Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

ヤマダチの砦

時代小説。バトルシーンが満載だ。

イケメンでボンボンで若さまの新三郎は密命を受けて京都に向かうが、途中で山賊に襲われる。ヤマダチとは山賊のこと。危機一髪のところで魁という山の一族の男に助けられる。山の一族というのは解説にサンカという言葉が出てくるので、そのあたりのイメージがあると妄想しやすいと思う。小説だけあって、この魁、無茶苦茶強い。一人でヤマダチを何十人も殺してしまう。

無心となることで、魁は兵器そのものと化す。兵器に感情はなく、殺すだけだ。
(p.255)

魁は戦うときに能面のような表情になる。それが無我の境地。剣禅一如という言葉があるが、無我の武士は子連れ狼のように兵器そのものなのだ。マシーンだから出会った相手は誰でも切る。

敵であるヤマダチの頭は影堂という名で、ときどき面白いことを言う。

お前には信じられないだろうが、世の中、わしらのような悪党ばかりではない
(p.156)

山の一族が預かっている金が今も使い込まれてないという話を信じない子分を説得する頭の言葉(笑)。山賊に言われても説得力ゼロだし。

途中出てくる最強の双子の殺し屋も個性的な強敵なのだが、意外とあっさり罠にかかるのはちょっと不思議だ。しかし、双子の殺し屋の片割れが死んだときに、もう1人が茫然自失してしまう。このあたりの描写も凄い。

後半に出てくる女戦士もなかなか期待できそうな雰囲気があったのだが、あまり出番がなかったのが残念。


ヤマダチの砦
中谷 航太郎 著
新潮文庫
ISBN: 978-4101366319

殺人鬼フジコの衝動

ミステリー。この作品は、個人的にはいまいち分からないところがあって、あまり評価できない。出てくる殺人鬼にリアリティが感じられないのである。小説にリアルを求めてどうするという意見もあるかもしれないが、まあ、それはその通りだ。ちなみに、こういうシーンはリアルなのだろうか。

体操着の他にも、笛、絵の具、習字道具などを共有していたわたしたちは、しょっちゅう、互いの教室を行き来していた。
(p.18)

今は給食費が払えなくてもスマホが持てて映画やコンサートに行ける奇妙な世の中のはずだし、今時そんな家庭が実在すのかどうかは知らないけど、昔はあったなぁ。そういう所はリアルなんだけど。

何故リアルでないという違和感があるのかよく分からない。もしかしたら主人公の性格がひっかかるのかもしれない。フジコは基本的に周囲に合わせるタイプ。転校生が女子のグループに入れてもらう場面は定番のシナリオだが、フジコの場合、最終的に親にウソをついてお金をもらって貢ぐところまで行ってしまう。そこは迎合しすぎという印象だ。しかし、もしそれをリアルとするのなら、殺人鬼として自分勝手な理由でどんどん殺していくという性格の変わりようが分からない。統一性がない。二重人格的な解釈はあり得るのかもしれないが、猛烈なギャップがあるのかというと、そこもよく分からない。

ただ、このことは「あとがき」に説明が出ている。ちなみにこの「あとがき」は普通の「あとがき」ではなく、小説の一部を構成している。

つまり、その場その場の空気に従って振舞うことができる高度な適応力を持ち合わせていながら、自分というものをまったく持っていないがため、いつでも仮のパーソナリティを演じ続けなければならないという傾向である。
(p.412)

もしかすると、私の読書力では、そのようなタイプの主人公に同一化することができないのかもしれない。

もちろん、先に述べたようなシーンもそうだし、マクロに見ればリアルなやりとりはいくらでも出てくる。

その煩い人。はいはいって、テキトーに聞いてればいい
(p.190)

これはバイト研修で失敗をしたバイト店員にギャーギャー言う先輩がいて、その種の言葉はテキトーに聞き流せ、というヒドい話なのだが、あるある的で、こういう所はとてもリアルな感じがする。言われたことをやらない社員とか、普通すぎて面白くも何ともないけど。AIがもう少し進化したら、そういう社員は駆逐されるだろうから、世の中はとても平和になるに違いない。

次の一言は全体の伏線なのかもしれないが、当たり前のようで意外と怖い言葉だと思った。

人間、生まれて死ぬまで正しいことだけをやってる人なんていないんだよ。
(pp.229-230)

心当たりはあるとしかいえない。曹操とかどうだろ。

ところで、この小説には時効の話が少し出てくる。

時効を過ぎれば、過去は消えるのよ
(p.360)

この小説が書かれたのは2008年だが、2010年から、殺人罪に時効は適用されなくなった。だから今は殺人という過去は消すことはできない。この問題はリアルなのかリアルでないのかよく分からないが、私の場合はむしろリアルな感じかな。これから書かれるミステリーは、殺人犯を探す側が時効で焦るというネタは使えなくなってしまったのか。

さて、この小説の背景として使われている歌、「はしがき」に出てくる、Poupée de cire, poupée de son (夢見るシャンソン人形)は 1965 年のヒット曲。歌ったフランス・ギャルさんは2018年1月7日に亡くなった。70歳。

この歌は、歌詞の内容も分からないのに恋の歌を歌う歌手を皮肉った内容なのだが、それを背景に置いたのは、フジコが本当の意味も分からずに殺人を続けることを喩えようとしたのだろうか。


殺人鬼フジコの衝動
徳間文庫
真梨幸子
ISBN: 978-4198933678

短歌は最強アイテム――高校生活の悩みに効きます

今日は「短歌は最強アイテム」、千葉聡先生のエッセイ。本の中では「ちばさと」と呼ばれています。

岩波ジュニア新書だから、高校生あたりがターゲットでしょうね。舞台も高校です。短歌がたくさん出てくるけど、それ以外の細かいところのやりとりが面白い。

「いつもおとなしい人に限って、怒ると怖いんだよな」
(p.6)

人間の感覚は相対的です。いつも怒っていると相手は慣れてしまうので怖がりません。いつも怒らない人が怒ると、普段とのギャップが大きいので怖いのです。

さて、ちばさと先生は、連絡用黒板を、そうとは知らずに短歌を毎日書くために使ってしまうのですが、

そういえば、短歌の紹介を始めて間もない頃、ある先生から「連絡があるのに、どこに書けばいいの?」と強い口調で言われたことがあったっけ。その言葉の意味が、今ようやく分かった。
(p.28)

これは「ある先生」の責任だと思いますね。コミュニケーション能力がないのはそちらだと思います。空気を読めといわれても、この感じだと知らないものはどうやっても知り得ないですから、このように気がつくまでその状態は続いてしまうでしょう。この話は、気付いた後に謝るタイミングが分からないというのが面白いですね。結果的に黒板は占領した状態が続くのです。

正義感を振りかざすと本人は、わりとすっきりする。正しいことを正しく / 実行できた喜びを味わえる。
(pp.84-85)

ネットの炎上のメカニズムはこれか。正義感を振りかざすための便乗。正しいと信じているからスッキリする。誤爆とかありますが、気にしなくていいのでしょうか。

クラスが船だというところ。どう認識しているかが、ちばさと先生らしいです。

もし、船の人たちが冷たく感じられたら、その原因を突きとめればいい。自分も、相手も、同じ乗組員。ちゃんと向き合えばなんとかなる。
(p.98)

その「ちゃんと」向き合うのも難題だと思いますが、それ以前に、同じ乗組員で括ってしまうところが、らしいわけです。個人的には、そんな甘い世界は滅多にないと思います。原因だって分からないこともあるし、相手がおかしいし間違っているけど直す気は全くない、というようなケースもいくらでもありますよね。さらに力関係は相手が上、となってくると手におえません。

仲良しの名前の件も面白い。

最初に話しかけて仲良くなったのは、すぐ近くにいた子だったんですね
(p.105)

クラスの初日、出席番号順に席に着かせます。今は違うかもしれませんが、昔は名前の五十音順に出席番号を割り振っていました。すると、五十音順に近い名前の人が友達になる確率が高いという話です。

確認してみました。私と仲良しだった友達の名前は、「エ…」「カ…」「キ…」「ス…」「フ…」「ニ…」「ヤ…」…あれ? 特に近くないです。バラバラだ。しかも、この中には名前的に近い人がいることはいますが、それって家が近かったですから、五十音はあまり関係ないです。基本的に私が一匹狼派で、友達になるよりも1人で本を読んでいる感じだったので、席が近くの人を友達にするという必然性がなかったのかもしれない。

名字に「さん」をつけて呼ばれると、それだけで距離をおかれているように感じるんですよ。
(p.107)

よそよそしいのは分かりますし、普通、クラスメートさ「さん」を付ける人いないですよね。私は1人だけ「さん」付けで呼んでいた友達がいますが、なぜ「さん」を付けていたのか思い出せません。「○○さん」まで含めてあだ名みたいな感じでした。

イチャイチャの論理もちばさと先生らしいです。

だが、ここで「人目につくところでイチャイチャするなよ」と注意するのは、なんかおかしい「人目につかないところに隠れていれば、何をしてもいい」と言うのと同じになる。
(p.134)

イチャイチャしていいというのは、何でもアリとは違うと思うんですけど。和歌を教える先生なら、昔は御簾に隠れてみたいな話でもいいと思うわけです。

高校は三者面談も大変みたいです。こういうの、私には無理っぽいですね。

リラックスというのは、シャキッとしたあとでやることでしょ?
(p.145)

親御さんから、子供が家でダラダラしているといわれて、リラックスしてるからいいのではと言ったらこの反撃です。確かに「シャキッ」抜きのリラックスは微妙ですね。ちなみにこのネタ、子育てはツッコミ力、というオチが付いているので興味がある方は読んでみてください。蛇足しておくと「つっこみか」じゃなくて「つっこみりょく」です。

先生のお母さんが入院した後の、

親の介護、幼い子の世話、病気の家族の看病、退勤時刻になると急いで帰宅する職員は少なくない。今まで俺は、そういう同僚たちの前で、無神経なことを言ったりしなかっただろうか。
(p.156)

無神経というのが難問です。無神経って何かと問われて返答に詰まるのは花詩集だったかな。相手の心の中は絶対に分からないのだから、どこかで誤差は必ず発生します。そこが無神経ということになってしまうと、やりようがない。かといって何も考えないのもおかしい。

最後に、これは面白いと思った話が、

先生のお家では「うさぎ親子」なんですね。うちの場合は「お姫様ごっこ」でした。
(p.165)

これじゃ何のことか分からないと思いますが、面白いです【謎】。あと、教訓譚としては、

教員が生徒に教えてもらうことのほうが案外多い。若者の柔軟な発想が、ものごとの本質にたやすく迫る道を切り開いてくれるのだ。
(p.182)

これも感覚として分かりますね。すぐれた人ほど、誰もが先生だというような感覚を持っているそうです。

ところで、この本には短歌がたくさん紹介されているのに、まだ一度も紹介していない。といいつつ、その中じゃないのですが、

「俺の前髪がヤバい状態になったら、そっと教えてくれよ」
(p.4)

これは短歌じゃないか(笑)。真面目に1つ紹介。

水性のペンキを買いに出た子から「彗星ペンキがない」とメールが
(p.140)

分裂して落ちてくる感じかな。


短歌は最強アイテム――高校生活の悩みに効きます
千葉 聡 著
岩波ジュニア新書
ISBN: 978-4005008636

ねこのばば

今日は、しゃばけシリーズの3作目、「ねこのばば」。ネコババって言いますな。この文庫本には、5つの短編が入っている。

「茶巾たまご」は犯人の言い訳が面白い。何故殺したかと問い詰めると必要だから殺したというのだが、じゃあ他人がお前を殺そうとしてもいいのかというと嫌だという。

己が殺す分には、止める理由が分からない。人に殺されるのは、御免こうむる。
(p.55)

対称性はないが、一応理屈としては成立するのかな。自分ファースト的な。

「花かんざし」は、迷子の5歳の女の子「於りん」の話。

選びたくない道しか目の前に無いとき、人はどちらを向いて、足を踏み出すんだろうか……
(p.117)

これは結構な難問だろう。どちらも選ばないで逃げる人が多いような気もする。

「産土」は金の欲はよくない、という話。

いざ金子を前にすると、人は驚くほど簡単に惑わされる。
(p.213)

地獄のサタンも金次第といいますからね。


ねこのばば
畠中 恵 著
新潮文庫
ISBN: 978-4101461236

ぬしさまへ

しゃばけシリーズ第2作。6つの短編が入っている。どれもいい感じなのだが、今回はその中から一番気に入っている「空のビードロ」を紹介したい。

松之助は桶屋の奉公人である。このシリーズの主人公、一太郎の兄だ。

東屋では奉公人の飯は、二杯までと決められている。
(p.99)

それで腹一杯食べたことがないという。そんな松之助だが、これがなかなかいいひとなのだ。普通、こういう設定だと、ひねた性格になりそうなものだが、何か根っこの所からいい。それなのに事件が起きると疑われてしまうし、ついに大犯罪寸前のところまで行ってしまうが、それでも踏みとどまる。

成り行きでお暇をもらうことになり、途方に暮れて、結局は父のいる長崎屋に来てしまう。そこで店の奥に通されて、朝飯が出てくるのだが、

二杯目の飯を盛っても、まだ添えられたお櫃の中に飯が大分残っていたのにはたじろいだ
(pp.146-147)

結局いいひとなのである。

ぬしさま
畠中 恵 著
新潮文庫
ISBN: 978-4101461229

 

しゃばけ

しゃばけ」は娑婆気だと巻頭に書いてあるし、変換したら一発で出てきたからそういう言葉があるらしいが知らなかった。不勉強も甚だしい。これはもう広辞苑を一度、読みきるしかないかとか思っているのだが、シリーズの最初の作品がこの「しゃばけ」である。私が読んだのは文庫本なので、以降のページ数は文庫本に依る。

ざっくり言えば物の怪系の小説。もののけ。舞台は江戸。一太郎というワープロみたいな名前の若旦那が主人公で、守り人に佐助という犬神と仁吉という白沢が憑いている、違った、付いている。私はこういうバックグラウンドは「神様はじめました」や「化物語」等で慣れているから別に気にしないが、これ系の小説は普通に支持されるものなのだろうか、それともマニア限定なのだろうか。よく分からないが、Amazon のレビューは結構な数憑いている、違った、付いている。

舞台が江戸時代だから、金銭感覚からして分からない。

「大工は手間賃が一日銀五匁だ。(略)」
「それって、多いのかい?」
(p.155)

この後ちゃんと解説してくれるので助かる。そのような細かいところが行き届いているから読みやすくていい。

一太郎は長崎屋という薬種問屋の若旦那で、何ともたよりない。怪しい薬も売っているのだが、

それなら高い薬を買うよりも、長生きには良い方法がある。もし体のことを思うのなら、食べる物に気を使うことです。
(p.195)

高価な謎の薬を売ってもいい場面なのだが、良心的だ。しかし一太郎は病弱ですぐに疲れて寝込んでしまうタイプなのに、こんなことを言って説得力があるのかないのか。

ストーリーは殺人事件。一太郎は目撃者だし理由もあって最後は猛烈に狙われることになってしまう。強烈な妖が傍に控えているのに案外ジタバタするのは、ちょっとリアルかもしれない。

ところで、話の途中で大工道具がバラで売られるというシーンがある。道具箱に1セット入っているのだが、1つ道具が欠けていたという。それが何かを知りたい。売られた道具は、鋸(のこぎり)、手斧(ちょうな)、錐、鑢(やすり)、木槌、金槌、玄翁(げんのう)、釘袋、曲尺(さしがね)、砥石、鉋(かんな)、鑿(のみ)、これで全部なのだが、若旦那はこれだけでは何が欠けているのか分からない。私は分かったぞ。えへん。

 

しゃばけ
畠中 恵 著
新潮文庫
ISBN: 978-4101461212