今日も何か忙しくて、本を読む暇がだんだんなくなってきました。とりあえず紹介してみるのが「学歴分断社会」です。
ざっくりまとめると、今の日本が大卒と非大卒のところの境界線で分断されている、という説です。
意欲があり将来に希望がもてる若者たちと、目の前の課題に意欲をもって臨まない、希望を失った若者たちの分断が、00年前後からはっきりしはじめている
(p.166)
この分水嶺が、大卒と非大卒の境界線のところにあるというのです。これを本書では学歴分断線と呼びます。就職時に学歴が考慮されるのは事実ですが、基本的に日本は実力主義です。
入職してからどれだけ成果を上げたかが、昇給・昇進にかかわる評価の対象になっていた
(p.127)
給料の差は学歴ではなく仕事の実績で決まるのです。しかし、昔のように一生同じ職場で働くのではなく雇用が流動化することで転職、再雇用が増えると、その都度、学歴が再評価されることになります。その結果、学歴分断線の上下の差が、徐々に広がっていくというのです。
高卒の若い人たちが、社会に出たとたんに、給料が低く、雇用が不安定で、しかも労働市場での競争力が低いという現実に直面するということについては「努力しても仕方ないという絶望」として説明がなされます。逆に大卒層は、努力次第で成功するという可能性と、労働市場においては半分よりも下(つまり高卒以下)には落ちにくいという競争力をもっている
(p.171)
本来は成果で逆転できる状況でも、そもそもその意欲を持っていないという指摘です。今は全入時代で、行く気があれば誰でも大学に入れるのですが、何が何でも大学に行くのではなく、高卒でいいと考える人が増えてきた。高収入は望めなくても、猛烈な努力をしなくていいのならそれでいいわけです。親が大卒なのに高卒で社会に出る人も一定数います。
大卒層の方は、知恵袋のような掲示板を見ると、大学を細かくランク分けするような人もいますが、現実の世界ではそのような細かい区別がされているわけではありません。にもかかわらず、オリコンチャートのようなランキングが好まれている理由は、日本では学歴が、
努力や能力の指標、身につけた教養のシンボル、そして社会的地位の上下を示すラベルとして奥深い意味を持っている
(pp.140-141)
からです。ゆえに、ライバルよりいい大学を出ているからいい評価をされたい、というような要求が出てくるわけです。
学歴分断社会
吉川 徹 著
ちくま新書
ISBN: 978-4480064790