Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

11人いる!

その昔毎晩チャットをしていた頃、チャットルームに入った人数が11人になったら「11人いる!」というのがお約束でした。 元ネタがこのマンガ。

私が読んだのはこの版ではなく、おそらく1976年に発行された文庫本だと思います。手元にないので確認のしようがありませんが、1994年に出たものでないことは間違いないので。

トーリーは宇宙大学の最終テストで10人ずつのグループになって宇宙船の中で53日間過ごすというもの。今ではこの種のテストの設定がありふれていますが、当時はかなり斬新だったと思います。しかも乗船してみたら11人いたというアイデアが秀逸です。メインの登場人物11人の中に僧侶がいます。文庫本の表紙だと、上から2番目の一番左がそうですね。

きみが
僧なら
ヌー
きみの
宗教の
テーマは
なんだい

すべて
運命
(p.75)

最初の質問は主人公のタダ、返事が僧侶です。「運命」は「さだめ」とルビが振ってあります。「すべてさだめ」というセリフは確か石ノ森章太郎さんのサイボーグ009でも出てきたと思うのですが、天使編だったかな、ググっても出てきません。勘違いかな?

ヌーの正式な名前はヴィドメニール・ヌーム。ヌーの星は64年周期で2つの恒星の周囲をまわるという設定になっています。この物語は、ヌーともう一人、フロルという両性体が出てきます。両性体というとルグィンの闇の左手が思い浮かびますが、フロルのようにお転婆【謎】な両性体はSF的には珍しいかもしれません。あまり記憶にないです。

この文庫本には続・11人いる(東の地平西の永遠)も収録されているので、お買い得な感じだし、巻末の中島さんのエッセイも、なんじゃそりゃみたいな感じで面白いです。

11人いる!
萩尾望都
小学館文庫
ISBN: 978-4091910110

あそびの時間

私は昔、ゲーセンに入り浸っていたことがある。一日中いるから店員と仲良くなって、勝手にコーヒーを持ってきてくれるようになった。その店は、コーヒー1杯は無料サービスだった。その頃のゲーセンは危ない奴らの行く場所だった。プリクラやUFOキャッチャーが出始めた頃から様子がおかしくなった。ほぼ男しかいないゲーセンに女の子が来るようになった。しばらくメダルゲームでコソコソと遊んでいたが、完全にプリクラに占領された頃、足を洗ったから、今のゲーセンはどうだか知らない。

そういう黒過去がある人ならば、この本はリアルだ。ストーリーはゲーセンでバイトする主人公、小鳥遊の何だかよくわからない日常の話。

ゲームが好きだから……そんな理由だけでいつの間にか友達になって、また別の誰かと出会って一緒にゲームやって、また友達になって……
(p.69)

そういう世界はリアルに確かにあったけど、

「どこからか知らないけど、わざわざ遠征しに来たのかな」
(p.80)

遠征はいなかったなぁ、早稲田を受験しに高田馬場に来た奴がゲーセンに来たことがあった。北海道から来たとか言ってた。といっても、その人は入試のために来たわけで別に遠征じゃないし。その頃の高田馬場にあったナムコ直営店はギャラガカンストしたゲーマー達のたまり場で、普通のゲーマーには聖地だったのかもしれない。ドルアーガの塔をクリアしたのもその辺りのチームだったと思うけど、2playerスタートのボタンを押すとか、どうすればそんなの思いつくのか想像できない。要するにヘンな奴が多かったから、面白かったということだ。

ただ、この話、ゲーセンの描写はリアルなんだけど、主人公の小鳥遊とか、遠征に来る13歳の少女のノラクロとか、やたらリアリティがない。フィクションにリアリティを求める方がおかしいのかもしれないが、中学生でゲームセンターで一番なんて、現実世界では私は1人しか知らないし。あーでもいたことはいたのか。反射神経とか集中力とか、年齢的に未完成だとアレかなと思うけど、中学生棋士も新記録出してるし、時代は中学生なのか。


あそびの時間 暗黒遊戯昇天編
本岡 冬成 著
九韻寺51号 イラスト
ガガガ文庫
ISBN: 978-4094513677

最高学府はバカだらけ

この本の「最高学府」は大学のことを意味しています。そして、ルリルリではなく著者の石渡さんという大学ライターが、大学にいるのはバカばっか、と暴露した本です。ちょっと違うか。

最近、知恵袋にこんな質問がありました。東京大学ハーバード大学に行くと○○議員さんみたいになるのか? あんな人だから東大やハーバードでやっていけるという回答もあって、なかなか含蓄深いような気もしますが、実際、東大に行くと全員同じような顔をして全員同じ思考パターンで性格が同じで同じ質問をしたら同じ返事が返ってくる、と思っている人は日本には大勢いそうな気がします。

実際は大学生は千差万別で、バカもいればアホもいる、違った、賢い人もいるわけですが、この人はバカの例を少しだけ紹介して、全員そうだと一般化しているわけです。文系の人なのでの違いは理解できないのかもしれません、と思ったら第四章では

どちらも一部の大学の例を一般化しようとしている。
(p.143)

とかいう話も出てくるからわけが分からないよ。まあいいですけど、紹介されているバカな例は分数の割り算ができないとかじゃなくて、ロビーで着替える人がいるとか、その場で履歴書やエントリーシートを書く人がいたとか。まあ確かにバカですよね。それは否定しません。私はそんなの見たこともないですが。

ちなみに、ロビーで着替えること自体が不可思議ですが、なぜ着替える必要があるのでしょう。本によれば、私服可の説明会と私服不可の選考があったときに、説明会は私服で行って選考はスーツで行くというのです。それで、私服可なら別にスーツ着て行ってもいいじゃん、着替えなくていいじゃん、とバカにしているわけです。これも確かにそりゃそうだ。同感です。ちなみに私は大学の入学式はジーンズで行って、講義に出るときはスーツ・ネクタイで出席したりしました。講義はスーツ禁止と言われた覚えはないので。他にはそんなヘンなのいませんでしたけど。

ちなみに、この本の例は東大か早慶の学生ということで、そりゃすごい。しかし、東大や早慶にいるのだから他の大学にもいるだろ、という論理もスゴいです。この論理で押し切っています。ちなみにロビーで着替えてはいけないとか、その場で履歴書を書いてはいけないというのは、皆さんはどこで学びました? もし教えてもらっていないのなら、知らないことができないのは当たり前なので、バカとかいう次元の話ではないような気がします。常識を知らない奴がいる、というのは否定はしませんが、それにしても一般化までしていいのかどうか。

もう一つ根本的に気になったのがインターネット。調べろといわれたらすぐネットで探す学生を批判しています。

ネットはたしかに便利な存在だし、調べるスピードも桁違いに早いが、限られた情報しか得られない。
(p.38)
これまで人類が積み上げてきた知的財産の一〇〇分の一もネット上には存在しないだろう。
(pp.38-39)

突っ込まれそうなので念のため確認しましたが、「早い」は間違いなく「早い」と書いてあります。もちろん数字の根拠など微塵も書いてないのですが、インターネットの歴史をみると、誕生が軍事利用という有名な話もありますが、その次に重要なのが web の誕生かな。web って何のために作られたか知ってます? www の発祥の地、CERN にこのような記述があります。

The web was originally conceived and developed to meet the demand for automatic information-sharing between scientists in universities and institutes around the world.
(The birth of the web | CERN)

要するに、WWW は大学の科学者達が情報を共有しようという目的で立ち上げたのです。 その目的もあって、実際、多くの論文がネットで参照できるようになっています。 だから、大学で調べろといわれたらまずネットで検索するというのは、個人的には当たり前の発想だと思ってしまうのですが、何かまずかったのでしょうか。ごめんなさい。 で、どこを調べるかというと図書館に行けというのですが、現状だとどうなんだろ。かなりの書籍が電子化されてきたようです。ただ、現実的にヘンな電子化する団体とかありますよね。本をスキャンしたイメージをPDFにして画像データのままでアゲてくれるからキーワード検索できない、みたいな。そういうのが本物のバカだろと思うのは私だけ?

Amazon のカスタマーレビューが酷評ばかりで面白いです。


最高学府はバカだらけ―全入時代の大学「崖っぷち」事情
石渡 嶺司 著
光文社新書
ISBN: 978-4334034191

夢の守り人

守り人シリーズ3作目。 今回は夢の世界にトリップします。薬草師とは仮の姿、実は呪術師見習いのタンダがまず夢の世界に行ってみたいと思います。探し物はタンダの姪のカヤ。 寝たら起きなくなってしまったのです。眠り病かと思いきや、魂があっちに行って戻ってこないことが分かって前途多難。それで、夢の中に入って何とかしようというストーリーです。

最強呪術師のトロガイ婆さんも何とかしようと四苦八苦して、星読博士のシュガと密会して相談します。 トロガイのアドバイスに、シュガはそれでは間に合わないから役に立たないというのですが、

わしの恩師が、よくいったものさ。すぐに役に立たないものが、無駄なものとは限らんよってね
(p.120)

なるほど、 確かにあとからじわじわ利いてくるものもあります。三年殺しとか。

今回は、トロガイの若いときの話が出てきます。 トロガイは昔、夢の世界に行ったことがあったのです。夢の世界に行ったときの回想ですが、

たとえ、このまま死ぬのだとしても、あの村の生活へは、もどりたくなかった。
(p.73)

キツい生活だったようですね。これがかなり重要な伏線になっているのですが、普通に読んでたら伏線に気付きません。読み直してください。 タンダの回想の中でも、トロガイ師は奥の深い言葉をいいます。

人はね、生きるのに理由を必要とする、ふしぎな生き物なんだよ。
(p.131)

解脱する人もいますが。十牛図を見ても、何だ結局それか、みたいな。 さて、タンダは夢の世界に行ってカヤを探しますが、見つける前に罠にハマってしまいます。 この時の<花番>の呪文。

――そなたの夢は…。
(p.148)

後半も唱えたところで呪いの完成なのですが、タンダは自分の言葉で呪文を重ねます。

――そなたのものにあらず。<花>のものなり。
(……おれの夢のみ、おれのものなり)
(p.148)

呪文を重ねるのは必殺技でしょうか。ピングドラムにも出てきますが。 このおかげでタンダは意識を失わずに済みますが、魂は元の世界に戻れなくなってしまいます。 後半、トロガイがタンガやその他諸々の捕らわれた人達を連れ戻しに、夢の世界に乗り込みます。 トロガイ師は面白いことを言ってます。

眠りは、とても、死に近いのさ。
(p.299)

寝たら死ぬぞ、という格言もあるし。呪いか言霊みたいな気もしますが。そういえば最近ヘンな夢、というのは見覚えのない光景が出てくる夢をたまに見るのですが、大丈夫でしょうか。 誰かが呼んでる?

ところで、この回の文庫本の解説は、養老孟司さんが書いています。ファンタジーを読み出すとやめられない止まらないという話で、

上橋さんのファンタジーでも、既刊全部を読み終えるのに、結局は数日を潰したはずである。 (p.344)

私は今3冊目ですが、隙間スイッチが入った時間だけ読んでいるのでトータルは不明です。本気で読むときは、ザックリなら、多分10冊で1日かかるとか、そんな感じです。山岡荘八さんの徳川家康という大作がありますが、文庫本で全26巻。あれを丸2日で読み直したことがあったと思います。ていうか最初は1日で読もうとしたら流石に無理でした。 ネットでは2日間ライブみたいな芸も流行っているようですが、延々と本を読んでいるところを2日生中継とかアリなんでしょうか。

こういうのも面白いですね。

文章はじつは身体で書くもので、ふつうに思われているように、頭で書くものではない。
(p.344)

何か分かるような気がします。ていうか頭で書くと片っ端から忘れそうな気がします。なこともないか。 書かされているという感じのときもあるかな。 さて、最後に、胡蝶の夢的な話が出てきます。

だから夢と「現実」が区別がつかなくなるというのは、あんがい的を得た表現なのである。
(p.344)

なかなか当を射た解釈だと思いました。


夢の守り人
上橋 菜穂子 著
新潮文庫
ISBN: 978-4101302744

闇の守り人

守り人シリーズの2冊目、6月21日に紹介した「精霊の守り人」の続編です。

この話では主人公バルサは闇の世界に入り込みます。闇の世界が洞窟にあるというのは説得力がありますが、

洞窟に、明かりをもちこんではいけない
(p.22)

何かを暗示しているような気がするのですけどねぇ…よく分かりません。世の中には知らない方がいいことがある、みたいな。

物語は、カッサとジナという子供2人が洞窟に入り込んで絶体絶命のピンチ、それをバルサが助けるところから始まります。カッサは15歳。子供というにはちょっと育ちすぎていますか。少年かな。ジナはカッサの妹です。このカッサが洞窟からルイシャ<青光石>という貴重な宝石を持ち帰ってきたので大騒ぎになります。 売れば大金持ち、といいたいところですが、王でないと売れない宝石なのでコッソリ売ることができません。 売ったところで、どうなるか。

考えてもごらん。きゅうに金持ちになったわけを、氏族の人たちに、どう説明するの? たとえ、よい嘘を思いつけたとしても、氏族の仲間たちをあざむいて、わたしたちだけ金持ちになって、おまえは幸せ?
(p.80)

ウソをついてまでして幸せになれるのか、というのが日本人的な感じがします。自国のためならウソをついて平気という国は普通にありますけど。どことは言いませんが、歴史を紐解くと謀略の繰り返しだったりしますよね。

バルサの人生観も面白いです。

せっかく、ジグロにもらった命、楽しんで、生きなきゃな、と思うようになったわけです
(p.118)

牧童の長老、トトもいいことを言う。

どんな理由があるにしろ、おまえみたいな、いい子に、あんな嘘をつかせるやつぁ、信用するんじゃないぞ。
(p.134)

バルサの育て親であり剣術の師匠であるジグロもいいことを言います。とはいってもジグロはこの話では既に死んでいます。回想シーンですね。

「……人をたすけるのは、人を殺すよりむずかしい。そんなに気張るな」
(p.179)

もう一つ。

おれが、たどってきた道の、どこかで、別の道を選んでいたら、もっとよい人生が、あったのだろうか
(p.179)

この話全体に出てくるのが運命論的な背景です。destiny です。すべてさだめ、というのは009でしたっけ、よく覚えてませんが。一般に長老格の人たちは何でも運命にしたがるような気もします。バルサも流石にキレます。

あの日々を――あの苦しみを――運命なんて言葉で、かるがるしくかたづけないでくれ!
(p.255)

とはいっても他の登場人物はともかく、バルサは数奇な運命で動いているようにしか見えないのですが。 バルサが案外面白いことを言っています。

「槍を使うのは、いざというときだけ。か。……それが、幸せなことなのかもしれないと、考えたことはあるかい?」
(p.232)

柳生新陰流ですか。活人剣。無刀取りの極意は相手に刀を抜かせないことでしたっけ。

闇の守り人
上橋 菜穂子 著
新潮文庫
ISBN: 978-4101302737

いのちの車窓から

昨年超大ブレイクした星野源さんのエッセイ集です。エッセイは月刊誌「ダ・ヴィンチ」で今も連載中です。単行本の表紙はイラストの源さんが「1」という数字を体で表現しているデザインなのですが、2が出るときはどんな格好になるのかな。楽しみです。

星野源さんを知ったのは J-WAVERADIPEDIA というラジオ番組です。ナイススティックです。ベジータ様とか出てきたと思います。この番組は病気で降板になってしまいますが、今は番組も終了しています。最近の J-WAVEは殆ど水曜日のカンパネラさんしか聞いてないです。

「友人」には、病気療養中ツイッターをしていた話が出てきます。

ツイッターというものは、何をつぶやいても、フォロワーがいなければその言葉に反応してくれる人は皆無であり、友達の和は1ミリも広がらなかった。
(p.34)

私はツイッターの使い方がヘタで、今は殆どブログが自動投稿する機能しか使っていません。フォロワーなんていたのかな、程度の認識です。そもそも、インターネットでは最近コミュニケーションを殆ど放棄しています。ディスコミュニケーション状態です。ブログにコメントが付いても殆どが無視です。だから、当然、皆、離れていきます。源さんと違うのは、

ただ誰かと会話がしたいだけなのだ。
(p.34)

私はツイッターで会話がしたいわけではないのです。しかも書きたいわけでもないし、ストレス発散でもありません。ではなぜツイッターを使っているのか。分かりません。プロフィールにも remember to forget me というわけのわからないことを書いています。

「一期一会」では、4歳ほどの子供がNHKのトイレで言ったつぶやきを紹介しています。地獄だったというのですが、

あんな歳で地獄を見ている。
(p.45)

本物の地獄をみている源さんが言うとリアルで凄いですね。今更書かなくてもご存知だと思いますが、先に書いた病気で、源さんは一度死に掛けています。地獄でなぜ悪い、という歌もリリースしていて、異様な説得力があります。

「人間」には、釣瓶さんの言葉が出てきます。

「だから源ちゃんは死んだらあかんねん。ほんま、死なんでよかったなあ」
(p.54)

釣瓶さんの声が聞こえるような表現です。そのまんまかもしれませんが。源さんと釣瓶さん、何か似た要素があるような気がしますね。

「文章」は個人的に面白いとおもいました。 メールが下手だから文章を書いて上達しようとか、普通思わないでしょう。

了解でう~
(p.72)

この表現、別にいいんじゃね、と思いますけど、センスかぁ。私はそういうの好きですけど。「みたいな」とか「【謎】」とか、今でも使ってますが、そういう所がよくないのかな。私は。

「夜明け」に出てくる、深夜が好きな理由が、

朝が来るからである。
(p.186)

南極とか行ったら発狂しそうですね。実は、私は暗いのが好きなので深夜が好きなのですが、部屋の電気を消して仕事します。だから朝が来ると残念な感じになってしまう。やはり、源さんはとても前向きな人なのです。

全然関係ないけど、昨日というか今朝 01:00 からの「星野源オールナイトニッポン」で、メガネが曇るという話をしてましたが、あれは湯気とか汗とかじゃなくて情熱で曇るのですよ、多分。


いのちの車窓から
星野 源 著
KADOKAWA
ISBN: 978-4040690667

速読でゆっくり読む

速読というのは一度に1行とか、数行とか、あるいは1ページを全体的に見て読むテクニックである。私は小学生の頃によく本を読んでいた。この本もあの本も読みたいと貪欲な読書を続けていたら自然と速く読めるようになったようである。速読できると、ゆっくり読むときもそれなりに速いのだが、どの程度のスピードなのか。

下町ロケットは文庫本で474ページ。これは電車で読んだ。片道が約25分。この往復で少し読み残しがあった。最後のロケットを打ち上げるあたりである。時間としては、だいたい1時間で全部読んだということにすれば、1分あたり7.9ページ読んだことになる。1ページは17行あるから、134.3行を1分で読んでいることになる。1行あたりは2.24秒となる。これが普通にゆっくり読んでいる状態の速さとなる。だいたい1秒で2行というのが感覚的にも合っているような気がする。

今回は、一度読んだ後で、書評に書くために付箋を貼る作業を行っている。もう一度読み直して、引用したい箇所をチェックしたのだ。こちらは片道25分の間に作業が終了した。付箋を貼る作業と乗車、降車の時間を入れると、20分というのが正確なところかもしれない。これは先の3倍の速さで、1秒あたり6.715行で読んだことになる。