Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

わたしはロボット

今日もちょっと疲れたので休むつもりでしたが、ロボットなら疲れないからいいなぁ、ということで、「私はロボット」。古典的SFで、知っている人も多いでしょう。

個人的には、ロボットというと鉄腕アトムというイメージがあるのですが、このストーリーはロボットというよりもAIのSFです。中にはこんなセリフも出てきます。

「いずれにせよ、考えるロボットなど価値はないよ」
(p.183)

小説には、宗教にハマるロボットやウソをつくロボットが出てきます。9つの章に分かれていますが、だんだんロボットのレベルが上がっていくのが面白いです。結局、ロボットはあれこれ考えるわけです。

有名なので今更紹介する必要はありませんが、折角なので、ロボット工学の三原則を紹介します。

一、ロボットは人間に危害を加えてはならない。また何も手を下さずに人間が危害を受けるのを黙視していてはならない。
二、ロボットは人間の命令に従わなければならない。ただし第一原則に反する命令はその限りではない。
三、ロボットは自らの存在を護らなくてはならない。ただしそれは第一、第二原則に違反しない場合に限る。
(p.8)

 

わたしはロボット
創元SF文庫
アイザック・アシモフ
伊藤 哲 翻訳
ISBN: 978-448860406

雑記

今日もいろいろ作業とかあったので雑記にします。今日は電車の中で「わたしはロボット」は読破しました。最後の2章程度残っていたので。あと、岩波文庫の「言志四録」をちょっとだけ。

西郷隆盛さんの愛読書として有名ですが、これは書評を書くときに漢字を出すのが超大変そうです。

言志四録
佐藤 一斎 著
岩波文庫
ISBN:9784003303115

教誨師

教誨師である渡邉普相さんにインタビューして書かれたドキュメンタリーである。教誨師(きょうかいし)とは聞きなれない言葉だが、解説では教誨を次のよう説明している。

教誨とは、受刑者等が改善更正し、社会に復帰することを支援する仕事です。
(p.355)

但し死刑の教誨は特殊だということも書かれている。教誨師は死刑囚に対して唯一自由に面会することが許されているそうだ。つまり、死刑囚に対して教誨するのが仕事なのだ。社会に復帰することができない人間に対する教誨とはどのような意味を持つのか。先日紹介した「宇宙の戦士」では、病気で殺人を犯した人の精神状態が正常に戻ったところで「自殺する以外にどんな道が残されているだろう?」と考えるシーンがあるが、死と直面している人達の精神状態は極めて難しいはずだ。

いろんな死刑囚が出てくる。読み書きができないので勉強する人、最後まで恩赦を信じている人、別の殺人を告白する人、宗教問答をしてくる人。

死刑囚を見ていると、事件が悲惨であればあるほど、その犯人には気が小さい者が多いのは間違いないように渡邉には思えた。彼らは「殺す」ためよりもむしろ「逃げる」ために人を殺める。
(p.101)

個人的には、最近の事件だと新幹線の中で起こった殺人事件がそれに該当するのだろうかと思った。ただ、気が小さいというのは集団殺人事件には当てはまらないような気もする。例えばオウム真理教による事件がそうだ。集団心理や洗脳といった別の要素が加わってくるからである。オウム事件で死刑判決が出ていた7人が、本日処刑されたという。教誨師は7人とどのような会話をしていたのだろうか。

この本の中で渡邉さんは人を殺したと述懐している。これは、原爆を被爆したときに苦しんでいる人を助けずに逃げたことを「殺した」と言っているのだが、個人的にはそのような緊急時に他人の命まで構っている余裕がないのは当たり前だと思う。

二〇一一年の夏、普相は広島のテレビ局が被爆体験の作文を募集しているのを知り、鉛筆を手に取った。しかし、多くの人を見捨てて逃げたことだけは、どうしても書けなかったという。
(p.140)

それは一般の人でもやはり大問題ではないかと思うが、渡邉さんは教誨師なので、そのことがさらなる大問題になってしまうのだ。

教誨師が具体的にどんな会話をするのか、実例はこの本にたくさん出てくるが、基本は話すよりも聞くことだという。

幼い兒が他所で泣かされて歸って來ると、お母さんはその譚を尋ねる、すると、子供は始終を告げる。
(p.192)

これは渡邉さんの先輩の教誨師である篠田さんの手記。カウンセラーみたいな話だ。もちろん坊主っぽい話もたくさん出てくるから個人的にはそういう所が面白い。

人間はみな死刑囚だ。皆いつかは死ぬ。
(p.211)

その通りだ。だから今を精一杯生きろという。いつかは死ぬと理解した瞬間にやる気をなくす人もいる。やる気が出る人もいる。考え方はいくらでもある。死刑になるような犯罪者になるのは偶然だという。

本当に悪いやつは、人を殺して自分も死刑になんかなりません。だけど欲望や感情に色んな偶然が重なって一瞬にして火がついて爆発してしまう。その爆発を起こさんようにすることを考えんといけんのんですがね……。
(p.217)

最後に、お経は誰に向って読むのかという話を紹介しておきたい。

お経はね、今、生きている人たちのためのものなんです。
(p.222)

読んでいる人が悟りを開くためのものだという。死んでから救われてそれが何だ、といわれたらそれもそうかなと思う。個人的には最初からお経というのはそういうものだと思っていたからわざわざそう主張するのは意外だが、確かにお経は法事でよく読まれるから、仏様に対して読んでいるような感じもある。しかし仏様がそれを聞いているのかどうかは定かではない。


教誨師
堀川 惠子 著
講談社文庫
ISBN: 978-4062938679

見てすぐできる! 「結び方・しばり方」の早引き便利帳

今日はメチャクチャ忙しいです。何でここ書く余裕があるんだと言われそうですが、忙しいときほど投稿が増えるという法則は20年ほど前から見られた現象で、ストレスがそうさせるという説もあるようです。

今日は何となく手元にあるこの本を紹介してみます。

タイトルの通りで、結び方、しばり方が図解で紹介されています。だいたいそれだけです。簡単に紹介できるので楽です(笑)。

紐だけでなく、ネクタイ、スカーフ、ゆかたの帯、たすきがけ、ふろしき等、いろんなモノの結び方が出ています。今だとネットでググれば大抵の結び方は見つかりますが、そういえば昔、ネクタイの結び方が分からなくて苦労したのを思い出しました。

 

見てすぐできる! 「結び方・しばり方」の早引き便利帳
ホームライフ取材班 編集
青春新書プレイブックス
ISBN: 978-4413019439

 

雑記

今日もちょっと忙しいのでパスです。先日の新宿古本まつりで買った本、ちまちま読んでいますが、これはその一冊です。

奥の深そうな内容と、どうでもいい連絡事項みたいなのが交ざっているのが面白い。私の買ったのは昭和17年8月に発行されたもので、定価は八十銭と書いてあります。

 

雑記

図書館に本をなかなか取りに行けないので、取り置きの期間延長を申請しました。これで数日待ってもらえます。

昨日紹介した「宇宙の戦士」はだいたい最後まで書けているのですが、ちょっとテーマが重いので推敲中です。戦争というテーマではなく、教育とかの話です。

宇宙の戦士

今日の本は、ロバート・A・ハインラインさんの「宇宙の戦士」。レジェンド的な一冊だから既に読んだという人も多いだろう。今回読んだのは早川文庫の新訳版で、2015年10月に発行されている。

この小説の戦士というのはパワードスーツを着用して宇宙で戦う兵士である。パワードスーツって何? 今ならガンダムモビルスーツをイメージすればいいから楽な時代になったものだ。もちろんこの小説が発表された1959年にガンダムはまだ存在しないし、厳密にいえば2018年現在もガンダムは実在しない。モビルスーツは巨大ロボットだが、パワードスーツは宇宙服のように人間が服として着ることで即ち兵器になるようなイメージである。パワーアシスト的なスーツなら既に実用化されつつある。ガンダムはまだ10年はかかるだろう。個人的には、まだロケットを打ち上げるレベルで四苦八苦しているようではあるが、日本の民間企業に期待している。

ではこの本はバトルシーンで満載なのかというと、それがそうでもない。むしろ非戦闘シーンが多い。特に倫理的、哲学的な授業の描写が詳しいところに注目したい。ハイスクールの歴史・道徳哲学のデュボア先生は、明らかに今のリアルな現代社会を皮肉っている。当時の今というのは1959年頃のはずだが、2018年でも通用しそうな気がするのは恐ろしいことだ。人類はこの50年、何も進化していないのか。

哲学の例として、先生が主人公のジョニーに質問するシーン。

「話を聞くことができないとしても、クラスのみなに“価値”が相対的なものか絶対的なものかを話すくらいはできるだろう」
(p.144)

もちろん相対的が正解に決まっている。1000円は100円よりも高い価値だ。それは間違いないが、1000円の価値というのはどう判断すればいいか。1兆円を持っている資産家と3日何も食べていない人にとって、1000円の価値が同じであるわけがない。しかしジョニーは絶対的と答えてしまう。デュボア先生は「物の価値は、常に特定の人物と結びついていて、完全に個人的なものであり、それぞれの人物によって大きさがことなる。」と説明する。

暴力に対する解釈も重要だ。最初の方に出てくる戦時軍事法廷のシーンでは、上官を殴った罪で新兵のヘンドリックが鞭打ちと懲戒除隊というキツい処分を受ける。上官は部下を殴ってもいいし、必要なら殺してもいいという設定になっている。階級による力関係は明確で、そこにハラスメントという概念はない。現実的には無能な上官が「気に入らない」というだけの理由で部下を殴り殺すようなこともあり得ると思うが、シナリオとしてはそれすら是としている。確かに軍隊というのはそういうところなのだ。

戦争という極限状態で「気に入らない」というような理由で有能な部下を潰すような上官は、遅かれ早かれ戦死者リストに名前が載ることになるのだ。巻き添えを食う部下としてはたまったもではないだろうが、この小説では、兵士が比較的自由に軍隊を辞めることができる設定になっている。

ディリンジャーという訓練兵は軍隊を脱走し、幼い少女を殺した罪で軍事裁判にかけられ絞首刑になる。ジョニーはそのことについて考える。

ぼくにはふたつの可能性しか見えなかった。病気がもはや手のほどこしようがないのだとしたら、ディリンジャーは本人のためにもまわりの人びとのためにも死んだほうがいい。もしも治療によって正気を取り戻すことができて(ぼくにはそう思えた)、文明社会で暮らしていけるくらいになるとしたら……そして本人が“病気”だったときにやったことをじっくり考えられるようになるとしたら……その場合、自殺する以外にどんな道が残されているだろう? どうして自分を受け入れられるだろう?
(p.172)

そのまま社会に出したらまた誰かを殺してしまう。それなら「本人のためにも」死んだ方がいい、というのは、生きていたら誰かを殺さないと満足できないという想定なのだろう。正気になったときに自殺するしかないという結論は極端かもしれないが、現実的にはありそうなことである。

このようなある意味哲学的な考察が、この本にはいくつも出てくる。

(つづく)


宇宙の戦士〔新訳版〕
ロバート・A ハインライン
内田 昌之 翻訳
ハヤカワ文庫SF
ISBN: 978-4150120337