今日は菜根譚から「動中の静、苦中の楽」。
静中静非真静。動処静得来、纔是性天之真境。楽処楽非真楽。苦中楽得来、纔見心体之真機。
(p.126)
前半は現代語訳が絶妙なのでまず紹介する。
静かな環境の中で心を静かに保つことができたとしても、それはほんとうの静かな心ではない。
(p.127)
この後、「わずらわしい環境」の中でも心を静かに保つことが出来たら本物、という話に続くわけだが、ここでは性天の真境という表現がいい。真の境地ということだ。静かなところで冷静でいられるのは当たり前で、他の人がパニクるような場面でも冷静でいてこそ冷静なのである。
ここまでは直感的に分かるのではないかと思うが、後半は難しい。苦中楽というのは何だろう。
苦しい環境の中にあっても、心が楽しむことができれば、
(p.127)
そう言われたら、心が楽しめるのならもはや苦しい環境とはいえないのではないか、という疑問もわいてくる。心頭滅却すれば火も涼しいというが、熱いものは熱いし、痛いものは痛い。痛いのが楽しいと思えるようになったら変態だ。
静と動、苦と楽というのは相対的だ。億万長者が今日は取引に失敗して1億円しか儲からなかったと苦しんでいる。貧乏な人がポケットから10円出てきたので喜ぶ。比べてみると真機が見えてくる。