Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

なぜ脳はアートがわかるのか ―現代美術史から学ぶ脳科学入門―

今日は昼寝したら本気で寝てしまいました。その後アニメを見ていたから本は読んでない…いや、朝は「言志四録」とか読んでましたが、この本はなかなか進みません。こういう本を読んでいると、私はなぜ毎日本を読むのだろう、という疑問に気付いてしまいますね。意味が分からなくなる。

一般論としては、ある程度の年齢になると本は読まない方がいいと言われています。ていうか、何かの本にそう書いてありました。脳に一定量の input をした後は、本に頼らず自分で判断して output すべきだ、というような主旨だったと思います。

で、今日の本は「なぜ脳はアートがわかるのか」。これは図書館で借りて返却期限が来るのですが、図書館が緊急事態宣言で閉鎖されたので期限が1か月伸びました。

ざっくり紹介すると、脳科学と芸術を科学寄りの視点に寄って解説した本です。例えば、このネタは覚えていますか。

娘はそれを金色の縞が入った白いドレスとして見たが、娘の婚約者は黒い縞の入った青いドレスとして見た。
(p.165)

2015年に世界中で話題になりました。「ドレス 金 青」でググると、この話題を扱ったページがわんさかヒットします。長いので紹介しませんが、なぜ見る人によって色が違うのか、この本には科学的な説明が書いてあります。

基本的に、視覚というのはパターン認識で、完全マッチングではありません。例えば、顔は毎回見る毎に違う画像データとして脳に入ってきます。それを同じ人と認識するためには、曖昧なデータを同一視する処理が必要になります。脳内のニューラルネットワークによる処理です。

高性能のコンピューターでさえ、顔認識はきわめて困難であるにもかかわらず、たった二、三歳の乳幼児が、二〇〇〇の異なる顔を識別するまでに学習することができる。
(p.43)

この後、レンブラントの線画をレンブラントと認識できるという例や、猿の顔認識実験の話題が出てきます。極めて単純な、顔を連想させるデザインを見せると、猿はちゃんと顔だと認識するそうです。

単純というのはニコニコマークのようなものですが、例えば顔文字。(^_^) という5バイトの文字列を見ると、見た人はそれを顔だと認識できますよね。それは何故かという話なのです。この能力があるから、アニメを見ても人間だと認識することができるのです。

なお、この本が書かれたのは2016年です。それからの数年の顔認識技術の進歩はすさまじく、今は顔認識は実用化されています。私の妄想によれば、新宿や渋谷を歩けば、誰がどこを歩いているか完全に当局に把握されているはずです。

要するに、人間はもともと曖昧な画像情報を具体的な対象に当てはめる妄想力が備わっているのです。

あなたはおそらく、自分があるがままの世界を見ていると確信しているのではないだろうか? 目に依存して世界から正確な情報を受け取り、自分は現実(リアリティ)に基づいて振る舞っているいると思ってはいないだろうか?
(p.35)

目から入ってくるデータそのものは客観的であるがままの世界ですが、脳が認識する世界は全てが妄想です。その事実を極限まで活用したのが抽象画です。あえて描かないことで、見る人の側に解釈を委ねるのです。モンドリアンの直線的な絵は、美術の教科書で見た記憶があるでしょう。

白いカンバスを垂直方向と水平方向の黒い線で分割し、用いる色の範囲を、赤、黄、青という三つの原色に絞った
(p.101)

デジタルディスプレイのようですね。

 

なぜ脳はアートがわかるのか ―現代美術史から学ぶ脳科学入門―
エリック・R・カンデル 著
高橋洋 翻訳
青土社
ISBN: 978-4791771752