Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

夏の階段

今日は、昨日ちょろっと前振りしていた本です。梨屋アリエさんの「夏の階段」、怪談ではありませんよ。ちゃんと階段が出てきます。登場人物は高校生。高校生向けのノベルですね、青春です。5つの作品が入っていますが、それぞれ同じ高校で、登場人物がオーバーラップしています。

最初の作品が「夏の階段」。純粋階段の話です。純粋階段というのは、

純粋に階段だけがある不思議な階段
(p.14)

だそうです。階段を上がったら普通は何かありそうなものですが、その先に何もないのです。ビルの入り口にあった階段が、ビルが壊されて階段だけ残った、みたいな感じですか。

「夏の階段」の主人公は玉木くんです。

ついさっきまで、夏休み第一日目から強制的に参加しなくてはならない学校の夏期講習に、腹を立てていた。
(p.7)

知恵袋でもそういう質問、たくさんあります。しかし「第一日目」というのはもう間違った日本語とは認識されないのですかね。昔は、先輩に「一日目のことを第一日というのだ」と叱られたものですが、最近は馬から落馬もokなんでしょうか。

出てくる人達の生活環境が案外壮絶です。「君たちはどう生きるか」の時代のように、働かないと食えないというパターンの悲惨さはないのですが、玉木くんの家は、

おれのオヤジとお袋は、家ではしょっちゅう血みどろのケンカをしていた。
(p.23)

こんな感じです。まあ夫婦喧嘩は犬も食わないものですが。玉木くんはそういう親をも反面教師にするつもりですが、

おれがなりたかった大人って、どんな大人なんだろうか
(p.36)

肝心のことが分からないのです。これダメというのが分かっても、どうすればイイのか分からない。この話に出てくる遠藤さんが、現実的に、勉強する理由についてアドバイスしてくれます。

ほかに方法が思い浮かばないんだから、今できることをするしかないでしょ。もし幸せになれなくたって、なんにもしなかったよりは、胸張れるじゃん
(pp.42-43)

後になって、やっておいてよかった、ということは結構ありますよね。

2作目は「春の電車」。主人公はチェミ。高校が舞台なので、当然高校生活がリアルに描写されているのですが、

体育着だって、なんかエロなの。中学のほうがまだマシだった。
(p.64)

どんなのだろう。しかし、エロいのは体育着じゃなくて体だと突っ込んだらセクハラになるんですかね。さて、このチェミがオーボエ奏者なのですが、

吹奏楽部のオーボエ吹きのわたしは、オーボエ吹きらしく行動したいけれど、どういうのがオーボエ吹きらしいのか、わからない。
(p.81)

この本とは関係ありませんが、負け犬のオーボエ【謎】という格言があるとか…、これは意味が分かりません。結局チェミは高校ではオーボエ吹いたのか、それともやめたのか。

3作目は「月の望潮」。主人公は福田くん。ちょっとポエマー入っているような感じです。

ぼくは海に恋するシオマネキであり、つまり緑川と同じ状況にいた。
(p.101)

シオマネキは潮を招いているわけではなく、異性にアピールしているのだと思います。ちなみにハサミが大きいのはオスだけです。この緑川さんというのは、

チャーシュー麺につけたセットの半チャーハンのような――あれば嬉しい、なければ寂しい、でもそれだけじゃ物足りないという――なんとも微妙な位置にある女の子
(p.99)

というのが福田談。この福田くんが花火大会で玉木を殴ります。しかも反撃されて負けてしまう。それで新学期に登校し辛いのに耐えて教室に入ったら、

みんなの頭の中は早くも次の試験でいっぱいで、だれもぼくのことなんて気にしていなかった。
(p.112)

その程度の人気なのかとガッカリするわけですが、「君たちはどう生きるか」にもそんな感じのシーンありましたよね。自分というのは自分が思っているほど他人からは関心を持たれていないものです。

4作目は「雲の規格」、そんなものないでしょうというという意味でいい視点です。雲をつかむような話ですね。実は規格があるのかもしれませんが。この話の主人公は河野くん。緑川さんも結構いい味出していますが、とりあえず河野くんのお言葉。

オレたちの時代は恵まれている。奥窪のように、家庭が裕福で働かなくても生きていける人間だっている。実際問題、あくせく働かなくても、人間はそれなりに生きられるんじゃないかと思う。
(p.170)

この後、何でそれにもかかわらず大人が過労死になるまで働くかという考察に入りますがどうでもいいです。先にも書きましたが、今の時代、働かないと食えないから学校に行けないような人は殆どいないでしょう。しかしもっと奥深い問題を抱えている人が多いような気がするのですが。

オレは臆病者なのだ。一人ぼっちだと気づきたくないのだ。
(p.190)

こういうのが根深い。ただ、私はどちらかというと一人ぼっちがいいタイプの人間なので、それが臆病につながるプロセスがいまいち分かりません。

わたしが中学二年のとき、クラスメイトの一人から、小学生の作文みたいな〝ですます調〟でしゃべるのが不愉快だと暗に指摘されたことがあり、以来、話し方を変えました。
(p.199)

考えてみれば(みなくても)、表現を変えた位で本人の頭の中は変わらないわけです。しかし、言い方を変えるだけで、他の人はその人が変わったと錯覚します。だから表現というのは恐ろしいのです。それに反応してしまうクラスという集団がさらに恐ろしいことです。

5作目、「雨の屋上」の主人公は遠藤さん。この話には福田君の妹の優眞ちゃんが出てくるのですが、趣味は盗聴。

優眞ちゃんが「アニキってエロキモ~イ」と笑いながら、家中に隠しマイクを仕込んで盗聴を続けている
(p.217)

これは趣味というよりは悪趣味ですね。盗聴される側、気付かないものなのでしょうか。

遠藤さんは、感性がかなりずれています。不登校になったりします。遠藤さんは「すげぇ」と言われるのですが、

人に素直にすげぇと言える人のほうが、百万倍すげぇ人なのです。
(p.235)

素直に受け止めることができません。しかも、いじめられているのにも気づきません。後になって、

そのとき初めて、自分がいじめられていたのだと知って、驚きました。
(p.241)

かなり鈍いのですが、それでいて、いじめを知らずに不登校になってしまうのだから只者ではありません。不登校になったしまっていじめた同級生が慌ててカミングアウト、という流れがあるようです。しかし、この謝罪がまた怖い。

しかしなによりも、わたしはクラスメイトの謝罪の作文に書かれた真実に、衝撃を受けました。被害者である以前にオマエが加害者であり偽善者なのだ、とほのめかしながら謝罪している人たちが、恐ろしくなりました。
(p.243)

具体的な謝罪文が続くのですが、全然謝罪になっていない。そこまで酷い書きようをする謝罪は現実にはないと思うのですが、これでも本人は謝っているつもりではないかと思います。そういう時代になったのですかね。

最後に、重松さんの一言。重松さんは遠藤さんを救ったお年寄り(?)です。

変えることではなく、気をつけることです。
(p.256)

何のことかよく分からないかもしれませんが、座右の銘にしてください。


夏の階段
梨屋 アリエ 著
ポプラ社 teens’ best selections
ISBN: 978-4591102756

ポプラ文庫ピュアフル
ISBN: 978-4591114346