんの対談集「日本人を考える」を紹介したい。1回だとキツいので、数回に分けて紹介する。

内容は1969~1971年頃に行われた対談だ。50年前ということで今の感覚とはかなりズレた所がある。当時の日本人と今の日本人は違うのだ。人間が変われば考え方も変わる。そして、その中にも変わらない根っこのようなものがある。そういった所を考えながら読むのも面白い。

例えば、当時の流行語の中に「公害」という重要キーワードがあった。それ自体の話はおいといて、公害に関係したこんな話が出てくる。

たとえば公害の問題なんか、裁判所に訴えるより、みんなでその工場にいって滅茶苦茶にブチ壊した方が早いですよ。
(p.35、司馬)

もちろんそれを推奨しているわけではないのだが、みんなでブチ壊すという考え方自体は今もしっかり生きている。SNSで炎上というスタイルに変化して進化しているのだ。

もう一つ、時代が変わってきた話題として、不登校の話。

辻 それは非常に現代的な現象なんです。いわゆる不登校現象ですね。
司馬 ほう、そういう症状名が、もう出来ているのですか。
(p.161、辻、司馬)

この頃に不登校という言葉が出てきたということは、それまでは不登校という言葉は浸透していなかったのだ。実際に学校に行かない生徒はいたが、それは今言われているような不登校ではなく、「君たちはどう生きるか」に出てくるように、働かないといけないから学校に行かない、というようなケースだろう。これに対して、当時出てきた不登校は今と同じで、根底にメンタルの問題が含まれている。

学校に顔出しすれば、教師に何で休んでいたのかと呼び出されるかもしれない。だから行かない。そんなことで、困難を突破する姿勢がますますなくなってしまう。
(p.162、辻)

行くと追及されるので行かない、というような心理は不登校以外にもあらゆるシーンでみられる。しかし、当時ならそのような理由で学校に行かないなんて言ったらオヤジがぶん殴って学校に行かせただろう。そもそも学校に行かないのは絶対悪だった。今は「行きたくないなら行かなくていい」という対応は普通になっている。それで「困難を突破する」という力がどんどん弱くなっていく。問題解決能力が低下する。単に「ああ根性論ね」と揶揄して片付くような問題ではない新たな問題を抱えているのだ。

(つづく)


新装版 日本人を考える 司馬遼太郎対談集
司馬 遼太郎 著
文春文庫
ISBN: 978-4167901257