Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

雑記

今日はまた頭が痛いので寝ます(笑)。その前に、電車でちょっと読み始めた本を。とはいっても零戦の本がまだ読み終わっていないのですが。

気になった文を紹介してみます。

私たちが学校に行くのは、「適切な質問をすると、自分ひとりでは達しえない答のありかを知ることができる」ということを学ぶためである。
(p.26)

答そのものではなく、「答のありか」を知ることができる、というのがいいですね。答は自分で見つけるのです。

 

レヴィナスと愛の現象学
文春文庫
内田 樹 著
ISBN: 978-4167801489

空の都の神々は

今日もドタバタ、ていうか東京と大阪を往復しています。それで新幹線で一冊読んでしまいました。

空中都市で神様と人間が共存する、という独特の世界の中、グダグダの権力争いに主人公のイェイナが巻き込まれていきます。イェイナは19歳の女性ですが、結構危ないタイプで、ナイフが得意。そして神様に好かれます。

特にシアという神様、姿は子供なのですが、何歳かよく分かりません。これがイェイナにいろいろちょっかいを出します。

クルエは思慮深いけど、ぼくはそうじゃない。彼女は賢明だと思ったことをする。ぼくは楽しいと思ったことをするんだ
(p.101)

クルエも神様です。賢い女神さまっ、てな感じです。そして重要な役割なのが、ナハドという夜の神様。夜の君と呼ばれていますが、ほぼ最強です。しかしイェイナの命じたことはナハドは服従しないといけないのです。それがルールです。ただ、迂闊な命令を出すととんでもないことになります。

まさに適切な指示を与えることが重要だ。ナハドは盲点がないか考える。
(p.76)

盲点というのは、例えば、

そしてもし「ナハド、あなたの好きになさい」などという不注意なことをいえば、わたしは彼に殺されてしまうだろう。
(p.112)

みたいな話です。化物語でも願い事を叶える猿の手の話がありましたが、あれです。実は猿ではなかったようですが。

この作品には、格言的な表現が結構出てきます。例えば、

もし注意深く読めば、腐った知識のなかにさえ真実はあるものよ
(p.187)
何事にも最初はあるものよ
(p.484)
どんなものであろうと、何かを生み出すには苦痛はつきものだ。
(p.523)

そんなに深い言葉ではないかもしれませんが、じわじわと説得されるような感じもしてきます。クライマックスのどんでん返しも、アニメにしたら盛り上がりそうな感じです。

 

空の都の神々は
ハヤカワ文庫FT
N・K・ジェミシン 著
佐田 千織 翻訳
ISBN: 978-4150205379

雑記

今日もドタバタしたのでアレですが、ちょっと本を読みました。

何で今頃という感じもしますが、最近、疲れたときはこういう本を読むと癒されるのです。何か頭の中で壊れているのかもしれませんが。ちなみに、こういう本は図書館でたまたま手にして借りてしまう、いわゆる衝動借りです。

 

プロタゴラス―あるソフィストとの対話
光文社古典新訳文庫
プラトン
中澤 務 翻訳
ISBN: 978-4334752217

ハイデガー入門

先日、出版社が分からなくなったので調べると宣言していた「ハイデガー入門」ですが、講談社学術文庫であることが確認できました。ハイデガーといえば「実存」なのですが、実存とは何だろう。

それから「存在的優位」とは、やはり「存在問題」を論究するにあたっては、人間という存在(=現存在)は他の諸存在(事物存在)に対して優位を持っているということ。その理由は、人間は「自分の存在がどういう存在であるかを問題にする」ような存在だからだ。また、このような人間の「存在仕方」をハイデガーは「実存」と呼ぶ。
(p.39)

ハイデガーに逆らうのはおこがましいでしょうが、個人的には人間以外が「自分の存在がどういう存在かを問題にしていない」というのであれば、それは人間の思い上がりのような気もします。そう言うなら、そこまで考える動物が実在するのかと問われるとアレですが、例えばAIはどうなんでしょうか。動物じゃないですけど。「私は何なのか?」と悩むAIが、そろそろ出現するかもしれません、いや、既にいるかも。

ハイデガーにとって「実存」とともに重要なテーマは「死」です。

また人間は、いわば「死」をめがけて存在しているような存在であり、ある意味で「死」が人間の生の「全体」を完結する。
(p.124)

生死も相対的に捉えるということでしょうか。確かに、もし人間が不死であれば、倫理は激変しますね。その意味では、死が人間を束縛する力はたいしたものです。

「死」は「言葉」と並んで、人間の幻想秩序における最も根源的な本質契機である。
(p.141)

死という「恐怖」が人間の行動をおおいに制約していることを示しています。人間は本質的に死を避けようとする存在のはずなのですが、ちなみに今読んでいる本は零戦で特攻する話が出てきます。アレはいったい何なのだ、何でそうなるのだといわれると、それもまた死という様相の持つ特殊なプロセスではないかと思います。

ところで、次の主張はどうでしょうか。

もし人間から「死の不安」を取り払えばどうなるか。秩序だった労働はなくなり、富の蓄積はなくなり、したがって、権力の必要性もなくなり、
(p.141)

個人的には、そんなことはない、人間の欲望は、死ななければどうでもいいみたいな単純な結論を出さないと思うわけです。例えばいくらでも稼ごうとするだろうし、楽をしようとか、面白いことをしようと考えないでしょうか。権力というのは生存のために得ようとするものには思えないのです。

さて、前回も紹介しましたが、

なぜ一体、存在者があるのか、そして、むしろ無があるのかではないか?
(p.188)

無がある、という考え方が面白いというような話をしました。日本人はあまりそのような考え方はしません。モノとかオブジェクトが最初にあって、それがあるかないか、だから「何もない」と考えます。しかし、英語の表現では、nothing や nobody のような単語が主語になる文もありふれています。ビートルズの歌にもありますね。nobody knows は無理に日本語にすると「誰もいない」が知っている、ということになり、誰も知らない、とは視点が違っているわけです。

 

ハイデガー入門
竹田 青嗣 著
講談社学術文庫
ISBN: 978-4062924245

雑記

今日もグダグダが続いているため雑記です。読んでいるのはちょっとした隙間時間に零戦開発物語、やっと零戦が登場したあたりの所ですが、その少し前に面白い記述がありました。昭和13年8月というから、日中戦争でまさにグダグダになっている頃の話です。著者の小福田さんの部下が敵地に不時着してしまったのです。中国は広いですから、敵地といっても、

かならずしもそこに敵がいるわけではないが、味方が占領しているのでもない。
(pp.146-147)

という状況ですが、とにかく揚子江を船でのぼって助けに行って、不時着した九六式艦戦を見つけると、

そのちかくでは少数の中国農民が人のよさそうな顔をして、不時着パイロットといっしょに畑に腰をおろして、のんびりとわれわれを待っていた。
(p.147)

今みたいにスマホでニュースがリアルタイムで入ってくる時代ではありませんから、農民は戦争がどうなっているとか関心がなかったのかもしれません。飛行機が修理して飛んでいくのを手を振って見送ってくれたといいます。国と国は激戦中でも、現地の住民はそんなものだったのです。

雑記

今日もグダグダなので書くパワーが残っていません。図書館で予約した本を受け取る予定でしたが間に合わないし、フンガー蹴ったり【謎】です。

先日ちょろっと名前を出した、零戦開発物語、もう少し読みましたが、著者の小福田さん、海面に不時着の経験まであるようですね。戦争中のパイロットだけに、本物の死線をくぐってきているようです。

 

煙と骨の魔法少女

ファンタジーです。とはいっても指輪物語のような異世界べったりのストーリーではなく、舞台になっている片側の世界は今時のプラハです。プラハは知らないのですが、日本でいえばどこに似ているのでしょうか。

プラハの通りは幻想的だ。二十一世紀には手をつけていない。いや、二十世紀も十九世紀も遠慮してきたのだろう。
(p.39)

何となく、ヨーロッパの戦場として鍛えられた街のイメージはありますね。

主人公の魔法少女はカルー。魔法少女というとプリキュアのようなイメージになってしまうかもしれませんが、個人的にはカルーのイメージはもっと恐ろしいもの。カルーの外見は普通の人間だし、悪役ではないのですが、何か怖い存在感があります。

カルーはお転婆です。それを親のブリムストーンが叱るシーンがあります。

「必要なのもがきたときは、わかる」ブリムストーンは答えた。「自分を粗末にするな。愛を持て」
(p.37)

これはカルーが初体験したのを知ってお説教したのです。親というのはちょうと語弊があるのですが、本を読むと分かるので伏せておきます。ブリムストーンのいう「生きていくための簡単なルール」は面白い。

不必要なものは身体に入れるな。
(p.36)

で、必要なものがあるのかと訊いた返事が最初の言葉で、結局よく分からん話ではありますが、説得力はありますね。私なんかだと注意力がないので、必要なものがきても見落としてしまう方が多いような気がします。

さて、ブリムストーンはあるものを集めています。

歯だ。
(p.50)

なぜ歯を集めるのか、理由はこの本を読めば出てきます。とても重要な意味があるのです。それはそうとして、歯を持ってくる人の設定がこれも面白い。

歯を持って店にやってくる取引相手は、例外はあるが、たいがいは、人間の中でもかなりレベルの低い者ばかりだった。
(p.56)

低俗というか、下品な感じの人ということです。貴族は来なかったのでしょう。歯を売る貴族というのも想像できませんし。ちなみに、ブリムストーンは、

ブリムストーンは怪物だった。
(p.58)

普通にバケモノです。この物語に出てくる化物はキメラです。ブリムストーンの場合、上半身が人間で、下半身がいろいろ混在しているようです。ちなみに、ブリムストーンはいろいろ面白い哲学を持っています。

「知りたがるな」というのがプリムストーンの鉄則の一つだ。
(p.113)

知りたがるというのは人間の本能のようなものですから、仕方ないのかもしれませんが、知ってしまって話がややこしくなるというのは、現実的によくある話ではあります。

次はカルーとイズィルという老人(バケモノですが)との会話するシーン。イズィルは歯を売りに来たのです。

「違うの、問題はね、あいつらが人間だってとこじゃないのよ。人間以下だってことなの」
(p.117)

カルーも人間じゃないのですけどね。あいつらというのは、ブリムストーンに歯を売りに来る人間を指しています。ということでこの話、バケモノだらけなんですね。化物語どころではありません。バケモノと言えば外見が異様なのですが、

「人間は美に弱い」とブリムストーンはばかにするようにいったことがある。
(p.255)

外見にこだわってどうする、ということなんでしょうね。

物語の途中から出てくるのが天使、アキヴァです。秋葉?

アキヴァは立場上カルーの敵です。立場もなにも、最初はポータルというキメラの拠点を焼き討ちしています。完全に敵対行為です。しかしなぜかカルーに好意的につきまといます。どうして焼き討ちをするのかカルーが訊ねるのですが、

「戦争を終わらせるためだ」
「戦争? 戦争なんてあるの?」
「そうだよ、カルー。戦争しかない」
(p.264)

天使と化物はずっと戦争をしているのです。話の中では天使をセラフ、化物をキメラと呼んでいます。セラフとキメラは戦っていますが、アキヴァはマドリガルというキメラに恋をします。もちろん周囲が認めるわけがありません。

マドリガルは希望を持てといいます。

マドリガルは肩をすくめた。「希望かしら? 希望には強い力があるから。実際には魔法はないのだけれど、なにをいちばんの希望にするべきなのかがわかっていて、その希望を明かりのように胸に灯していれば、事を起こせるかもしれない。それってほとんど魔法みたいなものでしょ」
(p.376)

この話では「願い事」と「希望」を明確に区別しています。

願い事はまやかし。希望は本物だ。
(p.191)

希望の方がグレードが上なんですね。ロミオとジュリエットどころではない、天使と悪魔が和解というのはどう考えても有り得ません。マドリガルですら、

マドリガルは、幼い頃からセラフを憎んできたので、セラフに自分たちと同じように人生があるなどと考えたことはなかった。
(p.466)

それがなぜセラフのアキヴァと恋に落ちるのか謎なのですが、とにかくこの恋は悲劇的に終わります。そしてカルーの話につながっていくのですが、これもまたとんでもない悲惨なところで終わってしまいます。といいたいところですが、

「物語は終わらない。世界はまだ待っているのよ」
(p.492)

何を待っているのか、というところですね。この話は次作に続く伏線となっているのです。

ところで、セラフはキメラに対して圧倒的な強さを誇っているのですが、キメラはセラフの図書館を焼くことで魔術の知識を失わせ、かなり挽回することに成功します。セラフはこのとき情報を一か所に集めていました。

だからマギたちは知識を抱えこみ、自分たちのいうことをきく弟子しか取らず、その弟子を手元に置いていた。それが最初の誤りだった。力をひと所に集めておいたということが
(p.523)

分散させておけば一気に全て失うことはありません。クラウドにしておくべきでしたね。

最後に一言、意味深な言葉を紹介しておきます。

悪を前にして誠実でいられるというのは、強さのなせる技だ
(p.526)


煙と骨の魔法少女
レイニ・テイラー 著
ユーコ ラビット イラスト
桑原 洋子 翻訳
ハヤカワ文庫
ISBN: 978-4150205591