Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

貧しき人々 (2)

先日紹介した「貧しき人々」、もう少し書いておきたいことがあるので追加します。

今履いている古靴では、明日勤めにちゃんと行けるかどうかさえ覚束ないほどなんですよ。
(p.199)

後半になると、なぜか靴の話がしばしば出てくるのですよね。でも靴というのは一般的にも重要なアイテムです。

社会人になるときに、人は靴を見て相手を判断するから靴はよく磨いておけ、というアドバイスをいろんな人からもらいました。常識ですね。しかし私はボロい靴が好きです。そういうのを履いていると人として相手にしてくれないような気がするのがかえって気楽なのです。とはいっても、お客様のところにそんな靴で行くわけにはいかないので、ちゃんと取引用の靴も持っています。これはいつも履いている靴の十倍以上しました。服も、いつもはバーゲンの2着ン万円でズボン+1着サービスみたいなのですが、詐欺…じゃなくて、勝負用の服も持っています。

あとはボタンですよ。
(p.199)

ボタンといえば、カシミアのコートのボタンが取れてるんですよね、最近着ていないのですが。実はこのコートはもっと高いのですが、ボタンが1つ取れたら台無しなんですよね。とはいってもボタンが全て隠れるようになっていて、見ても分かりません。単に付ければ済む話ですが。

というわけで靴はね、私の名誉と面目を保つために必要なんです。
(p.206)

とうとうどうしようもなくなったマカールはお金を借りに行きます。紹介してもらった人は貸す金はないと言って断ります。ボロ靴の人に金を貸しても返ってこないと判断するのは当然のこと。マカールは利子がいくらでも返すと言っても、

いや、利子なんて関係ありませんよ。担保でもあればね!
(p.212)

金はないと断っているのに、担保があれば金が生まれるようなメカがあるのでしょうか。金持ちの世界は謎です。

マカールは躁鬱状態をいったりきたりしていますが、とうとう気落ちして、

自分がなにかしら意味のある存在だと思うことすらふとどきなことと思われ、それどころかやがて、自分の存在そのものがふとどきでかなりみっともないものだと思うようになったのです。
(p.224)

社会に対して何もできていない、故に存在価値もない、というのはある程度裕福な人の思考のような気もしますが、面白いことに、これだけ貧窮問答の世界に生きているにも関わらず、マカールとワルワーラはお互いにお金を与えて相手を助けようとするのです。それは存在意義を確かめようという意図が働いてのことなのでしょうか。

さて、最後のクライマックスでは、マカールがやらかしてしまいます。

私は丸々一行をすっ飛ばしてしまったんです。
(p.254)

マカールは清書担当で、原稿をきれいに書くのかな、あるいはタイプするのかもしれないですが、書類の1行が抜けていたらそれは大変なことになるわけです。これが塞翁が馬の引き金になるのですが、ここはネタバレは止めておきましょう。

もうひと騒ぎあるのがワルワーラの縁談です。ワルワーラの嫌いなブイコフがやって来くるのですが、なぜココがバレた?

フェドーラが申しますには、私たちのところへよくやって来るフェドーラの義姉のアクシーニャが、洗濯女のナスターシャの知り合いで、そのナスターシャの従兄が、ある役所の守衛をしているのですが、その役所にアンナさんの甥の知人が務めているとか
(p.271)

イヤな奴役のアンナがブイコフと繋がりがあるのですが、途中の経路がこれではわけがわからないです。これだけ関係性が遠いと facebook のお友達でも出てきそうな気がしませんね。


貧しき人々
フョードル・ミハイロヴィチ ドストエフスキー
安岡 治子 翻訳
光文社古典新訳文庫
ISBN: 978-4334752033

雑記

今日は新幹線の中で少し読みました。

事前知識がないと、序文だけで挫折してしまうような内容です。もしかすると翻訳しないで原文で読んだ方が理解できるのかもしれません。とりあえず一言。

光は夜に裏打ちされているのだ。
(p.37)

実存から実存者へ
E. レヴィナス
Emmanuel L´evinas 原著
西谷 修 翻訳
講談社学術文庫
978-4061592575

 

働きたくないイタチと言葉がわかるロボット 人工知能から考える「人と言葉」

今日は「貧しき人々」の続きを書こうと思ったのですが、本をオフィスに置いてきてしまったらしいので、先日読んだ本からちょっと紹介してお茶を濁します。「お茶を濁します」なんて表現を使ったらとんでもないことになりそうだ、というのが分かる本です。何だそれ、といいますと、AIの本です。「働きたくないイタチと言葉がわかるロボット」。

ひょんなことでイタチが言葉を理解するAIを作ろうとするのですが、それがそう簡単なことではないのだ、というのをコミカルに教えてくれます。とても読みやすいです。

例えば機械的に返事をするOKグーグル的マシンに対して、それって考えてないじゃんとイタチが批判するのですが、

カメレオン「そう言うけど、あんたたち自身はどうなのよ? 会話をするとき、いつも「相手の言ったことの中身をちゃんと分かってる」の? そして、いつも「本当に思っていること」を話してるの? 適当に相づち売ったり、適当なことを言ったりしないわけ?」
(pp.040-041)

反射的な会話は結構ありますよね。いつも考えてモノを言ってるのかと言われたら、確かになかなか怪しいものです。

イタチたち「いや、でも、ちゃんと考えて返事することもあるよ!」
カメレオン「だから、その「ちゃんと考えて返事する」ってどういうことだよ?」
(p.041)

こはちゃんとじゃなくて「考えて」の方がポイントなんですけどね。

じゃあ聞くけど、あんたたち、自分たちがレオンちゃんみたいに「過去にされた会話の記憶」を使わないで話してるって自信ある?
(p.041)

その自信がある人間は殆どいないでしょう。 実際、人間は他の人の会話を聞きながら育って、真似をすることで学習して大人になっていくのですから、大抵のことは今まで聞いた表現の組み合わせに決まっています。誰の真似もしないで話をしたら、通じないような気さえしてきます。

少し哲学的なところに踏み込んだりすると、例えば「分かる」とは何なのか、こんな感じで、

リンゴを見たことも食べたこともないのに、リンゴについての質問に答えられるなんて、本当の意味で「言葉が分かってる」とは言えないと思うよ
(pp.060-061)

じゃあ分かっているというのは一体何なのか、という話に逆戻りしてしまうのです。実は人工知能に「分かる」を判定させようとすると、非常に難しいのです。何かを暗記した、覚えた。1853年に何がありましたか。ペリーが来た。答えることはできても、それは覚えている知識を引き出してきただけで、「分かった」ではないですよね。

最終的には機械学習で何とかしようと頑張るけどもうどうにもならない、という現状のAIと似たところで話は終わっています。この先はAIの研究者の頑張りにかかっているわけですが、そこから先は未開の荒野みたいなものなのですよね。個人的には、この本に出ているメソッドだけでは太刀打ちできないと思っています。いろいろ抜けている発想があるのです。


働きたくないイタチと言葉がわかるロボット 人工知能から考える「人と言葉」
川添愛 著
花松あゆみ イラスト
朝日出版社
ISBN: 978-4255010038

雑記

 最近、はてなブログに投稿しようとすると、Google で何か当選したとか、Windows システムか古くなっているとか、フィッシング詐欺系の画面が出てくるのだが、何か Hatena Blog に特定のマルウェアが仕込まれていたりするのだろうか? 他のブログではそういうことは一切ないのである。

 

貧しき人々

とりあえず書いてしまいましょう。ドストエフスキーさんの「貧しき人々」。

母親に死なれて孤独な娘、ワルワーラと、中年の役人マカールの、二人の文通の形式で話が進んでいきます。

なにゆえ私は鳥にあらぬか、自由に獲物を追いかけるあの鳥にあらぬか!
(p.13)

鳥も結構不自由らしいですけどね。天敵も多いし、縄張りだって。しかしこの話に出てくる二人は結構貧乏だし、もっと酷い人も出てきます。

そう、たとえば長い廊下を、真っ暗で不潔この上ない廊下を思い描いてください。その右側は一面、窓もない壁で、左側にはいくつもの扉が、まるで宿屋の部屋みたいにずらりと並んでいるのです。
(p.14)

安下宿のイメージですかね。住んでいる人もなかなかで、

家主の女主人はものすごくチビの汚らしい婆さんで、一日中スリッパとガウン姿で、朝から晩までテレーザをがみがみと叱りつけてばかりいます。
(p.15)

松本零士さんのマンガに出てきそうな婆さんを思い浮かべてしまいました。そういえば、何か私の知っている大家さんって女性が多いです。

貧しい人達の生活は、かなり極限状態のようで、読んでいてハラハラするようなシーンもたくさん出てくるし、

でも、どうかすると人間は、勘が狂ってデタラメを口走ったりすることもあるんですよ。
(p.26)

メンタルもヤバい状況になったりします。

一晩中夢の中で授業の復習をしているのですが、翌日になると何も覚えていないのです。
(p.54)

大丈夫なのかな、と思うのですが、それよりもお金がないと即困る状況なんですよね。

私たち、引越すにもお金がないんです。
(p.195)

お金がないといいつつ本を買ってみたり、芝居に行こうとしてみたり、娯楽にお金を使わないと生きていけないんですよね。

(多分続く)

 

貧しき人々
フョードル・ミハイロヴィチ ドストエフスキー
安岡 治子 翻訳
光文社古典新訳文庫
ISBN: 978-4334752033

雑記

今日も書評として書く暇がなかったので後日に先延ばしします。今日できることは明日でもできる、という格言もあります【嘘】。

今日読み始めたのは、ドストエフスキーさんの「貧しき人々」です。

古典的名作のはずなのですが、読んだ記憶がありません。個人的には、貧しい人の描写というと「レ・ミゼラブル」のインパクトが強かったような気がします。

 

雑記

今日は図書館に行けたので、本を何冊か借りてきました。まだ読んでないのですが(笑)。読書の秋という言葉もありますが、何となくこの秋は中途半端に読んだ感じで終わってしまいそうな気がしてきました。最近ちょっと朝とか寒いです。

基本的に、寒い方が得意なタイプなんですけどね。