今日は図書館に行って予約していた本を借りようと思ったのですが、なぜかすごい行列になっていたので諦めました。何か本を借りるイベントでもあったのでしょうか?
今日紹介する本は「じゃぱゆきさん」。岩波現代文庫版あとがきには、次のように書いてある。
一九八五年二月に、単行本『じゃぱゆきさん』は情報センター出版局から刊行された。
(p.395)
からゆきさん、という言葉はご存知だろうか。この本にもその話は出てくるが、じゃぱゆきさんは日本に出稼ぎにくる女性、はっきり書いてしまうと海外から日本に来ている売春婦である。もちろん不法滞在なので、逮捕されると強制送還ということになる。このときに帰りの飛行機代がないので著者に電話がかかってくる、というような話もある。
多くの場合、単に出稼ぎというのではなく人身売買のような状況で事実上監禁されている。このパターンは髄分昔から変わっていないが、基本的には背景に貧困がある。そうするしか食って行けないという現実があるのだ。
ところで、この本には、英国で日本人が差別の対象であるという話が出てくる。
それは彼らがいまだに支配する側の白人、欧米人で、そして我々は支配される側の有色人種、アジア人だという、彼らの無意識的な優越感である。
この一線を一年以上も英国に住んでいて肌身で感じない日本人はよほど鈍感か、おめでたい人である。
(p.100)
最初に紹介したように、この本が最初に出たのは1985年のことだが、それから三十余年、状況は何か変わっているのだろうか。
じゃぱゆきさん
山谷 哲夫 著
岩波現代文庫
ISBN: 978-4006031213
今日は浅井リョウさんの「少女は卒業しない」。
というタイトルですが、内容は卒業式の日の話です。7つの短編からなる構成で、同じ日の光景が7人の少女の視点から描かれています。全部読むと、いろんな伏線が納得行くようになっていて面白いです。
1作目の「エンドロールが始まる」から。
「東棟の屋上には」幽霊がいる
(p.28)
幽霊伝説みたいなのはどこの高校にもありそうですが。私の高校には1組には戦争で死んだ生徒の幽霊が出るとかあったような気がします。この幽霊の正体は2つ目の「屋上は青」を読めば分かる仕組みです。
この本、女子高生が必ず絡んでくるので、女子っぽいネタは結構あります。
「足って、出せば出すほど細くなるんですよ。人に見られるから」
(p.19)
先生と女子の会話ですけど、女子っぽいですよね。
3つ目の短編「在校生代表」は、送辞を読む女子の話です。ていうか、この短編が全部送辞になっています。
え、睨んでませんよ。私、目悪いんでね、遠くの人を見ようと思ったらこういう目つきになってしまうんですね。
(p.88)
「恋は雨上がりのように」の橘さんも、よく睨んでいると誤解されていたようですが、あれは本当に睨んでいたのかな。
4つ目の「寺田の足の甲はキャベツ」って凄いサブタイトルですが、この寺田くんがチャリで河原に行って後藤さんにこの場所は覚えてるだろと問い詰めると、
「もちろん覚えてるよ……初めて外でした場所だよね」
「ちげー! 外でしたことねー!
(p.137)
中ではしたんですかね。
ところで、この文庫本の解説を書いているのはロバート・キャンベルさんで、曙覧の
たのしみはあき米櫃に米いでき今一月はよしといふとき
(p.276)
を紹介しています。この話も結構面白いです。
少女は卒業しない
朝井 リョウ 著
集英社文庫
ISBN: 978-4087452808
基本的には本のデザインに関する本。しかし、そこに限定されず、デザインに関する様々な話題がエッセイ風に出てくる。私は普段はプログラミングの人間だが、プログラミングというのは案外デザインと関連があったりするので興味深く読めたが、それはそうとして、この本に出てくる話題はデザインと一見無関係のようなものまで結構あって、そういうところもまた面白い。
炎上の内実は、ごく少数が繰り返し投稿するので大騒ぎが起きているように感じられてしまう
(p.023)
「ネット炎上の研究」という本から引いたようだが、確かにそれはある。知恵袋でも工作員と呼ばれる人が1人で何百も投稿して、大勢いるように見せかけるのが定番の手法だ。
本の話ということで、こんな話題も。
ぼくはすかさず文中の「……は気に入った」を「……を気に入った」に変更したほうがよいのでは、と提案した。そこで著者の藤本さんから返信がきた、「は」に傍点をつけてくれ、と。ここでぼくははじめてこの文章の真意に気付いた。
(p.070)
ビートルズの Get Back Session の話。ジョンとポールが「For You Blue」は気に入った、と言ったらしい。これは、他は気に入らないという意味なのだが、そこが「~は」というだけでは明確に伝わらないので傍点を付けようというのである。傍点の力はハンパないのである。
次に紹介する話もデザインではあるが、ユーザビリティ的な側面もある。
もうひとつ、『教養としての認知科学』(鈴木宏昭)に、窓の例が載っていた。その窓には、丸いボタンがついている。ヒトの自然な行動としてこのボタンを押す。でも窓は開かない。今度はボタンを回す。でもだめ。ボタンという形状は押すか回すというのが、通常のヒトの行動の思考方法だ。
ところが、実際は引くと窓が開くしくみになっている。
(p.085)
ボタンがあれば押したくなる、というのは人間の本能で、星新一さんの作品に、これをネタにしたショートショートがある。この窓に関しては、筆者は開けられては困る理由があるのでは、と想像していた。子供のいたずら防止用にわざと工夫したボタンは確かにある。よくあるのは、ボタンやレバーを2つ同時に操作しないと開かないようなロックだ。
こんなのデザインとは関係ない話題のような気もするけど、
作家の寺山修司さんが、同じことを一〇年続ければ有名になれる、というようなことを昔語っていたことがある。
(p.088)
いつか聴いた曲、というブログはもう少しで10年になるけど有名になる感じが微塵もない。そういえば一時期、Google で検索したらトップに出ていたのだが、最近は1ページ目にも出てこなくなった。正しいポジションに戻ったのだろう。
もう一つ特に書いておきたいのが、漢字について、新字と正字はニュアンスが違うゆえに意味も違うよね、というような話。
新字と正字の比較ではないが、「あふれるおもい」を「■れる思い(思い)」(旧規格字体)と綴るか「溢れる思い(想い)」(正字)と綴るかでは、情感の伝わり方が違うように感じる。
(p.119)
■のところには「溢」のJIS旧字体を入れたいのだが、見つからない。UTF-8 にこの字は無かったっけ?
ともあれ、言いたいことはとてもよく分かる。芸術と藝術は何か違うようなイメージがある。学問よりも學問の方がススメたくなる。吉田さんの「吉」という字に関しては、
もともとサムライ出身だから「士」を使った「吉」、農家だったら「土」を使った「𠮷」といった後付け論もでてくる(笹原、前掲書)
(p.152)
その説は知らなかった。
この本、2020年の東京オリンピックのエンブレムデザイン盗作事件について、かなり細かく考察されている。
いずれにせよ、二〇二〇年東京オリンピックという、世界が注目している(かもしれない)舞台に関するもので、盗作をするなんて通常の神経ではありえない。ただ似ていて当たり前のデザインをつくり、似ているのがあったからと言われてつくり直し、結果的に、もっと似ているものが現れて大騒ぎになり、デザインを撤回せざるを得なくなった、というのが今回の事件の顛末だろう。
(p.329)
検証したような感じのことは書かれていないので、筆者の推測だと想うのだが、盗作するわけがないというのは個人的には説得力があると想う。筆者も指摘しているが、善意を信じるというのではなく、盗作するのならするで、多少は工夫して誤魔化そうとすると思うのだ。デザインなんて少し変えて違うように見せるのは簡単なのにそれをしないのは変、というのも納得力がある。
オリンピックに関しては競技場のデザインの話も出てくるが、興味がある人は読んでみて欲しい。
デザインの作法: 本は明るいおもちゃである
松田 行正 著
平凡社
ISBN: 978-4582620658
今日はマンガですけど「恋は雨上がりのように」をやっと全巻クリアしました。今まで途中が抜けていたのです。評は後日書きます。
本編にちらっとだけ出てくる「山月記」は、青空文庫で読み直してみました。最初に読んだのは高校の国語の教科書だったと思いますが、何か雰囲気が違います。年齢の差でしょうか。