Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

月夜のサラサーテ The cream of the notes 7

最近、草稿レベルの書きかけ原稿が多いのですが、「月夜のサラサーテ」は3月18日にチラっと紹介したきりで放置していました。ふと原稿ファイルを見るとボロボロの状態で発掘できたので、ちょっと補修して出してみます。

3月18日には、アクション映画の爆発シーンの話を書きました。この本は、こういう感じのネタが多数入っているエッセイ集です。シリーズで7冊目らしいのですが、他は全然読んでいません。で、今回、気になったネタに対して、ちょっとずつイチャモンをつけてみることにします。

まず、謝罪会見の話。

謝罪会見は、いったい誰に謝っているつもりなのか。
(p.58)

CMと同じで不特定多数ではないでしょうかね。カスタマーというか、お客さんですね。

最近、謝られている方もなぜ謝られているのか分からないような案件が増えてきたような気がします。何かよく分からないけど不適切なので消します、みたいな。わけのわからない理由で削除したことを謝罪してほしい気分になります。

バスに人間の客を乗せることが、バスの危険性の根源となっている。
(p.89)

このバスの危険性、なかなかいい視点だと思いました。それも一理あります。しかし個人的には、バスの危険性の根源は走ることにあると思うのですけど。走らなければ殆どの交通事故は防げるはずです。

人から与えられたもの、金で購入した製品、用意されたイベントなどではなく、自身で見つけたものは何倍も大きな感動を生む。それを知らない人たちは、本来の感動の何分の一かのものを「感動」だと勘違いしているのである。
(p.93)

こはちょっと話がそれますが、感動のような input に対する response は、相対的であると思うのです。つまり、初回は感動しますが、何度もやってるとすぐに慣れて感動も薄れてしまう。だから、日頃から感動しがちな人は、実は大して感動していないと思うのですよね。殆ど感動したことがない人は、ちょっとした感動でも猛烈な刺激になり得るのです。初めて食べた時に「なにこれ、ウマー」と思っても、二度目はそうでもなかった、というのはよくある話です。味は同じなのに。

ネットで不特定多数に質問している中には、「誰か、私が好きなものを教えてください」に近い内容のものがある。
(p.107)

なかなか自分のことは分からないものですから、それでいいと思います。私も教えてほしいです。占い的な要素もあっていいです。ちなみに、知恵袋には、夢も目標もやりたいこともない。どこの大学に行くのがいいか、という質問が FAQ ですね。私は「行くな」と回答しています。

僕の小説には、かつて関西弁を話すキャラクタが登場していた。その人は神戸のお嬢様だったが、神戸の言葉は、大阪とは違う。
(p.111)

神戸っ子という言葉がありますよね。特にお嬢様言葉は分からんですね。何言うとうか分からんですね。

ネットなどで散見されるのは、なにかあるごとに、他者を非難する人たちだが、多くは自分が非難されたくない、という心理によるものである。
(p.123)

知恵袋などを見ていると、非難すると逆に非難されるような傾向があるように見えます。作用反作用の法則みたいなものです。非難されたくないから非難しているとしたら、それによって非難されてしまうのです。こういう時はスルー力というか、誤解力を発揮すべき場面です。いくらバカにしても通じない相手は確実にいます。無敵です。理解力がない、これはネットでは最強です。全ては自分の都合のいい解釈に脳内で不可逆変換されてしまうのです。

僕が成功したのは、理論をさきに知ったからだ。理屈が正しければ実現できる、という信念があったこと。人間の強さとは、結局は理屈の有無なのである。
(p.127)

ここはその通りだと思います。蛇足するならば、その理屈の正当性は問いません。ていうか、デザインパターンのような正当な理屈を先に網羅されてしまうと、かえってやりにくい。

犬の場合は、両方を試した結果、叱って教えた方が確実に覚え、言うことを聞くようになる。
(p.136)

叱るというのは攻撃ですから、攻撃される側は避けようとします。これをしたら(しなかったら)攻撃される、それを避けるには、しなかった(した)らいい、という原理です。理論は分からなくても叱責回避できればいい、結果オーライというわけです。

一九九六年の八月からブログを書いている。(略)以来、二十二年間続けている。
(p.196)

これ、毎日休みなくというのですが、本当に1日も欠かさず書いているのでしょうか。「Phinlodaのいつか聴いた曲」というブログ、毎日書き続けて連続10年になりましたが、毎日欠かさずなんて出来るわけがありません。徹夜仕事で帰宅できないとか、ブログサービスが故障で停止するとか、パソコンが壊れるとか、何年も書いていたらトラブルが動かざること山のごとく発生するのです。私の場合、一番スゴかったのはソフト納品の作業と告別式と誕生日パーティーが重なったときだったと思います。意識朦朧という感じでいつ何をしたのかよく覚えてないのですが、その頃は「いつの間にか書いている」という技が使える体になっていたので、どんなピンチのときも絶対諦めないというポリシーもあって何とかなりました。

しかし今年末で Yahoo!ブログが終了するとは想定外…でもないか。

一年ほど、三食食べていたら、明らかに不健康になった。いつも胃が重いし、食欲がない。そこで、また一日二食にしたら、少しましになり、その後また一日一食に戻したところ、体重も減って来たし、躰も軽く、なにごとにも積極的に取り組めるようになった。これこそ健康というものだ。
(p.213)

無食にすればもっと絶好調になりませんかね。食事を減らすと胃が軽くなるというのは当たり前というか科学的説得力があります。一日一膳という言葉もありますが、私も一日三食よりも二食の方が体調がいいような気がします。ただ、私は真夜中に謎の間食をすることもあるので、実際は一日ちゃんと三食ですね。この場合、午前一時、午前七時、午後七時、というサイクルなのです。

ところで、サラサーテって何だっけ、と思って確認しましたが、作曲家さんですよね。チゴイネルワイゼン


月夜のサラサーテ The cream of the notes 7
森 博嗣 著
講談社文庫
ISBN: 978-4065132258

コーラン 上

今日はコーラン(上)を読んで考えたことを書く。上中下の3巻セットの最初の方だから、まだまだ奥深い内容が残っているかもしれない。

私は旧約聖書新約聖書は既読なので、そちらの知識はあるが、コーランを読破するのは今回が初めてである。読み返しもしていないから、いろいろ勘違いがあるかもしれないが、そこは許していただきたい。アッラーはお許しくださるだろうか。この巻を読んでみてまず思うのは、アッラーの厳しさと寛容さの二面性である。

厳しいところを紹介すると、例えば次のような箇所がそうだろう。

汝らに戦いを挑む者があれば、アッラーの道において(「聖戦」すなわち宗教のための戦いの道において)堂々とこれを迎え撃つがよい。だがこちらから不義をし掛けてはならぬぞ。アッラーは不義なす者どもをお好きにならぬ。
(p.54)

タリバンやISが聖戦と主張するようになってから、この言葉は日本でもお馴染みになった。注釈の通り、その意味は「宗教のための戦い」である。ムハンマドは何度も実践を経験しているから、このような表現が頻出するのはむしろ自然なことなのだろう。ただ、私には「こちらから不義をし掛けてはならぬぞ」の意味はよく分からなかった。

もう一つ過激に見える例を示す。

それから泥棒した者は、男でも女でも容赦なく両手を切り落してしまえ。
(p.182)

泥棒に対する罰は、当時はもっと厳しいものだったのかもしれない。両手を切るというのは、もはや泥棒もできなくなるが命は助かる。そのあたりの匙加減は生徒を平手で叩いただけで解雇されるような今の日本人には理解し得ないかもしれない。但し、このすぐ後には、改悛して償いをすれば許されるという内容も出てくるのである。償いの内容に関しても、ときには具体的にどうするかが示されている。

もう一つ、過激な箇所を紹介する。以前もチラっと紹介したかと思うが、

だが、(四カ月の)神聖月があけたなら、多神教徒は見つけ次第、殺してしまうがよい。ひっ捉え、追い込み、いたるところに伏兵を置いて待伏せよ。
(p.301)

伏兵を置くのが「いたるところ」というのが凄まじい。これが書かれた時代の戦いの激しさがうかがえる。

ところで、厳しいといえば、イスラムの戒律、特に食事に対する制限はとても厳しいイメージがあると思う。特に印象的なのが、豚肉の禁止だ。

汝らが食べてはならぬものは、死獣の肉、血、豚肉、それからアッラーならぬ(邪神)に捧げられたもの、絞め殺された動物、打ち殺された動物、墜落死した動物、角で突き殺された動物、また他の猛獣の啖ったもの――(この種のものでも)汝らが自ら手を下して最後の止めをさしたもの(まだ生命があるうちに間に合って、自分で正式に殺したもの)はよろしい――それに偶像神の石段で屠られたもの。
(p.172)

獣にはいろんな種類があるが、このように豚肉だけ固有名詞として出てくるので、とても気になるのだ。

例えばインドでは牛が神聖なものとされている。日本では狐が神様である。あるいは妖魔である。故に食べてはいけない。しかし、コーランに出てくる豚肉は、唐突である。なぜダメなのか説明がない。神格化されているようには見えない。もっとも、神様だから食べるなというのも科学的にはどうなのか、という意見もあるだろう。より合理的な発想としては、それを食べることによって死ぬようなことが続き、自然に食べることを悪とみなす風習が始まったのではないか、といった想像はできると思う。

しかし、この厳密な制限にも例外はあるらしい。

やむなく(食べた)場合は、別に罪にはなりはせぬ。
(p.49)

仕方ない場合は罪に問わないというのだ。これは知らなかった。もちろん、だからといって厳密に解釈しなくてもいいという話ではない。仕方ないというのは、自分勝手な判断ではなく、不可抗力のようなものを言っているのである。

ところで、これはコーランだけでなく聖書にも共通した話なのだが、人間は神を見ることができないという前提になっている。モーセが姿を見たいと懇願したとき、

「いや、絶対にわしを(直接)見ることはならぬ。
(p.269)

完全に拒絶されてしたう。なぜ直接見ることができないのか。見る位はよさそうなものだけに、不可解である。太陽は直接見ると目を傷めるというが、絶対にという表現には、そんなレベルではない、見たら即死しそうな、異様な雰囲気がある。

もしかすると、物理的に見ることができないような存在ではないのだろうか。例えば情報そのものだというのはラノベの読みすぎか。あるいは実在している次元そのものが違っているとか。

最後に紹介したいのは、、

まこと、アッラーは何一つ人間に不当なことはなさりはせぬ。ただ人間が自分で自分に不当な仕打ちをしているだけのこと。
(p.340)

これは勝手に助かるだけ、というセリフを思い出した。コーランに触れてみてもう一つ強烈に思ったのは、強い意志をもって信者とならないと助けてもらえない、いや、助からないということだ。


コーラン
井筒 俊彦 翻訳
岩波文庫 青 813-1)
ISBN: 978-4003381311

雑記

今日はさっきちょっと書いたのですが、なぜかブラウザが閉じてしまったので書きなおしです。もっとも、今日は鼻血が出た、程度のことしか書いてなかったのですが。今日はこの本をちょっと読みました。

パラパラ読みのような読み方なのですが、

最近では、TVもネットも、無数の情報にはほぼ宣伝が紛れ込んでいる。
(p.119)

某大臣のパーティーでの失言がニュースになっているようです。報道には「結局、被災地のことをそれほど深く考えていないことがはっきりした」「被災地に対する思い、理解に欠けている」などと書いてありました。

被災地のことを思えというのなら、なぜマスコミはパーティーという身内の集まりでの言葉をわざわざ世界中に報道して被災地の人達にも伝えるのでしょうね。もしかして、深く考えていないのでしょうか。

雑記

読み終わりました。ああ、そうきたか、という結末でしたが、本格推理小説でした。蛇の扱いがいまいちピンと来ないですが、もしかすると蛇マニアにはたまらない作品なのかもしれません。

「ひとりで歩く女」で取り合いになるのは10万ドルです。1千万円。それで殺人事件になるというのもちょっと違和感がありますが、10万円でも殺す奴は殺すのでしょうね。

雑記

今日はちょっと並ばされる場面があったので、そこで本がかなり読めました。ていうか本がかなり読める時間並んでいたわけです。困ったものです。

ということで、今日も一言紹介してお茶を濁します(笑)

考え事をするときには、新鮮な空気を吸いながら、一人で歩きまわるのが一番だ。
(ひとりで歩く女、ヘレン・マクロイ著、創元推理文庫、p.255)

これは私も結構やる技です。歩いているといいアイデアやソリューションが思い浮かぶことが多いです。考え事をしながら歩くのは危険なんですけどね。脳科学的にいうところの“脳が活性化する”からでしょうか。

雑記

今日は某記念日なのですが、やたら忙しかったです。コーランの上巻はやっと読み終わりましたが、さあ中巻、という流れを断ち切ってミステリなぞを読み始めています。

「ひとりで歩く女」というのは何のことやらよく分からないタイトルですが、英文のタイトルが SHE WALKS ALONE (WISH YOU WERE DEAD) という、さらに謎なタイトルです。一言紹介しますね

簡単に手にはいったものは、なくなるのも早い。
(ひとりで歩く女、ヘレン・マクロイ著、宮脇孝雄訳、創元推理文庫、p.52)

魔法科高校の劣等生(27) 急転編

今日は魔法科高校の劣等生の27巻、急転編です。Amazon のレビューが散々なのが面白いです。

今までのストーリーの流れとして、光亘が水波を拉致するという大前提で話が進んでいるのですが、個人的にはその必然性がここに至ってもまだよく分かりません。もちろん説明は先の巻に書いてある通りなのですが、それだけでここまで無茶するのかな、という感じがします。周囲の猛反発が分かっているのにわざわざ光亘が出かける理由だけでなく、達也側がそれを全力で阻止する理由も、どうもよく分からない案件です。本巻には水波がそれで葛藤するシーンが出てきますが、つまり本人もよく分かっていない感情に動かされているというシナリオなんです。そのあたりが不評の原因ですかね。

達也と深雪は婚約して同居してからの進展がまるでないので悶々としていますが、急転編というだけあって、周辺事態はそれどころではない急展開といったところ。そちらはなかなかの見どころです。

バトルは前巻からの続きで、新ソビエト連邦と大東亜連合が戦争になり、新ソビエトが勝つ。大東亜連合は日本にリウ・リーレイを亡命させる。ソは引き渡しを要求、日本は拒否。ソは日本を攻撃、日本はこれを新魔法で阻止。ところがこの攻撃が実は陽動作戦になっていて、本命は巳焼島へのUNSAの攻撃。という感じでそれなりにややこしいですが、こう書いてみると割と一本道ですね。

UNSAの攻撃は日本に亡命中のリーナが達也と共同で阻止するというもので、達也は最強キャラなので負けるわけがありません。ちょっと気になったのは亡命した美少女魔術師リウの引き渡し要求。何となく非現実的ですね、もちろん簡単に戦争になるような時代という設定ですから実力行使が話が早いわけですが、今の世界であれば、亡命者の引き渡しに30年ほどかかってしまいそうな気がします。

とりあえず本巻の一言【謎】で〆ておきます。

他人には何でもない出来事でも、本人にとっても忘れられない思い出になる。
(p.49)


魔法科高校の劣等生(27) 急転編
佐島 勤 著
石田 可奈 イラスト
電撃文庫
ISBN: 978-4049121636