今日もグダグダだったので書くこともないですが、電車の中では三島を読んでました。この人はいつ読んでも面白いですねぇ。考え方というよりも、存在そのものが面白いです。対談でこういうことを言っている。
きたない試合やるボクサーは非常に弱いんだけど、きたないことによって勝つことがよくある。
(p.150)
それも美学だということでしょうか。
今日は結構暑かったですね。室内は逆に寒い位でしたから、これは体調に気を付けないとやられるパターンです。今日は三島由紀夫さんの本をちょっと読みました。
三島さんの文章は個人的にはスッキリとした難解文だと思っています。こんな表現があります。
守るという行為には、かくて必ず危険がつきまとい、自己を守るのにすら自己放棄が必須になる。平和を守るにはつねに暴力の用意が必要であり、守る対象と守る行為との間には、永遠のパラドックスが存在するのである。
(文化防衛論、p.49)
流石に平和ボケの今の日本でも、平和主義を宣言するだけで平和に暮らせるというお目出たい人は存在しないと思いますが、自己放棄というのは三島さんのことですから例えば神風の特攻のような作戦が頭にあるのではないかと思われます。
無抵抗主義というのもありますが、暴力と無抵抗が戦ったら基本的に暴力が勝ちます。無抵抗が勝っためには、無抵抗の裏に暴力に対抗する力あることが前提になるのです。
文化防衛論
ちくま文庫
三島 由紀夫 著
ISBN: 978-4480422835
今日はいつにも増してグダグダダで、ダが1つ多くなってしまいましたが、とにかく足が痛くて歩けないとかそのレベルで大変です。といいつつ歩いて帰宅中なのですが。
プレミアムフライデーなので書店でポイント稼ごうかと思ったりしましたが、中にはプレミアムフライデーが土日も続くスゴいフライデーの店もあるので、そのような店に期待したいです。
実は読みたい本が一冊あるのですが、それが洋書で、日本の電子書籍はともかく、Amazon の Kindle ですら見当たりません。米国アカウントのような裏技で入れば get できそうな気もするのですが。日本語版の Amazon だと、ペーパーバックしか選択肢に出てこないのです。
図書館でも探してみましたが、それもないというのが何だかな~という感じです。結構有名な本なので、getできたらここで紹介したいと思います。
今日は電車の中で一冊読みました。
超速読力というのはどういう意味かというと、
大量の情報をざーっと流し込んで、それに対してコメントが言える能力、すなわち「超速読力」
(p.013)
つまり、このブログでやっているようなスキルがズバリ超速読力なのでしょう。なお、この本は20~30分程度で読んでいます。
ちなみに、この本にはフセンを貼る話が出てきますが、私も貼っています。この本の場合は、20枚ほど貼りました。
本にフセンを貼る人はあまりいない
(p.178)
そういわれると、確かに自分以外に、本にフセンを貼る人は見たことがありません。フセンを貼ると本が傷むという説がありますが、経験的に、粘着力が弱いフセンだと問題ないです。ただ、貼ったつもりのフセンがどこかに行ってしまうことがありますが。
さて、この本は速読する本かと思ったのですが、
時間がないときは、真ん中あたりから読み始めることをおすすめします。
(p.029)
また本によっては、カバーを織り込んである袖の部分や裏表紙に、解説や要約が書いてあることがあります。これを読めば、本文をまったく読まなくても内容がわかります。
(p.064)
それって要するに速読じゃなくて読んでないですよね。
ちなみに、斎藤さんは重要なことを第一章に書くそうなので、斎藤さんの本を真ん中から読むと失敗します。また、この本は最後は実際に速読する例が紹介されているので、最初に基礎、最後に応用という参考書のような構成なんですね。古典を読むのがいいとか、積ん読でも構わないというのは、かなり目から鱗が落ちまくります。
最後に恒例のアレ、いいなと思った言葉を紹介します。
偉人の言葉は、ひと言が重いのです。
(p.144)
超速読力
齋藤 孝 著
ちくま新書
ISBN: 978-4480072313
主人公のミチルは盲人、見えなくなったのは大人になってからだ。強い光があるときに明るさを感じる、程度の感覚しかない。父が亡くなった後、一人暮らしを始めた。その部屋にアキヒロという他人がこっそり入り込む。作者のあとがきにはこう書いてある。
この本は、「警察に追われている男が目の見えない女性の家にだまって勝手に隠れ潜んでしまう」という内容です。
(p.258)
アキヒロはいわゆる根暗。コミュ障ではなく、意図的にコミュニケーションを拒んでいる感じである。
周囲が何かの話題で弾んでいても、会話に加わりたいと思わない。会話の中身にも興味が湧かない。
(p.31)
この性格のせいで、職場では仲間外れになっている。パシリのような立ち位置で、もちろん楽しいわけがない。会社に行くのが苦痛である。しかし我慢して出勤している。ある日、喫煙所で皆が自分をハメる相談をしているところを立ち聞きしてしまい、そこから出てきた若木という新入社員とばったり出くわす。バレた思った若木は焦るのだが、わざわざアキヒロにさりげなく怒ってるかと訊いたところが、
殺したいと思っている
(p.40)
なかなか過激だ。これが後でややこしいことになっていく。
アキヒロはミチルの家にこっそり入り込む。ミチルには姿が見えないので、アキヒロが目の前にいても、気配を消していれば気付かれずに済むのだ。よくこんな話を思いついたものだ。まさか実話ということはないような気がするし、盲人の感覚というのは尋常ではない鋭さがあるから、実際にそんなことをすると一瞬で気付かれてしまうような気がする。
ミチルが外出して、自由に家の中を動き回ることができても、アキヒロはほとんどの時間、居間の片隅に座っていた。
(p.72)
みたいな生活が続いて、食事とかは、冷蔵庫からこっそりとちょっとずつ失敬している。ちょっとずつだと気付かないと思っているのだが、実はミチルは気付いている。
いつのまにか自分の知らないうちに、食料が減っているような気がするのだ。
(p.87)
最初は動物か何かと思っていたのだが、人間だとかなり怖い。
もし自分がだれかにこのことを知らせようとしているのがわかれば、急に乱暴な行動をとってそれを阻止しようとするかもしれない。
(P.89)
ということで、何となくおかしいと思いつつ気が付かないフリをしている。この微妙な緊張感が続いていくのがこの小説の面白いところ。ミチルがいろいろ罠をしかけるので途中で完全にバレてしまうのだが、それでも二人とも黙っている。
二つの皿の温かいシチューが、テーブルの上で湯気を立てている。
(p.127)
ミチルは、誰か分からないがそこにいる人と一緒に食べようと、シチューを二人分作ったりする。バレてしまったら仕方ないのでアキヒロも無言で食べる。でも会話はしない。
自分でない他人がいるのだということを、なかったことにはできない。お互いがお互いをいないことにすることなどできなかったのだ。
(p.128)
最後はちょっとしたミステリになるのだが、全てクリアになったところで、アキヒロがなぜミチルの家で微動だにせず隠れ続けていたのかを説明する箇所がある。
つきあいのない人間から否定されることは、すでに中学のときから学んでいた。しかし彼女からもそのような態度を見せられることが、どんなに自分を絶望させるかわからない。その様を幾度も想像して震えた。
(p.254)
自己主張したときに拒絶されたくない、という単純な理由なのだ。それまで学校でも職場でも周囲から浮いていた、どこに行っても拒絶されていた人間が、ここでだけは拒絶されたくないという考えに至ったのは、
必要なのは、自分の存在を許す人間だったのだ
(pp.254-255)
そこにやっと気づいたから、ということになっている。確かにそれはなかなか見つかりそうで見つからないものかもしれない。家族ですらそうでないようなケースだっていくらでもあるだろう。家族というのは最初に出会う他人なのである。