Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

魔界京都放浪記

今日の本は西村京太郎さんの「魔界京都放浪記」です。

ジャンルはミステリー。雑誌編集者の佐伯は京都に取材中に行方不明になります。それを探しに京都に行った編集長の和田は、京都で取材中に能舞台に招かれ、そこで翁に言われたのが、

この白拍子がその井戸を使って、冥府に行き、閻魔大王に合って、現世に戻ってまいります。
(p.49)

井戸というのは薬師寺の裏にあって、冥界と繋がっているというのです。井戸からあの世に行って、またこの世に戻って来るというのです。

ストーリーは、本当に冥界があるのか、あの世に行って戻って来ることができるのか、という表のテーマともう一つ。京都に原爆が投下されなかったのは何故か、という有名な謎が裏のテーマとして進行していきます。小説では8月15日に原爆を積んだ爆撃機が京都に向かった話が出てきます。

しかし、パイロットたちには、京都の街が歪んで見えたに違いないのです。あの日はお盆にあたっていて、先祖のために送り火を焚いて祈り続けていた。その霊気が集まって、B29のパイロットの神経をおかしくさせた。だから、原爆を投下できなかった。
(pp.104-105)

これは「京都に原爆が落ちなかったのはなぜか」という討論会の中での発言ですが、ここだけを見るとファンタジー、あるいは妖怪譚的な印象を持つかもしれません。それが最後まで読むと何か違う話になっている、という所はまあ面白いんじゃないかと。個人的にはちょっとコジツケすぎるかと感じましたが、詳細はネタバレになるので伏せておきます。

原爆の話が出てくるので、当然批判的な表現もたくさん出てきます。

自分の国益の為に平気で人を殺す。被害者に向かって、早く戦争を止めさせたんだから感謝しろみたいな言い方をする人間を、私は全く信用できません。実際にアメリカは広島と長崎に原爆を落としているんですよ。原爆という凶器によって大勢の人を殺すには忍びない。そういって、原爆の投下を中止したというのなら、私は、アメリカ人の善意とかヒューマニズムを信じますが、実際に二発の原爆を落として何万人、いや何十万人も殺しているんですから。全く、信用できませんね。
(pp.189-190)

実際にそう思っている日本人は多いと思いますが、フィクションとはいえ小説にハッキリ書いてしまう人はあまりいないかもしれません。

個人的にはこの意見にはちょっと違和感があります。ヒューマニズムという箇所です。というのは、むしろ自分の利益のために平気で人を殺す、自分を他人よりも優先するというのがヒューマニズムの本質のような気がするからです。日本には、戦争放棄が最高、他国から侵略戦争されても仕方ない、強奪・虐殺されても構わないと考えている人間もいるようですが、そんな国は珍しいと思います。それは平和主義ではなく、ある意味相手国の戦争を肯定しているようなものです。

国益という言葉が出てくるのは、この少し前に、トルーマンが次のように言ったという話が出てくるからでしょう。

広島で六万人の人間が死んでも、これからの対日戦争で二十五万のアメリカ人の兵士が亡くなるよりはマシだ
(p.188)

25万人の軍人を守るために、6万人の非戦闘員、一般市民を殺してもいい、という判断がいかにもアメリカ的ですね。笑い事ではなく、今のアメリカ人もおそらく同じように考えていると思います。

さて、この小説には、原爆投下当日の

録音テープも残っているのです
(p.224)

ということになっています。テープレコーダーが開発されたのは第二次世界大戦前で、ドイツでは軍用に実用化されていたそうです。日本は同盟国なので機器を入手していたのかもしれませんが、例えば玉音放送はテープレコーダーではなくレコード盤に可搬型円盤録音機という機械を使って録音したそうです。


魔界京都放浪記
西村 京太郎 著
カッパ・ノベルス
ISBN: 978-4334077440