Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

贅沢貧乏

れんげ荘物語で、主人公のキョウコが読んでいた、森茉莉さんの「贅沢貧乏」を読んでみました。これは恐ろしい本です。ラノベはサクサク読める私が、1ページ読むのに1分かかってしまうのです。確かにこれなら一日中ヒマな人にはもってこいですが、なかなか進ませてくれません。挑戦しているのは講談社文芸文庫版。12の作品が収録されています。

1つ目の作品が「贅沢貧乏」。登場人物は牟礼魔利(むれまりあ)。これ本人のことなんですよね? どう見ても実在の人間のように見えてこないのですが。魔利はお嬢様として育てられたため、何もできません。箸より重いものを持ったことがない系なので、力なんてありません。それが一人暮らしをして洗濯をすると、こんなことになります。

冬の長い下着を絞る時の魔利の恰好は、ラオコオンの彫像よろしくで――蛇に巻きつかれて腕、腰、胴をよじり、空を仰いで苦悶している三人の男の彫刻である――肱に引っかけてまだ余ったのは肩にのせて、異様な形で渾身の力を振り絞るのである。
(p.26)

一体どんな絞り方をするのか想像しただけで夜も眠れません。

2作目「紅い空の朝から……」。「赤い」ではなく「紅い」と表現しているのは、紅という色は赤とは違うという深い意味があるわけです。詳細は本文に出てくるので省略しますが、日の丸の「紅」は純粋な色なのです。それはそうとして、この作品では小説を書くのに苦悶する描写がやけにリアルです。

最近の魔利には、小説を書かなくてはならないという、重苦しいノルマが課せられているのである。もともと無理な話である。魔利は小説を書こうと思ったことがなく、小説というのがどんなものかも、分かっていない。
(p.39)

森茉莉さんは森鴎外さんの娘、どう考えても小説家のはずなんですが、このように自己批判しています。謙遜なのだとは思いますが、何かベクトルが最初からズレているような印象です。

こんな話も出てきます。

蚯蚓の生活と、人間の生活とを比べるのはおかしいが、面白い生活であるということにおいてこの二つの生活は並べられるものなのである。
(p.49)

ここで、蚯蚓の生活というのは小説を書いている牟礼魔利(森茉莉)、人間というのは甍平四郎(室生犀星)のことです。面白いことが書けていたら、小説だろうがそうでなかろうがいいんじゃない、というのは確かにそうですね。そこが一番重要なはずです。

雲った硝子、という小説が酷評され、小説というものを間違って理解しているのでは、と書かれたときに、

魔利の小説は、分からずに、やみくもに書いているので、間違える所まで行ってない。
(p.54)

間違えるにも条件が必要なのですね。

(つづく)


贅沢貧乏
森 茉莉 著
講談社文芸文庫
ISBN: 978-4061961845