Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編

昨日はとある場所に行ったら、ギギギギィィィ、みたいな声で鳴いている鳥を発見した。おお、これがねじまき鳥か。実在するとは。ということでもう飽きてきたからさっさと終わらせたくて第3部の鳥刺し男編でシメる。鳥刺しよりも馬刺しの方が好きなのだが、鳥刺しってそういう意味じゃないよね。

第3部は、いきなり笠原メイの手紙を読まされたかと思ったら週刊誌みたいな段組で驚いてしまう。表現が週刊誌っぽいのが面白い。記事の内容は例の井戸があるワケアリ物件で、買うと皆不幸になるという仕組みなのだが、

「実を言いますと、あの土地を買いたいと思っているんです」
(p.42)

岡田がこれを買うという。井戸に入り直すのが目的だ。そうしないと小太り爺さん【謎】のコブ…じゃなくて、アザを消すことができないから仕方ない。井戸から不思議の国にワープして鬼と戦うというペプシみたいなバトルに挑むしかない。この土地、誰も買わないから価格競争する必要はないが、しかしその金もない。この時点で想定価格は8千万円。あてもない。宝くじを買ってみたりするが、当たらないことを確信している。結局、人間観察に戻って呆然としているときに、お約束という感じでまた例の女が出てくるのがわざとらしい。何でこの女は都合よくそこをウロチョロしているのだ。それはさておき、この前会ったときはお金には困ってないと返事したが、今は困っているから、

「どうやらお金が必要になったようです」
(p.84)

と打ち明けてみて、入用なのは8千万と言ってみる。

「少ない金額ではないわね」
「僕にはものすごく多いように思えます」
(p.84)

私もそう思う。しかし、女は翌日にそこで待っていろと指示する。言われた通りに待っていると、案内されて怪しいオフィスビルに連れ込まれて、ヘンなことをされて、封筒を渡される。後で開けてみると20万円入っている。

まだ7980万円足りない訳だが、とりあえず靴を買って家に戻ってくると、行方不明の猫が戻っていた。たまたま買って来たサワラを与えたらあっという間に食べたので、猫の名前は「サワラ」に昇格する。名前と言うのは重要なのだ。私にサワラないで、ってことかな。

とはいっても、この猫の立ち位置というか、何のために出てきて戻ってきたのかよく分からんのですよね。深く考えたら負けるような気もするから深く考えないけど。

そして謎の女にまたまた会って、今度は付いて来いというので後を付いて行ったらどんどん服装がグレードアップしていく。まるで「注文の多い料理店」のよう。最後にイタ飯を食べに行って、歓談する。

「でも、どうしてあなたは僕のためにわざわざ服を一揃い買ってくれたり、散髪やクリーニングの費用を出してくれたりするんですか?」
(p.110)

謎の女は何も答えない。雰囲気としては、映画「タイタニック」に出てきた服を貸してくれる成金女のイメージ。どうせだからググって調べてみたら Margaret Molly Brown という名前らしい。いろいろ問い詰めていると、

少なくとも私の近くにいる人には、できるだけまともな服を身につけてもらいたいの。
(p.113)

それは何となく分かる。環境を自分に合わせたいという願望はセレブには必然的にあるのだろう。貧民にはそういう発想がまずない。もちろんお金もない。しかしこの返事に対する岡田の切り替えしが、これまた凄まじい。

「じゃあ僕の十二指腸のことは気になりませんか?」
(p.113)

何でそこ? 気になると返事したら一体どうなったのだろうか。十二指腸を取り出して見せるとか、膵臓を食べたいとか。よく分からない世界がまだまだ続きそうな気もしてくるのだが、このあたりで謎の女の名前がないのが不便だという平凡な結論に到達する。名前なんかなくてもいいのではと反論されたりするが、

「でもたとえば後ろから呼びかけるようなときに、名前がないと困るでしょう」
(p.115)

それもそうだ。いやまて、困るのか? 前からだったら困らないのか? 前からだと「やあ」とか言えばいいのだとしたら、後ろからでも「やあ」といえば振り向いてくれそうな気もする。いずれにせよ、この屁理屈には女も一理あると考えたらしくて、目の前にある塩胡椒セットを見た後で、「ナツメグ」と言う。この瞬間、謎の女は「赤坂ナツメグ」という名前に昇格した。

「……じゃあ息子さんはなんて言うんですか?」
「シナモン」
「パセリ、セイジ、ローズマリー、アンド、タイム…」と僕は歌うように言った。
(pp.116-117)

スカボロフェアに行くつもりですか。どうでもいいがアンドというのは香辛料ではないのだ。他のモノをうまく調合するとトリップできるのだろう。

しかしこんなペースで書いていたら今年中に終わる気がしないので、思い切ってすっ飛ばして印象に残った笠原メイの手紙の一節を。

人はよく「つまりそれは、あれがこうだから、そうなったんだ」というようなことを口にして、多くのばあいみんなも「ああそうか、なるほど」となっとくしてしまうわけだれど、でも私にはそれがもうひとつよくわからないのです。
(p.261)

「だから」で接続するには説明が省略され過ぎていて分かりません、という意味らしいが、「だから」という演算子の両側のオペランドに何か突っ込んで実行したら True か False が出てくる程度のデタラメな理解でも全然構わないと思う。笠原メイは「なんの説明にもなってない」というが、それで正解だ。重要なのは説明じゃなくて事実かどうか、その真偽なのだ。何でもかんでも理解できると思ったら大間違いだというのは日常的に生活していれば実感してもよさそうなものだが、笠原メイというのもかなり異次元に頭が飛んでいるから、日常的という概念もないに違いない。ぶっちゃけ、実際は自分が理解できないものは認識の対象外になることが多いため、何も分かっていない人だって、だいたい何でも分かっているつもりで生活してしまう。するとやはり分からないと気付いてしまったコトには、理解しようと無駄な努力をすることになる。

この後、岡田はパソコンを使ってクミコと chat して、さらに綿谷ノボルと chat する。このあたりの描写はいまどきの人が見ると LINE を何故使わないのかと疑問に思うかもしれない。そんなものは金輪際ない世界の話なのだが、さて、これと同じようなサービスって何かあったっけ。パソコンとパソコンを直接接続してコミュニケーションするツール。UNIX なら talk みたいなコマンドはあったけど。今もあるのか?

そして物語は「ねじまき鳥クロニクル#8」という謎の文書にたどり着く。この章は満州の獣医の話で、バットで人間を殴り殺す話が出てくる。

「私はこの男を同じバットで殴り殺せという命令を上から受けています」
(p.302)

この話は最後のクエストに連結する重要な伏線を担っているのだが、なるほど、バットか。ちなみに「同じバット」というのは、この男がバットで2人殴り殺して逃げて捕まったからだ。しかしバットで殴り殺すという殺人事件は最近は聞かないな。昔は聞いたのかというと、そう、聞いたかも。

この巻には怪しい秘書の牛河や、皮はぎポリスとか、ホテルのボーイとか、どうも必然性がよく分からない人物がわんさか登場してくるのだが、やはりその種の人物全員は結局のところ岡田にコントロールされているように見えてしょうがない。全て妄想で片付けるのはよくないかもしれないが、バーチャル感が半端ないのだ。最後のクライマックスで、岡田は暗闇の中、バット一本でナイフを持った人物に立ち向かう。井戸で暗闇慣れしていてよかった。このときに、

想像することがここでは命取りになるのだ。
(p.550)

こんなことを考える。夢の中で自分がコントロールできたらもう、その世界から戻ってくることはできないらしい。夢は自分でコントロールできないから夢なのであって、コントロールできてしまうとそれはリアルなのだ。バトルに勝った岡田は現実世界の井戸の底に戻ってきて、そこで溺れそうになる。体が動けば泳げば済む話だが、ちゃんと都合よく動けない状態になっているのだ。しかも助かってしまうというのが素晴らしい。もう死ぬというときに、岡田が面白いことを考える。

良いニュースはいつも小さな声で語られる。
(p.562)

私の理解では、良いニュースは何も語られない。沈黙は一番良いニュースなのだ。だからこの話に出てくるニュースは実は全て悪い知らせなのである。


ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編
新潮文庫
村上 春樹 著
ISBN: 978-4101001432