Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記 (2)

今日も風邪が治ってくれないのですが、ちょっと頑張って「みんな彗星をみていた」の続きを書いてみます。前回はリュートの話で「つづく」になってしまいましたが、一つ書き残していたのが、リュートの記法にはイタリア式、フランス式、ドイツ式など、国別にフォーマットがあるという話です。規格統一できなかったのでしょうか。

「イタリア式はとにかく誤植が多いんです。あれだけ誤植が多いと、自分でフランス式に書きなおしたほうが早いです」
(p.121)

いまいち何が早いのか分かりませんが、誤植があってもこだわらないイタリア人が目に浮かぶから面白いですね。日本式というのがもしあったら、どんな譜面になったのでしょうか。

さて、この本はキリシタンがテーマですが、キリシタンといえば長崎、特に島原の乱を思い浮かべる人は多いでしょう。しかし、長崎のキリシタン弾圧はそれだけではありませんし、いろんな所でその名残が見られるらしいのですが、

長崎は異様に〇〇跡という碑の多い街だと気づくのに時間はかからなかった。
(p.213)

かろうじて「ここに何かありましたよ」という碑が立っているというのです。当時の弾圧のすさまじさを想像できるというものです。

それだけ強烈な弾圧が事実としてあったら、呪いの類もパワフルなのでしょうか。キリスト教では呪いを禁止していたような気もしますが、筆者が長崎に行くといったら、スピリチュアル系の友人が止めにかかります。負のパワースポットなので行くなというのです。どうしても行くといったら、アドバイスをしてくれました。

一人きりにならない。できるだけ長居をしない。そして「ヤバい」と思ったら、光のある方へ向かうこと。
(p.224)

余計怖くなりそうですね。光のある方、というのがやけにリアルです。日本の幽霊は光を嫌うようですが、キリシタンの負のパワーも光に弱いのでしょうか。確かに悪魔というと闇とかブラックというイメージがありますよね。

ちなみに、この水田の話。

日本のキリスト教について考える時、私はいつも水田を思い浮かべる。ヴァリニャーノはセミナリヨに入ったキリシタン二世の少年たちを「初穂」と呼んで大切にした。
(p.231)

キリスト教的には麦がよく出てきますよね。日本だと米が一般的なので比喩も変化するのでしょうか。

さて、痕跡すらない史跡が多い中、今も残っている史跡もあります。原城跡というのはそれらしいのですが、これを世界遺産に、という運動に対して、筆者は「虚しくなる」といいます。なぜか。

この地の存在意義を訴えるためには「お上」がキリシタンをなぶり殺したことを世界に向けてアピールしなければならない。
(P.234)

そりゃあまり大っぴらにしたくない、というのは自然な感覚でしょう。ただ、事実は事実です。架空の弾圧があったことにして損害賠償しろと騒ぐような国もあるそうですが、妄想と事実は違います。

そもそも、なぜキリシタンが弾圧されたのか。日本古来の宗教と合わなかったから、と思っている人もいるかもしれませんが、日本のような宗教的にゆるい国で、本当にそんな理由で弾圧されるのか疑問を持つべきです。例えば、後にも出てくる話ですが、当時のキリシタン寺院を焼き討ちしたりしていたことが分かっています。そりゃ僧侶も怒りますよね。キリスト教というと平和を好む、争わない、裁かない、他人を許す、左の頬をぶたれたら右の頬を出す、のような温厚なイメージを持っているかもしれませんが、事実として、キリスト教徒の行くところ、常に戦争になるようです。

とはいえ、寺院を焼き討ちするのは過激だ、テロだ、という印象を持つのは早計かもしれません。当時はまだ戦国から立ち直ったかどうか微妙な、武力が正義の時代なのです。星野さんはオランダの曲は練習したくないというのですが、その理由がこれ。

オランダは、原城に立てこもった島原の民に向けて、大砲をぶっぱなしました。
(p.243)

400年以上前の話を持ち出しても仕方ないですが、今のオランダ人の一体何人が、その昔、わざわざ日本までやってきて、島原の原城に立てこもった一般民衆に砲撃したという史実を知っているのでしょうか。

そんな場所は当然、死屍累々という状態になります。原城跡の展示室には人骨のレプリカが置いてあったそうです。本物の骨もあるはずですが、レプリカを展示する理由は、「畏れ」があるからというのですが、それに対比する例がスゴいです。

こんなことを思うのは、かつてロンドンの大英博物館で見たミイラを思い出したからだった。エジプトから出土したファラオのミイラは、この博物館の売りの一つであるが、所狭しと並べられた数々のミイラに私は吐き気をもよおした。
(P.236)

本物の死体が展示されているのを見て平然としている、何とも思わないという感覚はいかがなものか、というのでしょう。しかし、今の英国の女王様も、今から何千年も経てば、どこかの博物館に遺骨が展示されているかもしれませんね。歴史は繰り返します。

(つづく)


みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記
文春文庫
星野 博美 著
ISBN: 978-4167911638