Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

マンガ孫子・韓非子の思想

今日も朝からテレワークで書類整理【謎】なのですが、ちょっと疲れた時に一冊読んでみました。

マンガといっても、挿絵付きで有名なところをちらほら紹介している感じで、マンガ的に面白い絵柄でもありません。漢文が全く出てこないので、本格的にやりたい人には役に立たないかもしれませんが、何も知らないのでとりあえず雰囲気を、という程度ならいいと思います。

まず孫子。有名な「彼を知り己を知る」です。

敵を知り
己を知るならば、
百回戦っても
危険に陥る
ことはない。
(p.69)

漢文だと「知彼知己、百戰不殆。不知彼而知己、一勝一負。不知彼不知己、毎戰必殆。」、この話は裏にある「勝てないときには逃げる」という戦略を知っていないと意味がありませんが、そこは勝手に想像しましょう。孫子は基本的にデータ重視で、相手の裏をかく戦略です。ただ、具体的にどうすれば相手を出し抜くことができるか、そこはケースバイケース、臨機応変になってしまいます。

用間篇では、間者(スパイ)の扱いについて、

君主は
これらの
スパイの中でも、
特に「反間」を
用いる重要性を
認識しなければならない。
(p.148)

反間というのは、敵のスパイを寝返らせたスパイです。ヘタしたら二重スパイになってしまいますが、相手に効率的に偽情報を送り込めるのはメリットです。偽情報を掴ませるだけなら寝返らせなくても使えますがね。

次に韓非子です。「矛盾」や「守株」のような有名な言葉が韓非子から来ています。韓非について、解説では次のように紹介しています。

同門の李斯の中傷にあって獄死した悲運の思想家
(p.153)

李斯はどうなったのでしょうか、気になりますね。

韓非子は法実証主義といわれています。法律を厳しくすることで治めようとする考え方ですが、このマンガでは「千尋の谷」というのがあります。現文は立法澗谷で、董閼于という賢人の話です。

法が厳しく明確であれば、もし法を犯せば、この谷底に墜落するのと同じことで、まちがいなく死ぬから、法を犯すような不心得者は出ないものだ。これでも治まらぬところがあろうか
(p.194)

漢文は立法澗谷「吾能治矣。使吾法之無赦,猶入澗之必死也,則人莫之敢犯也,何為不治」です。

千尋の谷には誰も近づかないから落ちて死ぬ人はいない、低いとかえって油断して落ちてしまう、というのです。最近のコロナ対策でよくある自粛要請、違反しても何も罰則がないからといって守らない人がいる。昔から人間って変わらないものですね。


マンガ孫子韓非子の思想
蔡 志忠 著
和田 武司 翻訳
野末 陳平 監修
講談社+α文庫
ISBN: 978-4062560993

贅沢貧乏 (3)

今日は森茉莉さんの「贅沢貧乏」から、「気違いマリア」。何故かこんな簡単な単語の変換に苦労しましたよ。ここまで読んでみて、森茉莉さんが普通の感性ではないというのはよく理解したつもりですが、マリアは、

ここのところは永井荷風の気ちがいが遺伝している。
(p.158)

何のことかと思いきや、

マリアに荷風の遺伝はおかしいが、荷風が自分の部屋で行きだおれて死んだ時、彼が死ぬや否や、彼の空気分解した脳細胞の中の悪い要素が風に乗って、市川本八幡から世田谷淡島に飛来し、それがマリアの頭にとり憑いた、ということも科学的にはともかくとして、情緒的には有り得るのだ
(pp.158-159)

ないない。とか突っ込んだら負けなのです。

マリアは住んでいる白雲荘の共同の手洗いの床が超絶嫌いのようです。

きれいな時でも触るとなめくじの背中のような感触があって、冷たさと湿り気もなめくじそっくりである。
(p.161)

なめくじの背中をなでたことがあるのでしょうか。なめくじと言う位なので、滑らかなのかもしれません。昔の長屋(?)の共同の台所とか、こういう感じの洗い場は結構あったと思います。っていつの話だ。

この作品には、著名人が沢山出てきます。マリアは三島由紀夫を「いい人間」と評しています。

(贋ものでない、いい人間である。いい人間には贋ものがいるので、複雑に紛らわしいのである)
(p.168)

ニセモノのいい人間ってのが気になりますね。どういうのでしょう。マリアの父親(森鴎外)も出てきます。

夏も冬も、ジャン・ヴァルジャンがコゼットを連れ出す時、護身用に持っていたような、太く真直ぐな黒檀のステッキを突いている。
(p.175)

鷗外がジャン・ヴァルジャンということは、マリアがコゼットなのですね。映画化したら面白そうなキャストかな。

もう1編いきましょう。次の作品は「降誕祭パーティー」。って古風でピンとこないかもしれませんが、クリスマスパーティーです。まず招待状が来ますが、マリアに届く郵便物一覧が面白い。

税務署の通知、赤い線で注意を促してある督促状、赤の二重丸つきの第二督促状、薔薇色の紙に印刷した最後通牒
(p.183)

何を滞納してるんでしょうね。督促状なら何回か受け取ったことがありますが、二重丸はまだ見たことがありません。

さて、招待状を開いたら英語で書いてあります。

at buffet Christmas party
(p.186)

この buffet はビュッフェのことですが、こういう意味もあるとマリアは知っている。

不等辺三角形の亡霊にとり憑かれた受験生が描いたような人物画を描く、マリアの嫌いな「人生苦の世界」型の画を描く画家の名
(p.186)

ベルナール・ビュフェのことでしょうか。1999年に亡くなりました。さて、パーティ当日マリアは出かけますが、いつものように何か抜けています。

真島邸の地図を忘れて出たので、大森の臼田坂上のバスの停留所を下りると宛もなく、歩き出した。
(p.196)

無茶苦茶しますね。しかもこれが反対方向に行ってしまうのですが、

文学にとり憑かれた狐
(p.196)

に出会って無事、会場に辿り着きます。そのうち盛り上がってハイになって気分が悪くなって退出してしまうのですが、もしかして飲み過ぎたりしましたかね。

(つづく)


贅沢貧乏
森 茉莉 著
講談社文芸文庫
ISBN: 978-4061961845

東大式スマホ勉強術 いつでもどこでも効率的に学習する新時代の独学法

あれ? 1日飛んでいる。夜中に徘徊しているのか? というわけではないと思いますけど、香川県でヘンな条例ができたらしいので、今日は「東大式スマホ勉強術」を紹介します。

ちなみに個人的には、レベルの低い高校の生徒は勉強中にLINEを使って雑談している、レベルの高い高校の生徒は勉強中にLINEを使って分からないところを教え合っている、という話が好きなんですが、スマホは所詮道具。使い方でできることが決まるのです。

この本は、いろんなアプリが紹介されているので、それを紹介するのが普通なのかもしれませんが、今更なので紹介しません。著者の西岡さんは現役東大生ということで、東大の様子が随所で紹介されます。それが意外と面白いので紹介しますと、例えば、勉強における最大の敵は何かと東大生に質問すると。

この質問、東大生に聞くと半分以上の人はこう答えます。
「自分」
(p.22)

スケジュールを決めてもやらない、サボる、それが最大の敵だということのようですが、そういえば、宇宙兄弟という漫画でムッタがこんなことを言ってます。

俺の敵は
だいたい俺です
自分の“宇宙に行きたい”って
いう夢を
さんざん
邪魔して
足を引っ張り続けたのは
結局俺
でした
他に敵は
いません
(宇宙兄弟、モーニングKC、講談社、11巻、pp.169-170)

あなたの敵は誰ですか、と質問されて、散々考えた末の答です。男は家を一歩出たら7人の敵がいるといいますが、自分が敵だと逃げようがないですね。戦っても勝てる気がしないし。敗ける気もしませんが。

みなさんは100点満点の試験で100点を取ったことはありますか。
(p.70)

私は中学生になったときに、15回100点満点を取ろうと決めたのですが、あんなに難しいことだとは思っていませんでした。小学生の時って割と取れたりしませんでしたか?

多くの東大生は100点満点を取ると落ち込むのだそうです。
「なんだよ、受けた意味なかったじゃないか。このテスト」
(p.70)

もちろん資格試験のようなテストではなく、普段のテストの話でしょう。テストは弱点発見が目的なので、満点だと困るというのです。本当ですかね?

アクティブラーニングに関しては、

東大志望の学生は、これを誰に言われるまでもなくやっている場合が多い
(p.87)

クラスメートに教えてくれと言われて教えたりする話のようです。

数学に関しては、

「え、数学なんて覚えること少ないじゃん?」
(p.91)

化物語の阿良々木くんも似たようなことを言ってましたよね、ウルトラCとか。本質を頭に入れてあるので、定理はその場で再構築できるというのです。

先に、100点取って落ち込むという話を紹介しましたが、わからない所があっても質問しに行くのが恥ずかしいとか、何となく質問したくない、というような人はいませんか。

東大生は必ず質問します。
どんな授業の後でもどんな講義の後でも、必ず誰かが質問しに行きます。
(p.116)

私はどちらかというと質問しまくる側でした。先生は教えるのが仕事なんだから、分からないところがある生徒や学生は質問しに行かないともったいないと思うのですけどね。


東大式スマホ勉強術 いつでもどこでも効率的に学習する新時代の独学法
西岡 壱誠 著
文藝春秋
ISBN: 978-4163911618

リア王

今日あたりはエドガー・アラン・ポーの「赤死病の仮面」でも読みたい気分ですが、選んだのは全然違って、シェイクスピアの「リア王」です。

有名な作品なので紹介するまでもないかもしれませんが、要約すると、リア王と娘達が死ぬ話です。シェイクスピアの作品からは数々の名言が後世に使いまわされていますが、なかなか深い言葉が満載であるのは戯曲から出てくる性質なのでしょうか。印象的なセリフがないと観客は飽きてしまいますからね。

如何に賤しい乞食でも、その取るに足らぬ持物の中に、何か余計なものを持っている。
(p.86)

これはリア王の言葉ですが、どんなモノにもゆとりがないといけない、という摂理を言っているわけです。余計なものがあるから、本質的なものが引き立つのですね。あるいは、余計なものがないと、必要だということが分からない。

次はグロスターの言葉です。グロスターは争いに巻き込まれて、目を潰されてしまうのですが、

俺は目が見えた時には、よく躓いたものだ。例はいくらでもあろう、人間、有るものに頼れば隙が生じる、失えば、卻ってそれが強みになるものなのだ。
(p.122)

有るという前提でいると、それが無い時にどうしていいか分からなくなります。私は夜に家の階段を、電灯を点けずに降りることにしています。停電の時に降りる練習なのです。これで一度、階段を踏み外したことがあります。本末転倒です。

もう一言、リア王の言葉を紹介しておきましょう。

犬でも職権を与えられれば、人はこれに従う。
(p.145)

職権というのはそういうものですからね。

 

リア王
ウィリアム シェイクスピア
William Shakespeare 原著
福田 恆存 翻訳
新潮文庫
ISBN: 978-4102020050

 

贅沢貧乏 (2)

今日も「贅沢貧乏」を紹介していきます。贅沢貧乏といえば、私は昔からティッシュクリネックスと決めています。他のティッシュに比べるとちょっと高めの価格設定なのですが、これが密かな贅沢なのです。ところが最近のコロナ騒ぎで店頭から消えてしまった。困ったものですね。

今日は収録作「マリアはマリア」から紹介します。何そのトートロジーといわれそうですが、マリアという名前にはいろんな深い意味があるので考えすぎてしまいます。いきなりですが。

鷗石の「猫」。
(p.119)

鷗石って誰、ってアレですよね。猫は吾輩。

「猫」は全部愉快極まるが、マリアが特によろこぶのは終りの方の、なかなかヴァイオリンを買うところまで話が進行しなくて、いつまでも干柿が障子に映っていて、時々それをたべる。
(p.119)

ヴァイオリンの話なんて覚えてないですけど、ココのようですね。

「そう諸君が御困りとある以上は仕方がない。たいていにして切り上げましょう。要するに私は甘干しの柿を食ってはもぐり、もぐっては食い、とうとう軒端に吊るした奴をみんな食ってしまいました」
「みんな食ったら日も暮れたろう」
「ところがそう行かないので、私が最後の甘干しを食って、もうよかろうと首を出して見ると、相変らず烈しい秋の日が六尺の障子へ一面にあたって……」
「僕あ、もう御免だ。いつまで行っても果しがない」
「話す私も飽き飽きします」
「しかしそのくらい根気があればたいていの事業は成就するよ。だまってたら、あしたの朝まで秋の日がかんかんするんだろう。全体いつ頃にヴァイオリンを買う気なんだい」とさすがの迷亭君も少し辛抱し切れなくなったと見える。
(吾輩は猫である夏目漱石著、青空文庫)

「マリアとマリア」ではこの後に「冷凍人間のような恋人たち」という表現が出てくるのですが、冷凍人間って何かというと、

彼らは喫茶店で相手をじっと見つめたまま、又は煙草を指で摘んだまま、足を洒落た格好に組み合わせたまま、こちこちに固まる。
(p.119)

なるほどね。当時も冷凍食品ってあったのかな、そんな感じで。

本のタイトル作品「贅沢貧乏」でも、色とガラスにやたら拘る描写が満載なのですが、硝子に対する拘りは次のような説明が出てきます。

マリアは硝子に対して、一種の自己愛を感ずる。一種の精神的レスビアニズムのようなものを、感ずる。マリアの内部の硝子体と、本ものの硝子との間で、何かが呼び合うのである。秘密な眼ざしを交して、密かに悪魔の笑いを笑い合う。
(p.133)

マリアってどちらかというと天使側なのですが、この後に何故悪魔なのか分からないと書かれています。本人に言われても困ります。

途中、恋愛三昧という小説の話が出てきます。この小説はシュニッツレルの作品で、マリアのロマン小説の目標の一つなのだそうですが、岩波文庫から森鴎外さん翻訳のものが出ていますから、それを読んだのでしょうか。どんな小説かというと。

「恋愛三昧」というのは、恋愛三昧に日を送る二人の竜騎兵の一人に、美しい少女と凄い奥さんが絡む話である。
(p.138-139)

要約が絶妙ですね。私の要約力だと「走れメロス」を「メロスが走る話」と要約するのが限界なのです。

もう一作行こうかと思ったけど長くなりそうなのでここで一旦切ります。

(つづく)


贅沢貧乏
森 茉莉 著
講談社文芸文庫
ISBN: 978-4061961845

贅沢貧乏

れんげ荘物語で、主人公のキョウコが読んでいた、森茉莉さんの「贅沢貧乏」を読んでみました。これは恐ろしい本です。ラノベはサクサク読める私が、1ページ読むのに1分かかってしまうのです。確かにこれなら一日中ヒマな人にはもってこいですが、なかなか進ませてくれません。挑戦しているのは講談社文芸文庫版。12の作品が収録されています。

1つ目の作品が「贅沢貧乏」。登場人物は牟礼魔利(むれまりあ)。これ本人のことなんですよね? どう見ても実在の人間のように見えてこないのですが。魔利はお嬢様として育てられたため、何もできません。箸より重いものを持ったことがない系なので、力なんてありません。それが一人暮らしをして洗濯をすると、こんなことになります。

冬の長い下着を絞る時の魔利の恰好は、ラオコオンの彫像よろしくで――蛇に巻きつかれて腕、腰、胴をよじり、空を仰いで苦悶している三人の男の彫刻である――肱に引っかけてまだ余ったのは肩にのせて、異様な形で渾身の力を振り絞るのである。
(p.26)

一体どんな絞り方をするのか想像しただけで夜も眠れません。

2作目「紅い空の朝から……」。「赤い」ではなく「紅い」と表現しているのは、紅という色は赤とは違うという深い意味があるわけです。詳細は本文に出てくるので省略しますが、日の丸の「紅」は純粋な色なのです。それはそうとして、この作品では小説を書くのに苦悶する描写がやけにリアルです。

最近の魔利には、小説を書かなくてはならないという、重苦しいノルマが課せられているのである。もともと無理な話である。魔利は小説を書こうと思ったことがなく、小説というのがどんなものかも、分かっていない。
(p.39)

森茉莉さんは森鴎外さんの娘、どう考えても小説家のはずなんですが、このように自己批判しています。謙遜なのだとは思いますが、何かベクトルが最初からズレているような印象です。

こんな話も出てきます。

蚯蚓の生活と、人間の生活とを比べるのはおかしいが、面白い生活であるということにおいてこの二つの生活は並べられるものなのである。
(p.49)

ここで、蚯蚓の生活というのは小説を書いている牟礼魔利(森茉莉)、人間というのは甍平四郎(室生犀星)のことです。面白いことが書けていたら、小説だろうがそうでなかろうがいいんじゃない、というのは確かにそうですね。そこが一番重要なはずです。

雲った硝子、という小説が酷評され、小説というものを間違って理解しているのでは、と書かれたときに、

魔利の小説は、分からずに、やみくもに書いているので、間違える所まで行ってない。
(p.54)

間違えるにも条件が必要なのですね。

(つづく)


贅沢貧乏
森 茉莉 著
講談社文芸文庫
ISBN: 978-4061961845

改訂版 鉄緑会東大英単語熟語 鉄壁

今日は本といえば本なのですが、大学受験用の単語帳、「鉄壁」です。

この本は、東大王でも紹介されて、その直後は急激に売れたそうですが、その改訂版が3月に出たばかりなので、以前と何が変わっているのかチラ見してみると、

34 specify (他)~を(具体的に)指定する
(p.016)

これが改訂前は、

35 specify (他)~を特定する
(p.016)

こうでした。改訂前の版は 2009年発行なので、10年間で意味が変わったというよりは、使い方が変わりましたかね。

細かいところは多数変更されていると思うのですが、まず気が付いたのは、最初の単語の vital に付いているイラストです。以前は人型の中にハートだけが描いてあったのですが、改訂版では、人型の顔のところにメガネが付きました。メガネが追加されて何か学習上の効果があるのかというのは定かではありません。

ちなみに、specify の番号が1つズレていますが、これは改訂前に19番目に出ていた underline (~を強調する)という単語が削除されたためです。ありふれた単語のような気もしますが、入試には出てこなくなったのでしょう。

 

改訂版 鉄緑会東大英単語熟語 鉄壁
鉄緑会英語科 編集
ISBN: 978-4046044112