Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

コーラン 上

今日はコーラン(上)を読んで考えたことを書く。上中下の3巻セットの最初の方だから、まだまだ奥深い内容が残っているかもしれない。

私は旧約聖書新約聖書は既読なので、そちらの知識はあるが、コーランを読破するのは今回が初めてである。読み返しもしていないから、いろいろ勘違いがあるかもしれないが、そこは許していただきたい。アッラーはお許しくださるだろうか。この巻を読んでみてまず思うのは、アッラーの厳しさと寛容さの二面性である。

厳しいところを紹介すると、例えば次のような箇所がそうだろう。

汝らに戦いを挑む者があれば、アッラーの道において(「聖戦」すなわち宗教のための戦いの道において)堂々とこれを迎え撃つがよい。だがこちらから不義をし掛けてはならぬぞ。アッラーは不義なす者どもをお好きにならぬ。
(p.54)

タリバンやISが聖戦と主張するようになってから、この言葉は日本でもお馴染みになった。注釈の通り、その意味は「宗教のための戦い」である。ムハンマドは何度も実践を経験しているから、このような表現が頻出するのはむしろ自然なことなのだろう。ただ、私には「こちらから不義をし掛けてはならぬぞ」の意味はよく分からなかった。

もう一つ過激に見える例を示す。

それから泥棒した者は、男でも女でも容赦なく両手を切り落してしまえ。
(p.182)

泥棒に対する罰は、当時はもっと厳しいものだったのかもしれない。両手を切るというのは、もはや泥棒もできなくなるが命は助かる。そのあたりの匙加減は生徒を平手で叩いただけで解雇されるような今の日本人には理解し得ないかもしれない。但し、このすぐ後には、改悛して償いをすれば許されるという内容も出てくるのである。償いの内容に関しても、ときには具体的にどうするかが示されている。

もう一つ、過激な箇所を紹介する。以前もチラっと紹介したかと思うが、

だが、(四カ月の)神聖月があけたなら、多神教徒は見つけ次第、殺してしまうがよい。ひっ捉え、追い込み、いたるところに伏兵を置いて待伏せよ。
(p.301)

伏兵を置くのが「いたるところ」というのが凄まじい。これが書かれた時代の戦いの激しさがうかがえる。

ところで、厳しいといえば、イスラムの戒律、特に食事に対する制限はとても厳しいイメージがあると思う。特に印象的なのが、豚肉の禁止だ。

汝らが食べてはならぬものは、死獣の肉、血、豚肉、それからアッラーならぬ(邪神)に捧げられたもの、絞め殺された動物、打ち殺された動物、墜落死した動物、角で突き殺された動物、また他の猛獣の啖ったもの――(この種のものでも)汝らが自ら手を下して最後の止めをさしたもの(まだ生命があるうちに間に合って、自分で正式に殺したもの)はよろしい――それに偶像神の石段で屠られたもの。
(p.172)

獣にはいろんな種類があるが、このように豚肉だけ固有名詞として出てくるので、とても気になるのだ。

例えばインドでは牛が神聖なものとされている。日本では狐が神様である。あるいは妖魔である。故に食べてはいけない。しかし、コーランに出てくる豚肉は、唐突である。なぜダメなのか説明がない。神格化されているようには見えない。もっとも、神様だから食べるなというのも科学的にはどうなのか、という意見もあるだろう。より合理的な発想としては、それを食べることによって死ぬようなことが続き、自然に食べることを悪とみなす風習が始まったのではないか、といった想像はできると思う。

しかし、この厳密な制限にも例外はあるらしい。

やむなく(食べた)場合は、別に罪にはなりはせぬ。
(p.49)

仕方ない場合は罪に問わないというのだ。これは知らなかった。もちろん、だからといって厳密に解釈しなくてもいいという話ではない。仕方ないというのは、自分勝手な判断ではなく、不可抗力のようなものを言っているのである。

ところで、これはコーランだけでなく聖書にも共通した話なのだが、人間は神を見ることができないという前提になっている。モーセが姿を見たいと懇願したとき、

「いや、絶対にわしを(直接)見ることはならぬ。
(p.269)

完全に拒絶されてしたう。なぜ直接見ることができないのか。見る位はよさそうなものだけに、不可解である。太陽は直接見ると目を傷めるというが、絶対にという表現には、そんなレベルではない、見たら即死しそうな、異様な雰囲気がある。

もしかすると、物理的に見ることができないような存在ではないのだろうか。例えば情報そのものだというのはラノベの読みすぎか。あるいは実在している次元そのものが違っているとか。

最後に紹介したいのは、、

まこと、アッラーは何一つ人間に不当なことはなさりはせぬ。ただ人間が自分で自分に不当な仕打ちをしているだけのこと。
(p.340)

これは勝手に助かるだけ、というセリフを思い出した。コーランに触れてみてもう一つ強烈に思ったのは、強い意志をもって信者とならないと助けてもらえない、いや、助からないということだ。


コーラン
井筒 俊彦 翻訳
岩波文庫 青 813-1)
ISBN: 978-4003381311