Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

木を見る西洋人 森を見る東洋人

今日の本は「木を見る西洋人 森を見る東洋人」。

西洋人と東洋人の間には考え方に根本的な違いがある、という本です。具体的な違いは、次のようにまとめられています。

・注意と知覚のパターン……東洋人は環境に多くの注意を払い、西洋人は対象物に多くの注意を払う。東洋人は西洋人よりも、出来事の間の関係を見出そうとする傾向が強い。
・世界の成り立ちについての基本的な仮定……東洋人は実体、西洋人は対象物から成り立っている / と考えている。
・環境を思いどおりにできるか否かについての信念……西洋人は東洋人よりも強く、自分の思いどおりに環境を変えられると信じている。
・安定と変化に関する暗黙の仮定……西洋人は安定を、東洋人は変化を仮定している。
・世界を体系化する習慣……西洋人はカテゴリーを好み、東洋人は関係を強調する。
形式論理学の使用……西洋人は東洋人よりも、論理規則を用いて出来事を理解しようとする。
弁証法的アプローチの適用……明らかな矛盾に直面したとき、東洋人は「中庸」を求め、西洋人は一方の信念が他方よりも正しいことにこだわる。
(pp.58-59)

このような差異があることを、様々な例を示すことで検証していく構成になっています。先の中で個人的に気になるのは、世界を体系化する習慣です。カテゴリーと関係、両方を強調するような考え方はできないのでしょうか。

ちょっと話がそれますが。

日本人はしばしば「自分」という表現も使うが、これは「自らの取り分」という意味である。
(p.66)

私見としては、この「分」は取り分ではなく、所有権が効力を持っている範囲という意味だと思います。つまり領域(エリア)です。

この本には、基本的帰属錯誤、という言葉が出てきます。

東アジア人は、社会心理学者リー・ロスの言う「基本的帰属錯誤」にそれほど陥りやすくはない
(p.141)

基本的帰属錯誤というのは、行動が環境によって決まっているにもかかわらず、本人の属性によって決定されたと錯誤することをいいます。

この後の例では、Aさんが少額の報酬の場合に献血を断り、Bさんが多額の報酬の場合に献血をしたという状況において、西洋人の場合は「Aさんは献血したいと思っていないがBさんは献血したいと考えている」という結論を出しています。条件がこれだけなら、Aさんは報酬が少ないから断り、Bさんは報酬が多いので承諾した、という可能性もあるはずですが、西洋人はそれを見落として、決断したのは本人の属性による、つまりAさんは献血をしたがる性格なのでした、Bさんはしたがらない性格だからしなかった、と判断しがちだというのです。

逆に東洋人だと、Aさんは報酬が少ないから断って、Bさんは報酬が多いから承諾したと考え、そもそもAさんは献血したがらない、Bさんは献血したがる、という可能性を見落としがちなのです。

そのような考え方の差が出る原因の一つは、言語体系の違いではないかといいます。

東アジアの言語は非常に「文脈的」である。単語(あるいは音素)は往々にして複数の意味をもっているため、それらを理解するためには文脈が必要である。これに対して、英語の単語は弁別性が高く、また、英語の話者はできる限り文脈を必要としない発話を心がける。
(p.178)

日本語で有名なのは「自分」が「あなた」の意味になることがあるとか、子供が生まれたら自分の母親が「おばあちゃん」になるような例でしょうか。基準(環境)が変化するために、表現も変わってしまうのです。

ということで、東アジア圏では、会話は環境がどうなっているかという共通理解の上で進められます。

中国語では「もっと飲む?」と尋ねる。英語では「More tea?」(お茶をもっと?)と尋ねる。中国語の話者にとっては、「お茶の話をしている」ことは自明なので、このうえさらにお茶に言及するのはくどいと感じられる。英語の話者にとっては「飲むという行為についての話をしている」ことが自明であり、それゆえ、質問のなかで飲む行為に言及するというのは、かなり奇妙なことに思えるのである。
(p.180)

日本語だと、「おかわりはいかがですか」と尋ねますね。もう一杯? とか More? で済む話かもしれませんが。

訳者あとがきから。

人は、知らず知らずのうちに、自らが身を置く社会の慣習をあたりまえで唯一の「常識」として認識し、別の社会には自分たちと異なったものの見方、考え方があることを忘れてしまう。
(p.259)

これが如実に現れるのがネットです。SNS の炎上騒ぎの多くが、自分の常識が他人の常識だと妄信することで発生します。あるいは、大勢が一方的な主張をしていると、それが正しいと錯覚して、そちらに乗っかろうという心理が働いているかもしれません。


木を見る西洋人 森を見る東洋人
思考の違いはいかにして生まれるか
リチャード・E・ニスベット 著
村本 由紀子 翻訳
ダイヤモンド社
ISBN: 978-4478910184