Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

宇宙の戦士

今日の本は、ロバート・A・ハインラインさんの「宇宙の戦士」。レジェンド的な一冊だから既に読んだという人も多いだろう。今回読んだのは早川文庫の新訳版で、2015年10月に発行されている。

この小説の戦士というのはパワードスーツを着用して宇宙で戦う兵士である。パワードスーツって何? 今ならガンダムモビルスーツをイメージすればいいから楽な時代になったものだ。もちろんこの小説が発表された1959年にガンダムはまだ存在しないし、厳密にいえば2018年現在もガンダムは実在しない。モビルスーツは巨大ロボットだが、パワードスーツは宇宙服のように人間が服として着ることで即ち兵器になるようなイメージである。パワーアシスト的なスーツなら既に実用化されつつある。ガンダムはまだ10年はかかるだろう。個人的には、まだロケットを打ち上げるレベルで四苦八苦しているようではあるが、日本の民間企業に期待している。

ではこの本はバトルシーンで満載なのかというと、それがそうでもない。むしろ非戦闘シーンが多い。特に倫理的、哲学的な授業の描写が詳しいところに注目したい。ハイスクールの歴史・道徳哲学のデュボア先生は、明らかに今のリアルな現代社会を皮肉っている。当時の今というのは1959年頃のはずだが、2018年でも通用しそうな気がするのは恐ろしいことだ。人類はこの50年、何も進化していないのか。

哲学の例として、先生が主人公のジョニーに質問するシーン。

「話を聞くことができないとしても、クラスのみなに“価値”が相対的なものか絶対的なものかを話すくらいはできるだろう」
(p.144)

もちろん相対的が正解に決まっている。1000円は100円よりも高い価値だ。それは間違いないが、1000円の価値というのはどう判断すればいいか。1兆円を持っている資産家と3日何も食べていない人にとって、1000円の価値が同じであるわけがない。しかしジョニーは絶対的と答えてしまう。デュボア先生は「物の価値は、常に特定の人物と結びついていて、完全に個人的なものであり、それぞれの人物によって大きさがことなる。」と説明する。

暴力に対する解釈も重要だ。最初の方に出てくる戦時軍事法廷のシーンでは、上官を殴った罪で新兵のヘンドリックが鞭打ちと懲戒除隊というキツい処分を受ける。上官は部下を殴ってもいいし、必要なら殺してもいいという設定になっている。階級による力関係は明確で、そこにハラスメントという概念はない。現実的には無能な上官が「気に入らない」というだけの理由で部下を殴り殺すようなこともあり得ると思うが、シナリオとしてはそれすら是としている。確かに軍隊というのはそういうところなのだ。

戦争という極限状態で「気に入らない」というような理由で有能な部下を潰すような上官は、遅かれ早かれ戦死者リストに名前が載ることになるのだ。巻き添えを食う部下としてはたまったもではないだろうが、この小説では、兵士が比較的自由に軍隊を辞めることができる設定になっている。

ディリンジャーという訓練兵は軍隊を脱走し、幼い少女を殺した罪で軍事裁判にかけられ絞首刑になる。ジョニーはそのことについて考える。

ぼくにはふたつの可能性しか見えなかった。病気がもはや手のほどこしようがないのだとしたら、ディリンジャーは本人のためにもまわりの人びとのためにも死んだほうがいい。もしも治療によって正気を取り戻すことができて(ぼくにはそう思えた)、文明社会で暮らしていけるくらいになるとしたら……そして本人が“病気”だったときにやったことをじっくり考えられるようになるとしたら……その場合、自殺する以外にどんな道が残されているだろう? どうして自分を受け入れられるだろう?
(p.172)

そのまま社会に出したらまた誰かを殺してしまう。それなら「本人のためにも」死んだ方がいい、というのは、生きていたら誰かを殺さないと満足できないという想定なのだろう。正気になったときに自殺するしかないという結論は極端かもしれないが、現実的にはありそうなことである。

このようなある意味哲学的な考察が、この本にはいくつも出てくる。

(つづく)


宇宙の戦士〔新訳版〕
ロバート・A ハインライン
内田 昌之 翻訳
ハヤカワ文庫SF
ISBN: 978-4150120337